第18話 やる気と気合いは空回る
兄さんを連れて教室に戻ると、そこには重苦しい沈黙が落ちていた。
……兄さんの『釘』、効き過ぎたかな?
さてどうしようと思ったところで、空気をぶち壊す脳天気そうな――もとい、多分何の経緯も見てなかったんだろうなぁという声が響く。
「あれー? 何この空気」
「ようやく現実にお帰りですか、浅見さん」
「あ、女神おかえり~」
いそいそと片付けをした浅見さんが、尻尾でも振らんばかりの様相で駆け寄ってくる。
「意識をどこぞにとばしてた人間におかえりなんて言われるとは思いませんでした。ある意味色々すごいですね」
「えへへ~、そんな褒められると照れちゃうよ女神っ」
褒めてない。褒めてはないが、無言のアピールに負けて、頭を撫でる。……一応、成人男性のはずなんだけどな、浅見さん。年下の女子高生に頭撫でられてなんで満足そうなんだろうな。
「……奏から聞いてはいたが、なんだこの脳内お花畑っぷりは。頭にはプリンでも詰まってるのか」
芸術に熱中していない状態の浅見さんと初エンカウントの兄さんが、目を眇めて毒を吐く。けれどそれが浅見さんに響くはずもなく。
「プリンおいしいよね~。女神、今度作って?」
「さすがにプリンは詰まってないと思うよ兄さん。あと浅見さん、それは市販で我慢してください」
「え~? ……って、そういえばこの人、なあに? 奏ちゃんのドッペルさん?」
やっと深兄さんをまともに認識したらしい。遅すぎる。というかどうしてそういう発想に。
しかしこの独特のテンポが浅見さんらしいといえばそうかもしれないのが頭の痛いところだった。
「なんでドッペルゲンガーとかそんな方向に行くんです。奏兄さんから聞いてませんか、『弟』の話」
「奏ちゃんの話って九割女神のことだからなぁ。聞いたかもだけど忘れちゃった」
あっけらかんと言う浅見さんに、ますます頭痛がする。
奏兄さんも奏兄さんだし、浅見さんも浅見さんだ。
浅見さんの発言に、深兄さんが軽く溜息をついた。
「……外でも相変わらずのようだな、奏は」
「いや、流石に浅見さんとか辺りにしかそういう面は見せてないと……いいんだけど」
ああ、あと巳津さん……。一応かなり外面のいい兄ではあるので、ちょっとおかしいところは近しい人間にしか見せてない……はずだ。
「まあ、奏のことはいい。それより、背後でウロウロソワソワしてる目障りな奴らを叩きだしていいか」
兄さんが口にしたのは、言わずもがな、話に入れず、でも話し合いの結果が気になって仕方ない様子の幼馴染みたちのことである。
「いや兄さん、ここあいつらの教室だからね」
「ではさっさと出て行くか」
私の肩を抱いて外へと続く扉の方に足を向けた兄さんに、心中で溜息をつく。
もう、大人げないなぁ。
「ま、待ってくださいお兄――じゃない、深さん!」
「…………。……何だ。用件をとっとと簡潔に端的に言え」
めちゃくちゃに苦虫を噛み潰したような顔をして、それでも兄さんは一応、足を止めて話を促した。
……これ、カンナが声かけなかったら、ワンチャン連れ帰られてたな……。
「え、ええと、その――」
「あなたが私達に隔意を抱いているのはわかっていますが、こちらにも事情がありまして」
「連れて帰られると、困る……」
「オレたちのワガママだっていうのはわかってるし、ムシの良いこと言ってるのもわかってるけど――絶対、守るから!」
言葉に詰まったカンナの代わりのように他の三人が続けて、その間にカンナも腹が据わったらしい。
真剣な表情で、誓うかのように――たった一条の光を見失うまいとするかのように、告げる。
「危険な目には遭わせないし、もし万が一そんなことが起こったら、連れて帰ってくれていいし」
「もちろん、彼女の意思が最優先、ですけれど……」
「……お願い、します」
「お願いします!」
兄さんは、頭を下げた幼馴染み組を鋭い視線で睨めつける。
そこには、ありありと『不服だ』という感情が表れている。それでも、切って捨てることはしなかった。
「……ワガママって自覚あったのかとか何気に上から目線だなとか最初にヒトの意思無視した振る舞いしたのお前らだろとかつっこみたいことは多々あるが、まあいいやもう。――で、兄さん」
「………………」
「一応、こいつらだって昔のままじゃないし成長はしてるってのはわかってもらえた?」
訊ねると、不承不承、といった様子で、兄さんが頷く。
「……まあ、な。まだまだクソガキなのには変わりないが」
「まぁ兄さんからしたらそう見えるのは仕方ないよ」
「何せ俺はこいつらが心の底から嫌いだからな」
「そんな得意げに言うことじゃないと思うけど……まぁ、そうだね」
「そんなやつらが通う学校に可愛い可愛いお前を置いておくのは心の底から嫌なんだが」
「でもどうせ三日と空けずに出没するし。それが毎日になるだけだよ」
「一日の半分以上をこいつらと過ごすかと思うと羨ましさでどうにかなりそうなんだが」
「兄さん、その発言は色々アウトだと思うよ」
さすがにつっこんだ。どうにもこの兄たちは、時々、いや割と、アウト寄りの発言をしがちだ。
「――だが、お前がいいと言うなら仕方がない」
本当に、不承不承、不服も不服という様子で、それでも兄さんはそう言った。
幼馴染みたちの空気が揺れる。
「っ、深さん……それって、」
「非常に不本意だ。どうして世の中はこんなに理不尽に満ちているんだ。何が悲しくて愛する妹を狼の群れに放り込まねばならない? こんなに、こんなに可愛いのに何かあったらどうしてくれる」
たぶんわっと喜びの空気が広がるところだったんだろうけど、兄さんが間髪入れず続けたので空気が中途半端になる。
うーん、私の周りってマイペースばっかりな気が……。あとやっぱり発言にはつっこみたいな……。
「兄さんはやっぱり一度眼科行ってきた方がいいと思う。もしくは精神科も考えた方がいいかも」
「お前が一日付き添ってくれるならそれもいいかもしれないな」
結構真剣に提案したのに、蕩けそうな笑顔でそう言われてしまう。
だめだ、処置なし。
そんなやりとりを見ていた、だいぶ空気寄りになっていた三笠さんがぽつりと呟くように言う。
「…………筋金入りのシスコンなのな、オニイサンって」
「誰が兄と呼んでいいと言った」
「――訂正。『嬢さんのオニイサン』って」
ギッと睨み付けて訂正させたわりに、兄さんはすぐ三笠さんから視線を外した。というか意識的に三笠さんの存在を忘れることにしている気もする。……うーん、巳津さんの影響は根深い……。
「いいか、何かあったらすぐに連絡しろ。問答無用で連れ帰ってやるから」
「兄さん、心配してのことのはずなのにそこはかとなく無理やり感が漂ってるから、その台詞」
「何もなくても連絡しろ。大事な大事な妹のことが最優先だからな」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。兄さんは兄さんのやるべきことをやって」
「研究研究であまり家に帰れていないのは事実だが、そう物わかりのいい顔をしなくていい。……お前は、まだ保護の必要な、子どもなんだから」
ぎゅう、と抱きしめられる。
……いや、保護の必要な子どもなのは事実だけど、さっき兄さんたちが思ってるよりは成長してるんだよって話を……。そもそも本来ならこういうスキンシップもどうかな?って年頃だからね、私。そこのとこ、一度話し合わなくてはいけないかもしれない。
そんなことを考える私の視線の先には――。
「『嬢さんの』ってつけたらOKなのな……っつーかまたスルーされてるよな俺」
「あはは~みんな固まっちゃって面白い~。信じられなさすぎて思考がショートしちゃったみたいだねぇ。彫像みたい」
ちょっと黄昏れる三笠さんと、兄さんの譲歩にびっくりして固まった幼馴染み組を面白そうにつつく浅見さんがいた。
「浅見さん、あちこち手当たり次第につついたり触ったりするのやめてやってください。彫像みたいになってても一応生身の人間なんですから」
浅見さんを窘めると、兄さんがフンと鼻を鳴らした。
「いっそ間抜け面を撮って好事家にでも売りさばいてやればいいんじゃないか。こいつらは見た目だけは立派で観賞に耐えうるからな。俺の憂さは晴らせるし奴らは辱められるしで一石二鳥だ」
「流石にそれは止めて、兄さん。肖像権の侵害はちょっと」
「ねぇねぇ女神、とりあえずスケッチしてもいい? 石膏の型取りは諦めるから~」
「こいつらにとって、嬢さんのオニイサンの発言って、そんなあり得ないもんだったワケ? 人間ってここまで見事に固まれるんだな……」
……そんな感じで、幼馴染み組が解凍するまで、好き勝手言い放題の空間となったのだった。
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