第5話 ブチッ!

「なぜメイド服を着てるの!?」


 現れたフィフィーちゃんは、黒のロングワンピースと白のエプロン姿という、屋敷で働くメイド達と同じ格好をしていた。部屋の入り口で所在なげに立つ彼女は、小首を傾げて当惑した表情を見せる。


「え、あの……お、お義母様が普段はこれを着るように仰って……」


(ロ……っ、ロザリアァァァァッ!)


 思わず頭を抱えてしまった。


(花嫁修業に来てくれてる許嫁に、メイド服を着させるってどういう神経してるの!?)


 公爵家のご令嬢で我が家の許嫁だというのに、今の彼女の姿は到底貴族とは思えない。豊かな黒髪は顔の両側で三つ編みに結われ、飾り気ひとつなく、よく見れば、黒いワンピースも、昨日私が目が覚めて駆けつけてくれた時に着ていたものだ。昨日は、随分とシンプルなドレスだなとしか認識していなかったが、まさかメイド服の一部だったとは。


(ロザリアが目の前にいたら、思いっきり張り手をくらわせてるわね……)


 こめかみを揉んでいると、「そ、それでお義母様」と控えめな声が掛かる。


「わたくし、また何かしてしまいましたでしょうか。も、申し訳ありません」


 入り口に佇んで、部屋には一歩も入ってこないフィフィーちゃん。昨日と同じように、身体を縮めて視線を床に落としている。私はまだ何も言っていないのに、彼女はすでに自分がミスをしたかのように、自責と謝罪の言葉を口にした。


(どれだけ……っ)


 どれだけ彼女を責めてきたら、このようになるのか。

 膝の上に置いていた手が拳を握っていた。


「いいえ、大丈夫よ。あなたは何もしてないわ」


 私は殊更柔らかい声で言った。これ以上、彼女を怯えさせたくはない。


「私が一緒にあなたとお茶をしたくて呼んだの」


 パッとフィフィーちゃんの顔が跳ね上がった。

 その顔には、戸惑いと驚きが混在している。


(あぁ、本当は喜んでほしいんだけど……仕方ないわ。少しずつよ、少しずつ)


 笑顔で柔らかく誘ってもこの反応。道のりの険しさが窺えるが、だからといって諦めるわけにはいかない。私には、彼女を幸せにするという野望があるのだから。


「さあ、そんなところに立ってないで、こっちにいらっしゃい」

「は……はい」



 


 二階にある私の部屋は、この屋敷の中で一番良い部屋なのだろう。

 日当たり抜群で、三つ並んだバルコニーへと繋がる窓から、ほどよい暖かさの斜光が美しく射し込んでいる。


 私達が座る窓付近に置かれた丸テーブルにも、午前中特有の柔らかな光り落ちているのだが、向かいに座るフィフィーちゃんの表情は曇ったままだ。黒いロングワンピースを着ていることもあり、尚更暗く見える。ちなみに、白いエプロンは脱いでもらった。メイドの格好のままお茶というのも、落ち着かないだろう。


 彼女自身が淹れた紅茶にも――私が淹れようとしたら思いっきり遠慮された――、まったく手をつけていない。


「あ、あの、フィフィーちゃん。今朝は朝食の席にいなかったみたいだけど、具合でも悪かったかしら? 昨日は顔色も良くなかったし……」

「い、いえ! わ、わたくしは病気などいたしませんので、ご、ご安心ください……!」


 フィフィーちゃんは、慌てたように居住まいを正して勢いよく頭を下げた。

 病気をしないからではなく、とはまた妙な言い様だ。まるで病気することが罪のような言い方だ。


 しかし、何はともあれ彼女が健康ならば、それに越したことはない。


「なんともないなら良かったわ」


 私は安堵の息を吐いたのだが、対する彼女は怪訝そうに眉をひそめていた。目が『どういう意味』と言っている。


(心配すらも疑問に思われるなんて……トホホ……)


 改めて思うが、今までロザリアは彼女にどんな態度をとってきたのか。


(あ~~っ、前世のこと思い出してきた~。そういえば、私も風邪で寝込んだ時、姑に『役に立たないのなら目につかないところに行ってろ』って言われたっけ……はぁ~~っ、腹立つぅぅぅ!)


 しかも、その日の夕食は、私以外の家族皆でお寿司を食べに行ってたんだっけ? しかも、回らないやつ。たっかいやつ。当然、手土産もなし。私だけラマダン期間に入ったのかと思ったわ。


 はぁ……、きっとロザリアも似たような態度を彼女にとってきたのだろう。


「もし起きるのが遅くなって朝食をとってなかったら、セバスチャンに頼んで、ここに食事を持ってきてもらおうかと思っただけなの。だからそんなに気にしないで」


 彼女の意図を読んで先に答えてやれば、彼女は珍しいものでも見るように何度も瞬きをしていた。確かに、彼女にとったら今の私は珍獣に見えているのかもしれない。


 瞬きする瞳の中に、微かな警戒と不安が見てとれる。

 つい先日までいびってきてた姑が、いきなり距離を近づけてくればそりゃ誰だって警戒するっての。


(少しずつ……少しずつよ……)


 とりあえず紅茶をひと口飲んで、心を落ち着ける。


「お、お気遣いありがとうございます。しかし、朝食はとりましたので」

「え、どこで?」

「えっと、いつもの使用人棟の食堂ですが……」


 ブチッ、と聞こえてはならない音が頭の中で聞こえた。




        ◆



 

「――布団はもっと明るい色にしてちょうだい! そっちの椅子も質素だから、私の部屋にあった赤いのを持ってきて! ああっ、違う違う、その鏡台はその右奥の壁に!」

「かっ、かしこまりました、奥様ー!」


 私の指示で、二階にある使われていなかった客間が急速に整えられていく。家具や寝具を持ったメイド達が、部屋をバタバタと縦横無尽に駆け回り、出たり入ったりの大忙しだ。


「あ、あの、お義母様……」


 可憐な声が聞こえて振り向けば、入り口から顔を覗かせるフィフィーちゃんがいた。ばたばたとメイド達が出入りしているから、邪魔にならないようにしているのだろう。なんて良い子なのかしら。


 私は彼女に向かって入っておいでと手招きをした。

 トランクを手にしたフィフィーちゃんが、怖ず怖ずと部屋に入ってくる。左右をキョロキョロと見回す様は、状況が理解できないといったところだろう。


「ちょうどよかった、フィフィーちゃん。勝手に部屋の色を整えさせてもらったんだけど、ピンク系は苦手じゃなかった? 好き?」






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