第11話 意外と世間は狭かったりする
「あ、一限が終わったね」
本来授業を受ける教室は別室だとのことだったのでそこに向かっている最中、鳴り響いたチャイムにカンナが呟く。というか有意義なことを何一つしないまま一時間も無駄にしたのか……。
思わず遠い目になる私をよそに、ユズが小首を傾げた。
「二限って何だったっけ?」
「特別授業ですよ。……確か今日は新しい講師が来るはずですが」
「特別授業?」
新しい講師云々ってことは頻繁に外部講師招くタイプ? 金掛かってそう……とか考えていた私に補足を投げてきたのは三笠さんだ。
「ちなみに、毎週特別授業組んであるのは特別クラスだけだぜ」
「……へぇ、そうなんですね」
全体で実施してるわけじゃなく特別クラス限定だとしても、どうも特別クラスとやらは少人数編成の上複数あるっぽいので、どっちにしろ存分に金がかかってそうだ。まあ金持ち校だもんな。多分そういうのも売りなんだろうな。
「予定だと芸術家でしたよね、カンナ」
「そうだよ。資料によれば結構若い男だったはずだけど……」
「……それって、そこ……教室の前に居る人、じゃ……」
真っ直ぐな廊下の先、見えた人影にレンリが指をさす。つられてそちらを見遣って、目を丸くした。
「……あ、」
「? どうしたの――」
私の反応に気付いたらしいカンナの問いは途中で遮られた。何故なら話題の渦中の芸術家の講師(らしい)が――
「女神っ!!」
とか叫びながら喜色満面に駆け寄ってきたからだ。
「⁉」
驚く周囲の空気を感じながら、溜息を吐いた。
「……お久しぶりです、浅見さん」
年甲斐もなく目をきらきらさせて見つめてくる――パタパタと振られる尻尾が見えるようだ――その人に会釈する。
まさかこんなところで会うことになるとは夢にも思わなかった目前の人物の名を、
「女神、女神、本当に女神? 夢でも幻でもなく? 僕の願望が実体化しているわけではないよね?」
本物だと確かめるかのように頬を両手で挟まれる。顔が近い。しかしこの人のパーソナルスペースは狭いので、これくらいの触れ合いが通常だったりする。
とはいえ人目がある状態でこれ以上近づかれてもアレなので、そっと触れていた手を外した。
「夢でも幻でもありません。というか願望ってなんですか願望って。……それより、何度も言っていますが、女神という呼称はやめてください。私もドン引きですが周りもドン引きですから」
まずもって、そんなけったいな呼び方をされてるのを、知り合いに知られたくはなかった。
積極的に受け入れたわけじゃないけど、何度言ってもやめないから最近では訂正をおざなりにしていたつけがここに。
「でも、女神は女神だよ。それより、どうしてここにいるの? 女神は公立の学校に通っていると聞いていたのだけど」
やっぱり呼び名を改める気はなさそうだ。まあ感性の問題なのでこっちが諦めた方が早いのは確かなんだけど。
そして私が公立の学校に通っていることを覚えていたことに内心驚く。他人に興味がないとまでは言わないけど、浮世離れしてるし情報の取捨選択が独特だし、まさか覚えててそこに疑問を呈してくるとは。
「ちょっとした事情がありまして。浅見さんはどうしてここに?」
一言では説明しづらい事情なのでとりあえず当たり障りなく答える。
ついでに、何でここにいるのか一応確認しておく。十中八九『特別授業』の外部講師だろうとは思うけど、万が一もあるし。
「僕のパトロンの関係で、ここの『特別クラス』っていうのに話をしに来たんだ。ええと、確か『特別授業』講師ということになるのかな」
「……なるほど。あなたにそんな物が務まるのかという疑問はともかく、事情はわかりました」
そんなあやふやな認識で大丈夫なのかと不安になる語り口ではあるけど、とりあえず『特別授業』の講師であるのは間違いないらしい。
浅見さんは界隈では名が知れているらしいけど、詳しく知ろうとしたことはないのでいまいち外部からどういう認識をされてるのかわからない。でも普段の言動を見るに、講師とか向かなさそうなんだけどな……。意外に外ではしっかりしてるのかな……想像がつかない。
「女神それちょっと酷い……でもそういうとこが好きっ!」
何せこんな言動をする人だし。
「色んな意味で問題な発言は控えてください浅見さん。しばらく会わない間に少しは真っ当な感じになったんじゃないかと淡い期待をしていたんですが、全く変わってませんね」
「今更僕が変わると思うの? それより女神、今日は暇?」
「暇じゃないです」
唐突な話題転換に、続く流れを察して即答した。
「そろそろ僕の家に来てくれる時期だよね? せっかくだから今日来て! じゃないと僕女神欠乏症で死んじゃうよ」
だというのに全く聞いてなかったかのような言葉を続けられた。マイペースにも程がある。
「人の話は聞いてください。っていうかその女神欠乏症っていうネーミングはどうかと思います」
「だって女神、なかなか来てくれないし。約束してくれたのに酷い」
拗ねたように口を尖らせる仕草が似合うのもどうかと思う。実年齢と見合ってない。
「まだ契約違反の範疇じゃないでしょう」
約束というか契約というか、そのどっちもというべきか――は何のことはない。基本的に衣食住に興味のない浅見さんは放っておくと自宅で行き倒れるので、それを防ぐためにたまに家に行ってご飯を作ってあげたりしているだけだ。ちなみに慈善事業ではないので対価はきちんともらっている。
ちょっと間が空いていたのは確かなものの、そう責められるほどではないはずなんだけど、どうもこうやって会ってしまったのでごねたくなったらしい。
「……来ないと石膏像作ってやる」
ジト目になった浅見さんが、恨みがまし気にそう口にする。
「……石膏像?」
「気にするなカンナ」
そこは気にしないでほしい。解説したくない類のことなので。
「文脈からすると脅しみたいですけど――」
「油絵も水彩画も描いてやる。最高傑作創ってやる。アトリエに全部飾って、
「……浅見さん」
よくぞここまでと思うほどに的確に脅しをかけてくるのは、浅見さんも人畜無害ではないという証左だ。まあ類は友を呼ぶっていうし、兄さんの友人な時点で仕方ないんだろう。
「ふんだ。女神が悪いんだからね。女神が来ないから女神の代わりに女神を描くんだもん。僕我慢したもん。来てくれなかったのは女神だもん」
これ完全に拗ねてるな……。
「何歳児ですかあなた。幼児退行しないでください。ただでさえ子供っぽいのに。……わかりました。今日は無理ですが近日中に伺いますから」
仕方ないので妥協案を提示したら、浅見さんはますます唇を尖らせた。わりと整った顔なのに残念感しかない。
「近日中じゃやだ」
「いい年して駄々をこねないでください」
「だって明確な期限ないと女神バックれそう」
浅見さんのボキャブラリーになさそうな表現が飛び出してきて、ちょっと思考が止まった。
「『バックれる』って……誰から聞いたんですかそんな言葉」
「みっちゃん」
……あの人か。まあ確かにそんな言葉を浅見さんに吹き込みそうな手合いはあの人くらいだろう。
件の『みっちゃん』もまた兄の友人で、かつ不本意ながら一応私の知り合いである。常々その事実を抹消したいけど。
「またあの人ですか。相変わらずろくなことしませんね。……バックれませんよ。近日中が気に入らないなら明日にでも伺います。それならいいですか?」
「……うん」
不承不承といった様子で浅見さんが頷く。
「石膏像も油彩画も水彩画も依頼品の書き直しもやめてくれますね?」
「…………」
なんでそこで頷かないかな浅見さん。
「や・め・て・く・れ・ま・す・ね?」
「ちぇー……わかった」
念を押してやっと言質がとれた。危ないところだった……。
というかこの浅見さんの謎の情熱はなんなんだ。
「何でそんな名残惜しそうなんですか」
「言ったでしょ? 女神は僕の女神なんだから、本当はいつだって見て、触れて、愛でたいんだって。でも女神も奏ちゃんも駄目だって言うから我慢してるんだよ」
通常運転だけど普通に聞けば問題発言なそれに、さすがに黙って成り行きを見守っていた組から声が上がった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください」
「ちっ、……やっぱりつっこんできたか」
「今本気で舌打ちしましたね⁉ ……じゃなくて、何なんですか、触れていたいだとか愛でたいだとか!」
「っていうかそれ以前にどういう知り合いなの⁉ 何か家にしょっちゅう行ってるみたいな会話だったけど!」
「…………こ、恋人……とか……?」
「い、いやそれだったら流石に僕たちだって気付くだろうし、違う、よね……?」
一人が声を上げたら矢継ぎ早に残りもつっこんできた。まぁ、多少の疑問を抱かれるのは覚悟してたけど、なんか思ってたのとちょっと違うのが混じってる。
「何であんたらがそんなに動揺するわけ? まぁ恋人ではないけど」
でもとりあえず否定はしておく。浅見さんの恋人とか、同じくらい奇矯な感性してないと無理じゃないかな。というか恋とか愛とか抱ける人なのかというところから疑問だ。芸術方面に感性極振りみたいな人だし。
「女神女神、この子達何?」
そこでようやく他の面子が目に入ったらしい浅見さんが、無邪気に訊ねてきた。でも『何』って。
「せめて誰って訊いてくれませんかね。……手前の四人は幼馴染みで、我関せずでニヤニヤしてるのがついさっき知り合った人ですよ。幼馴染みのことは話したことあるでしょう」
「嬢さん、ニヤニヤは酷いっつーかそこはかとなく悪意を感じるんだけど」
実際ニヤニヤとしか形容できないような表情をしていたので仕方ない。
「もしかして、奏ちゃん曰くの『害虫』?」
そんな茶々も耳に入っていない様子で記憶を掘り起こしたらしい浅見さんが、こてんと首を傾げて口にする。
害虫……害虫か……。
「……そんな形容してたんですか、兄さん」
「うん」
「全く……」
兄さんのことだから、と思えはするけど、身内としてちょっと遠い目になるくらいは許されると思う。
「ナチュラルにスルーはヒデェよ嬢さん……」
肩を落とす三笠さんをよそに、幼馴染み組は浅見さんとのやりとりから答えを導き出すに至ったらしかった。
「『そうちゃん』で『兄さん』ってことは――」
「……もしかして奏さんのお知り合いなんですか、その人」
「そういうこと。まさかこんなところで会うとは思わなかったけど」
肯定すると、大げさなまでの安堵の息を吐かれた。
「恋人じゃなかったんだー! 良かったぁ~…」
「……うん、よかった……」
「いやだからなんでそんな安心してるんだあんたら。マジで謎過ぎるんだけど」
そこそんなに大事かな。私に本当に恋人できたらどうするんだろうこいつら。
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