猫耳魔女は恋がしたい

辻田煙

第1話

 かんかん照りの中、校舎はゆるやかでひんやりとしている。どこからともなく蝉時雨と吹奏楽部の音色が流れていた。


 歩く度にきゅっ、きゅっとリノリウムの音がこだましていく。


 俺は顎にたまった汗を拭き、一直線に階段を上る。目的の教室までには、あと一階分上らなければならない。


 普段通学用に使用しているリュックサックは、何も入っていないせいで違和感を感じるほど軽い。しかし、背中が蒸れてしょうがない。


「あっつ……」


 思わず口に出してしまい、余計に暑さが増した気がした。


 そのうち校舎ごと冷やすようになってくれないだろか。無駄遣いでもなんでも昼間は涼しくしておいて欲しい。


 そんなあり得ない想像をしていると三階の教室に辿り着き――中に入るのを留まった。


 教室と廊下を遮る引き戸は閉まっているが、窓から中がしっかりと見える。


 夏休みに入ってもう数日経っている。部活でもなければ生徒は校舎には寄りつかない。それにも関わらず教室の中には人がいる。


 扉の窓から見える景色には、一人の女子生徒らしき人物がいた。窓際席の後方から二列目。


 顔は見覚えがあるが――あいにくと猫耳と尻尾には覚えはなかった。


 芹沢千冬ちふゆだ。六月に転校してきた変人。最初こそ、その容姿端麗さで話題になったが、すぐに彼女の奇行としか思えない言動でファンは激減した。もっとも一部の野郎共は違っていたが。


 彼女は自己紹介でハーフだから、と言っていた、金髪と深い藍色の瞳。そして、しなやかに伸びる白い脚。奇行がバレるまで、男子生徒の注目を集めまくっていたものだ。


 それが今――髪の色と同じ耳と尻尾を生やし、普段ぼんやりしている瞳を蕩けさせている。まるでマタタビに当てられた猫だ。


 彼女は俺の友人の机に頬ずりしている。尻尾はゆらゆら揺れ、夢うつつと言った様子で、一向に覚める様子はない。


 中に入るのか非常に迷う。猫耳と尻尾がどういうことなのか全く分からない――それ以上に、男の机に頬ずりしている所なんて見られたくないだろうし、知られたくないだろう。


 かなり気になるが、ここはそっと出直そう――


「おー、関口ー、そんな所で何してんだ?」


「……先生」


 なんて間の悪い。


 声のした方を向くと、担任がこちらに歩いてきていた。いつもみたいに鳥の巣のように髪の毛がくるくるしている。


 ――視線を感じる。ピリピリと、痛いほどに。教室の中から。


「ちょっと忘れ物をしたことを今日思い出して……、取りに来たんです」


「おー、そうか。俺もな探し物しててなー。宿題ちゃんとやってるか?」


「やってますよ」


「まあ、関口なら大丈夫か。……なんで中に入らないんだ?」


「先生が呼び止めたんじゃないですか」


 担任と談笑しながら――ものすごく自然に教室に目を向ける。


(殺してやる……)


 教室の中にいるはずの彼女からの視線は、確かにそう訴えていた。いつの間にか猫耳と尻尾は消えている。


 引き戸に掛けた手が思わずビクッとしてしまう。


 睨み付けた目とは裏腹に耳が真っ赤になっており、不覚にも可愛いと思ったが、状況はまったく可愛くない。


 諸々気付かない振りをして、引き戸を開ける。


「おお、芹沢もいたのか。忘れ物か?」


「……そんなところです」


 不機嫌。これ以上ないくらいに機嫌が悪そうだ。少なくとも転校してきてから、今のような彼女の様子は見たことがない。担任はそれに気付かないように、彼女の近況を聞いていく。


 この鈍感さが必須なら、教師には絶対なれないな……。


 二人を尻目に芹沢の座っている席のさらに後方――窓側一番後ろの席――自席に向かって机の中で忘れた夏休みの課題を見つける。


「……おい、関口。まさか忘れ物って、それか?」


「あはは、たまたまですよ。たまたま」


「本当かぁお前? 俺が苦労して用意した課題忘れるなよ。お前だけ二学期の課題倍にするぞ」


「それはやめてください……」


 本当にやめてほしいが、いまいち会話に身が入らない。しかし、このまま担任と話したまま出ていけば、逃げられるかもしれない。この絶対的な窮地から。


 見つけ出した課題をリュックサックに収めながら、この場から逃げる方法を考える。


「――先生、今日のお仕事はもう終わったんですか?」


 にっこりとした笑顔で芹沢が言う。だが、まだ耳は赤い。


「ん? ああ、まだだよ。学生のお前らと違って休みじゃないからなー。ああでも探してたやつは見つかった。なんで、こんな所にあったんだかなー」


 担任は教卓で探し物を見つけたらしい。ほっとした様子で教室を出ようとする。


 俺もそれに続こうとしたが――


「関口りょうくん。どこ行くの?」


 フルネーム呼び。一応、隣の席ではあるものの、されたことのない呼ばれ方に身体が固まりかける。しかも、右腕をしっかりと痛いくらいに掴んでくる。


「いや、俺の用事は終わったし帰ろうかと……」


「へえ、でも私とお話しすること、あるよね?」


 こいつ力強くないか? びくともしない。


「……お前ら、喧嘩はほどほどになー」


 なにやら勘違いしていそうな担任が、ニヤニヤしながら手を振り、教室を出て行ってしまう。


 夏休みの昼下がり。しかも教室に女子と二人っきりだ。状況が状況なら喜んでいるが――右腕の痛みがそれを許してくれない。


「……さて、関口亮くん。席に座ってくれる?」


「俺は何も見てない」


「それは無理があるんじゃない? しっかりと目が合ったと記憶してるんだけど」


 何を話しても逃がしてくれなさそうな彼女を見て、諦めがついた。腕を掴まれたまま隣の席に座る。


 スマホを取り出した芹沢は、なにやら操作するとカメラをこちらに向ける。


「なんだ?」


「写真」


「写真?」


 なにも分からないまま問答無用でシャッター音が鳴る。


 やけに明るいフラッシュを浴び、目が潰れそうになった。


 芹沢は写真を確認しているのかスマホを弄り始める。


「これでよし。もう帰っていいわよ」


「……何を言ってるんだ?」


 なにがよしなのかまったく分からず、思わず聞くと――彼女は目をパチクリとさせた。


「帰っていいわよ」


「いいのか? 帰って」


 何かは分からないが、てっきり弱味を握られ恐喝でもされるのかと思ったが、なんなんだろう、この状況は。


 あまりの呆気なさにどうしていいか分からず動けずにいると、芹沢は再びスマホを構えた。


 何も言わず、無言でシャッター音だけが鳴り続ける。フラッシュが鬱陶しいほど襲ってくる。


 思わず彼女のスマホを掴んだ。


「おい、いい加減にしろ。さっきからなんなんだ」


 ようやく連写音が止まる。しかし、芹沢はスマホを見たままだ。


「そんな、本当に効いていない? じゃあ、こいつが……?」


「おい? おーい?」


 やや俯いて一人でぶつぶつ言い出し、完全に蚊帳の外に置かれてしまった。一体、何がしたいのかまるで分からない。


 かと思うと突然バッと顔が上がり、両肩を掴まれる。


「大丈夫よね?」


「は?」


「まだ一人目だし。もっといるはずだし。見つかってないだけ。そうよね?」


「おい、何の話――」


「そうよね?」


「……そうだな」


 あまりの目の真剣具合に、思わず頷いてしまった。友人の名が出てかなり気になるが、その空気じゃない。


「うん、そうよね、そうよね――」


 一人の世界に入ってしまった。もう帰っていいだろうか。


 また顔が上がる。今度は満面の笑みだった。


「ところで、さっき見たものは忘れなさい。いいわね」


「猫耳と尻尾か?」


「いいから、忘れなさい」


「分かった、分かった。忘れるよ」


 そうは言ったものの忘れられるかは怪しかった。


 どんなに覚えなくちゃいけないものでもなかなか覚えられないものがあるように――例え一瞬でも、妙に頭に焼き付いて離れないものはある。天才なら意図的に覚えられたり、忘れたり出来るのかもしれないが、あいにくと俺は違う。


 これは――離れない方のやつだな。そんな気がしてならない。


 言葉の裏にある本心が透けているのか、やけにじっと芹沢が見てくる。目の奥にある心の言葉を読み取ろうとしてるかのようだった。


「……まぁ、今は信じるわ」


 なぜ偉そうなのか。彼女は手を離すと、自分のリュックサックをもって立ち上がり――鋭く睨み付ける。


「他の人間に言ったら――」


 芹沢は親指を立て、その指で首を切った。……どうやら誰かに漏らしてしまったら殺されてしまうらしい。


「分かった?」


「はい」


 まだ死にたくはないので素直に応じることにする。


「よし。いいでしょう」


 それだけ言うと、彼女はすたすたと教室を出て行ってしまった。


 居なくなってから数秒後、長い溜息が漏れる。


「……なんだったんだ、一体」


 椅子に背中を預け、天井を見上げる。窓からの真夏の日差しが脚に熱をもたらし、潮騒のように吹奏楽部の演奏が耳に入って来る。


 一連の流れが頭の中で蘇り、その意味を考えてみたが――


「いや、マジでなんだったんだ……」


 最初から最後までまったく理解は出来なかった。気にはなるが、あの脅しようだと――まあ、もう二度と関わることはないだろう。

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