吐き飛ばせソシャゲ世界

おおお

#序

「まず要点を言うなら、あなたは死ぬの。もうすぐ。私が死ぬ方を選んじゃったの。ソシャゲの、選択肢で」


 京屋きょうやツバキは、彼女の才色兼備と名高い、いつもの涼やかな振る舞いのまま、そう口走った。


 これを言われた方、学ラン姿の男子、呉秀くれみつ青一郎せいいちろうは、カフェのテーブル越しに向かい合うクラスメイトを一瞥してから、ごほ、と一つ咳き込んだ。咽せたというより、腹の底からせり上がってきた不快感を誤魔化すための咳だった。


(うおっ、至極まじめな顔で妄言を吐きなさる。おつむ、イカれたかな?)


 呉秀は内心で毒づく。違う? 違うなら、そういう命に関わるクリティカルな案件は、もっと早く、そう、出会って三ヶ月も経つ前、せめて一ヶ月前にでも報告してほしかった。というか、なぜ今なんだ。


 《三宝》中学・高等学校の才媛として知られる京屋ツバキは、呉秀の四白眼しはくがん――白目の面積が多く、黒目がぽつんと浮いて見える、爬虫類じみたこの目を――から視線を逸らさず、言葉を継いだ。


「この世界はソシャゲなのよ。『ペイル=ハイライト』って名前の。私が前に居た世界では、そうなの。フィクションだったのよ、あなたの生きるこの世界は」


 呉秀は、整えようとした息がまた乱れるのを感じ、顔をしかめた。ここは京屋が「話がある」と言って連れてきてくれた、闇市のはずれにある小洒落たカフェだ。出された合成コーヒー――通称Sコーヒー――の、妙に甘ったるい香りが鼻につく。いかにもイヤそうな顔をしている自覚はあった。


 と、テーブルの下で、つま先に鈍痛が走った。見れば、京屋の履いた、よく手入れされた革のブーツが、呉秀のくたびれた防水スニーカーをぐり、と踏みつけている。さらに力を込められ、呉秀は顔を歪めた。京屋が、テーブルの上をとん、と指で叩く。話を聞け、という合図だ。


 呉秀は渋々、テーブルの上へと向き直った。胃のあたりがぐるぐると嫌な音を立てている。ヘドでも吐きそうだ。


 京屋は、呉秀のつま先を踏みつけたまま、今度は小首を傾げ、なぜか得意げに目を細めて微笑んでいた。


「呉秀くん、私の言ったこと、おかしいと思う? でも事実なの。私、転生してきたのよ。で、そのソシャゲ、『ペイル=ハイライト』にはね、最初の選択肢があるの」

「選択肢……」

「そう。『呉秀青一郎を殺しますか? 《はい》 《いいえ》』……ってね」


 なんの前置きもなく、プレイヤーはこれを選ばされるのだという。物語を始めるために。舞台の幕を上げるために。


「……で、京屋さんは、殺す方を、選んだ、と」

「うん。……面白そうだったから」

 てへっ、と舌を出す京屋に、呉秀は眉間の皺を深くした。

「だから謝るわ。ごめんなさい」


 すん、と真顔に戻り、京屋は綺麗に頭を下げた。そのプライドの高い彼女らしからぬ行動に、呉秀はややあっけにとられる。


(ソシャゲか……)


 呉秀は自分のスマホに入っている、数少ないゲームアプリを思い出す。前文明――七百年ほど前の『令和』とかいう時代の遺物を再現したという触れ込みの、古風なドット絵のRPGだ。もしこの現実がソシャゲなら、京屋の頭に天井ガチャSSR級のクルクルパーでも当たったのかもしれない。大凶である。病院で治る類のものだろうか。


 腹の張りが苦しい。また、ごろごろと喉が鳴る。吐き気がせり上がってくる。呉秀は俯き、そっと腹を撫でた。


「……それで、いつ僕は、死ぬんですか?」

 顔だけを上げ、見つめ返す。京屋は笑みを消し、下唇をきゅっと噛んで、ただ強い意志を宿した瞳で呉秀を見返してきた。つま先を踏む力は弱まっている。


「ごめんなさい、正確な日までは分かんない。でも、ソシャゲのメインストーリーが始まるのが、たしか主人公――私じゃないわよ?――が高校二年生になる直前の冬休みだったはず。……だから、私たち今、高一の終わりでしょ? 多分、この冬休みのうちに、呉秀くんは」

「死ぬわね、と」

「うん。まあ、死ななきゃそれに越したことはないけど、死ぬわね、きっと」

 あっさりと言い切る。綺麗さっぱりイカれている。真剣そのものの瞳だ。処置なし、か。呉秀はひとつ、ちいさなゲップを飲み込んでから、促した。

「京屋さん、詳しく……聞かせてください。変な話を……し始めたからには、最後まで……聞きたい」

「──ええ! ありがとう、呉秀くん!」


 ぱあっと顔を輝かせ、京屋は身を乗り出した。その拍子に、彼女が着ている桜色のカーディガンの前が開き、Vネックの白いシャツの奥、鎖骨の下の白い肌にある小さなほくろと、そのさらに下の、仄暗い谷間がちらりと見えた気がした。呉秀は慌てて視線を逸らし、冷めかけたSコーヒーを口にした。苦味と酸味、そして奇妙な甘さが混じった、人工的な味がした。


 京屋が饒舌に語り始めた、その時だった。


 ブウウゥゥ――――――――ンンン…………


 空気を震わせるような、地鳴りのような重低音が響いた。カフェの窓ガラスがビリビリと震え、テーブルの上のカップが微かに揺れる。天井から響いているのではない。もっと巨大な何かが、この都市の上空にいる。


 呉秀は、席のすぐ横にある窓を見たかった。だが、体が鉛のように重く、動かせない。本能的な恐怖が、思考を麻痺させる。


 刹那、窓の外が、金色に染まった。雷光だ。


 稲光がカフェの店内を一瞬で白く満たす。ほんの一瞬の無音。そして――


 ドゴォォォォォン!!!!


 鼓膜を突き破るような轟音。衝撃波が建物を揺らす。店内の照明が一斉に消え、テーブルの上のランプの頼りない灯りだけが残った。今はまだ、昼下がりのはずなのに、まるで夜になったかのようだ。


 呉秀は、やっとのことで窓の外を見た。


 そこには、信じがたい光景が広がっていた。


 ついさっきまであったはずの、バラック建ての家々が密集する区画が、巨大なクレーターのように抉れ、黒い焼け跡と化していた。燻る炎が、夜のような暗がりの中で赤黒く揺らめいている。


 雷が落ちたのだ。いや、違う。呉秀は空を見上げた。


 空にいる『何か』が、雷を「吐いた」のだ。


 呉秀は目をこすり、もう一度見上げた。夜のように暗くなった空の高み。そこに、異形の影が浮かんでいた。巨大な四枚の翼。三日月のように湾曲した、しかし生物的な質感を持つ胴体。そこから伸びる、異様に長い二本の首。そして、それぞれの首の先には、ワニの顎をさらに凶悪にしたようなかんばせがあった。


 あれは、怪獣だ。


 呉秀はこの世界で十数年を生きてきたが、怪獣などお伽噺か、終末前の記録映像の中にしか存在しないものだと思っていた。だが、今、目の前にいる。冬の空を、雷電を纏いながら、悠々と飛翔している。


 怪獣は、四本の、まるで象のそれのように太い足を器用にたたみながら、二つのかんばせの巨大な顎をゆっくりと開いた。その奥が、禍々しい金色に輝く。


 再び、雷光が迸った。


 少し遅れて、轟音。窓の向こう、遠くに見えるバラックの山が、頂上から凄まじい勢いで崩落していく。新たな火の手が上がり、あっという間に燃え広がっていく。地獄のような光景だった。


 焼け崩れる建物から、蟻のように小さな人影が這い出してくるのが見えた。悲鳴が、遠吠えにかき消される。


 呉秀はそのとき、見つめられている気がした。彼は直感のままにその方を向いたが、窓の彼方を見るだけだった──その時、怪獣が雷光を放った。なので、さっき彼を見つめていた眼光は、今や雷に打ち消されてしまった。


 呉秀は、はっと隣を見た。京屋は、窓の外の惨状を、まるで映画でも観るかのように静かに眺めていた。その横顔が、燃え盛る炎の色に赤く照らされている。


「京屋さんか? ……これ、もしかして……分かってたのか?!」

「いいえ? 怪獣が出るって話はソシャゲにもあったけど、今日、このタイミングとはね。……ちょっと、やばそう? 店、出ましょうか」


 京屋はこともなげに言うと、すっと立ち上がり、席にかけていたステンカラーコートを手早く羽織った。漆黒の長い髪をお団子にまとめた上からフードを被り、残っていたSコーヒーを一気に飲み干してから、呉秀を目で促した。


 呉秀は、学ランに赤いスウェット、よれよれのジーンズという、上着代わりに学ランを羽織っただけの格好のまま、逡巡した。今日、ここで死ぬのか? 京屋の言う通りに?


 いや。


 呉秀は、京屋の問いかけるような目を見て、聞いた。低く、掠れた声が出た。


「……なんで僕は、死ぬんだ? ソシャゲの中で、死んで、どうなった?」

「何でかは、よく分からない。でも、あなたが死んだ後の世界は……面白かったわよ。私、初めてゲームに課金したくらい」

「くそっ……」

 呉秀は立ち上がった。腹の不快感は、奇妙な高揚感に変わっていた。

「じゃあ僕も、その『面白い世界』に……生きてやりますよ。たとえ、乙女ゲームだったとしてもな……!」

「ふふ、女の子の可愛いキャラも、たくさんいたわよ?」


 京屋は、呉秀の四白眼――いつもは爬虫類のように冷たく見えるその目が、今は爛々と、狂的な光を帯びて輝いているのを、満足そうに見ていた。


 二人はカフェを飛び出した。燃え盛る街を背に、怪獣が飛んで行った方向とは逆へと、ただひたすらに駆け出した。


 京屋が先導し、呉秀がその後を追う。呉秀は走りながら、無意識に腹をさすっていた。吐き気はまだある。だが、それ以上に、腹の奥底で何かが熱く、蠢き始めているのを感じていた。


(見てろよ、ソシャゲの世界とやら……。俺は、まだ死んでなんかやらない)


 そのとき呉秀の四白眼が、夜空を焦がす炎と雷光、あるいはソレ以外にも空のあいだから見つめてくる、まるで目のような星々、それらの光すべてを受けて、ぎらりと光った。

 その輝きを、隣を走る京屋は見逃さなかった。彼女は、口元に仄かな笑みを浮かべていた。彼女がこの世界に来てからずっと求めていた、その狂おしい輝きを、今、確かに目にしているのだから。

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