第109話 新しいヒロインは美人だが変人だという予感

「初めてのご来店ですね」


「あ、はい」


 俺のことをミスター・黒瀬くろせと呼んだ美人美容師の氷室ひむろさん。


 髪を触る優しい手つきが、俺の心を落ち着かせる。

 軽く髪に触れられただけで、この人が一流美容師であることをなんとなく感じ取ってしまった。


 特に美容室にこだわりのない俺だが、今度からはここで髪を切ることにしよう。幸い、最近は結構稼げているからお金に余裕がある。


「今日は社長・・の勧めですか?」


「はい、西園寺さいおんじさんの。無料券をもらったので」


 無料券をプレゼントするくらいだから、何かしらのコネがあるだろうと思っていた。


 もしかしたら西園寺と氷室さんは知り合いなのかもしれない。


「ミスター・西園寺にはお世話になっています。本当は彼自身か、その部下の女性冒険者に使ってもらうつもりだったんだが……まあ、いいか」


 急に口調が変わる氷室さん。

 その方が見た目に合っていて凛々しい感じはする。


 かなり魅力的だ。


「本日はミスター・黒瀬の顔の輪郭、髪質、雰囲気に合った完璧な髪型を作らせていただきます。ただリラックスして、この時間をお楽しみください」




 ***




 店内はフルーティーな香りで満たされていた。


 今はカットを終えてヘッドスパをしてもらっているが、こうやって頭皮をマッサージしてもらう機会はなかなかないので、最高にリラックスした時間を送れている。


 俺の顔にはティッシュがかぶせられ、氷室さんの綺麗な声とマッサージに全神経が集中していた。


「こう見えても、ぼくはこの店のオーナーなんだ」


 氷室さんが話し出す。

 少し話してみてわかったことだが、彼女の一人称は『ぼく』と、かなり珍しい。ボクっ娘って実在するんだな。


 中性的な雰囲気ともマッチしていて、違和感はない。


「この店の雰囲気も、香りも、スタッフも、ぼくが選んだ最高のものだよ」


「確かに、いい香りですね」


「紅茶によく合う香りだ。この匂いと共に、紅茶を味わってもらいたい」


 この店のスタッフは、全員女性で、全員が美人だった。


 顔採用だったりするんだろうか。

 全員美人ではあるものの、どこか系統は似ていて、可愛い系。楓香ふうかもまたそっち系統だな。


 極上のヘッドスパは1時間以上続いた。


 恋人がいるので不誠実かもしれないが、氷室さんの吐息が顔にかかると毎度ドキドキしてしまった。

 気分はどこかふわふわしていて、俺らしくない。


「それじゃあ、体を起こしてごらん」


 全ての施術が終わって、元気な状態で体を起こす。


 顔のティッシュからも解放された。


 だが――。


「あれ? ここは……」


「ようやく気付いたか。ぼくのヘッドスパが気持ち良すぎて、シャンプー台が沈んでいることに気付かなかったようだ」


「……」


 俺はまったく知らないところにいた。


 普通の部屋だ。

 ホテルの部屋のように清潔感があって、生活感のあまりない質素な部屋。


 隣にはベッドがあり、氷室さんはそこに腰掛けている。服装も最初は夏っぽい白のブラウスにジーンズだったのが、今ではスーツ姿――冒険者スーツだ。


「ここはぼくの家だよ。このシャンプー台は地下にあるぼくの家と美容室を繋ぐエレベーターみたいなものだ」


 気付かないうちに地下に連れてこられたわけか。


 Sランクにもなって、自分が地下に沈んでいることにも気付かないとは。呆れた……。


 そして問題は、氷室さんの正体。

 どうやら普通の人間じゃないらしい。冒険者であることは間違いなさそうだが……もしかして……。


 服装以外にも、大きく変化したところがあった。


 髪色と瞳の色だ。


 長い黒髪が長い銀髪になり、焦げ茶色の瞳は紺碧の瞳へと変わっている。これが本来の、氷室さんの姿。


「昨日助けてくれた、女冒険者……」


「やっと気付いてくれたか、ミスター・黒瀬」


「……」


「ぼくは氷室澪奈ゼロナ。気軽にゼロナと呼ぶといい。ぼくもきみのことを才斗さいとと呼ばせてもらうよ」


 まだよく状況が把握できていないが、この人とは長い付き合いになりそうだと直感的に思った。

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