第2話

 放課後になってしまった。とりあえず行くしかない。

「湊。行ってくるよ……」

「途中まで一緒に行こうか? お前、猫背やばいぞ。もっと胸張って堂々としてろ!」

 はぁ、とため息をついて、背筋を思い切り伸ばした。でも、お腹が痛くなりそうですぐに背中を丸めた。


 校門の近くまで来ると、先輩の姿が見えた。僕はとっさに木の影に隠れた。

「真絃。先輩一人みたいだぞ。行ってこいよ」

 僕の後ろに隠れている湊が言う。

 本当だ。一人でいる。ブレザーのポケットに両手を突っ込んで、不機嫌そうに見える。

 まだ行きたくない。見つからないように動きを止めて、息も止めた。しばらくして息が続かないので、思いっきり息を吸った。

「よし、行ってこい」と湊が僕の背中に手を当てる。

「ちょっと待って、心の準備が……」

「いってらっしゃい!」と湊から背中を思いっきり押された。

 こけそうになったのを、なんとか足を踏ん張って耐えた。

「危な! やめろって!」と湊に向かって、大声で叫んだ。

 湊は笑っている。いつも面白がって僕を困らせるんだこいつは。


「あ……」

 ゆっくりと先輩のほうを見ると、僕に気づいて手招きをしている。

「湊。明日覚えとけよ……」

 僕は下唇を噛みながら、湊を睨んだ。湊はまだ笑っている。

 僕は背筋を伸ばして、胸を張って、先輩に向かって歩き出す。

 

「どうも……」と僕は先輩に会釈した。

「良かった。来てくれた」

 先輩が少し安心したように表情を和らげた。その顔を見て、僕も少しだけ安心する。

「僕は何で呼ばれたんでしょうか……」

「それは……ちょっと近くの公園で話そう」


 僕達は学校から徒歩五分のところにある公園へ向かった。同じ学校の生徒がいないか周りを見渡しながら歩いた。先輩と二人でいるところを見られると何か言うやつがいるかもしれない。

 僕はこんなことを考えているのに、先輩は何も考えていないのか、姿勢が良いからなのか、モデルのように堂々と歩いている。僕も負けないように先輩の背中だけを見つめ、胸を張って歩いた。

 駅とは逆方向に公園があったため、幸い同じ学校の生徒はいなかった。


 公園に着くと、小学生らしき子供達が五人いる。三人はサッカーボールを蹴り合って、二人はブランコに座り、ゲーム機を持って真剣にゲームをしているようだ。

 子供達を横目に、屋根付きのベンチに腰掛けた。ベンチが冷んやりとして、背筋が伸び、また僕の緊張を呼び起こす。でも、子供達の笑い声が聞こえて、少しだけ全身の筋肉が緩んだ。


「今日は急にごめん」と先輩が言う。

 横に座っている先輩を見ると、昼休みの時とは見違えるほど弱ったような表情を見せる。

「い、いえ……」

「私のこと知らないよね?」

「えっと……。二年の先輩だということは知ってます」

「だよね。名前は、中本凛華なかもとりんか

「あ、はい。中本先輩ですね」

「凛華でいいよ」

「はい。凛華先輩」

「倉橋真絃くん。真絃って呼んでいい?」

 先輩が、僕と目を合わせて訊いてくる。

「はい……。どうぞ」

「今日真絃を呼び出したのは……」と言いながら、先輩が足を組む。両手は相変わらずポケットの中だ。顔を見ると、昼休みの時と同じような表情になった。地面を見下すように見ている。

 僕は背筋を伸ばして、固唾を飲んで聞く。

「真絃に手伝ってほしいことがあってさ……」

 ひとまず、怒られないと分かって、ふぅ、と息を吐いた。

「手伝ってほしいこと、とは? その前に何で僕なんですか? 今まで全く関わりがなかったのに……」

「……今は言えない」

「はぁ。何を手伝うかも言えないんですか?」

「うん。今は言えない。今週の土曜日に、ここに来て。時間厳守で」

 先輩がポケットから小さな紙を出して僕に渡す。


 薄紫色の可愛らしいメモ用紙に少しだけシワがついている。


 そのメモ用紙には、


 土曜日

 ○○ショッピングモール地下駐車場1F

 13時30分集合。時間厳守で

 食料品売り場近くのエレベーターで地下に降りて、そこのエレベーターホールで待っていて

 

 服装は暗めの色の服

 帽子、マスク、メガネ必須

 ここに行くことは誰にも言わないで、絶対に


と書かれている。


 帽子、マスク、メガネなんて怪しすぎる。僕は何か犯罪に巻き込まれるのか。やばいバイトに誘われているのか。絶対に罪だけは犯したくない。十六年間、真面目だけが取り柄で生きてきたんだ。

 手が汗ばんで、紙が湿ってしまう。


 よし、断ろう。


 別に危険なことではないのかもしれない。でも、犯罪に巻き込まれたり、犯罪ではなくても危険なことだったら僕は絶対に嫌だ。

 平凡に暮らしたいんだ。


「土曜日よろしく。じゃあね」

 先輩が勢いよく立ち上がった。僕のほうを見ることなく、歩き出した。

「えっ! ちょっと待ってください!」

 先輩がまた僕を無視して行ってしまった。もう追いかける気力も無く、僕はベンチに座ったまま天を仰いだ。

 そういえば、連絡先を教えてもらっていない。明日学校で直接先輩に会って断ろう。二年生の教室に足を踏み入れるのは気が引けるが。


 翌日、二年生の教室を覗いた。二年一組なのか、二組なのか分からなかったので、全教室を覗いた。どこにも先輩は見当たらない。

 勇気を出して話しかけやすそうな男の先輩に訊いてみた。ちょうど凛華先輩と同じクラスの先輩で、「中本さんなら、休み時間はいつも教室にいない」と言われた。


 次の日も先輩を探した。どこを探してもいない。凛華先輩はどこにいるんだ。もう明日は土曜じゃないか。今日は絶対に先輩に会って断らないといけない。

 休み時間に捕まらないなら放課後だ、と思い、二年生の教室の前で、先輩が出てくるのを待った。

 しばらくして、教室のドアが開いた。凛華先輩が一番に教室から出てきた。

「あの! 凛華先輩!」

「何? ちょっと忙しいから、また明日ね」

 僕と一瞬だけ目を合わせて、去って行く。

「待ってください!」

 また僕を無視する。そんなに急いでどこに行くんだ。待ってと言っているのに、どうして待ってくれないんだ。追いかけたけれど、「ごめん。忙しい」と言って先輩は走っていった。少しは僕の話を聞いてくれたっていいじゃないか。

 もう先輩とか関係ない。


 決めた。


 僕は明日、絶対に行かない。

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