第8話 他者の心

ある日、親友がまるで別人のように思えた。長年の付き合いがある彼が、まるで見知らぬ誰かのように感じられたのだ。彼はいつもと同じように笑い、話し、冗談を言っていた。しかし、その言葉の奥にある何かが、これまでの彼とは違っているように思えた。


「あんた、最近ちょっと変わった?」


そう尋ねてみても、「いや、そんなことないけど?」と彼は首を傾げるだけだった。確かに、表面的には何も変わっていないのかもしれない。だが、私は彼の心が遠くに行ってしまったような感覚を拭えなかった。


私は不安になり、考え込んでしまった。私たちは、本当に他者の心を理解できるのだろうか? 私が「彼」を知っていると思っていたのは、単なる幻想だったのか?


この疑問を抱えたまま、私は「フィロソフィア」の扉を開いた。


「いらっしゃい」


カフェのマスター・井上さんがいつもの落ち着いた声で迎えてくれた。


私はカウンターに腰を下ろし、コーヒーを注文した。だが、なかなか本題を切り出せず、しばらく沈黙が続いた。


「何か悩んでるのか?」


井上さんがふと尋ねた。


「……実は、親友が別人のように感じるんです。でも、彼は何も変わっていないと言うし、実際に話してみても表面的には変わっていません。ただ、どうしても違和感があるんです」


井上さんはゆっくりとコーヒーを淹れながら、「なるほどな」と頷いた。


「それは興味深いな。君は、相手のことを理解しているつもりだったのに、突然その理解が揺らいでしまったわけだ」


「そうなんです。他者の心って、本当に理解できるものなんでしょうか?」


井上さんは少し考え込み、静かに言った。


「他者の心を理解すること――それは、哲学でも永遠の問いだな」


ちょうどそのとき、カフェのドアが開いた。現れたのは、大学の哲学教授である中村さんだった。


「おや、何やら面白い話をしているようだな」


中村教授は席に着きながら言った。


「ちょうど、『他者の心は理解できるのか?』というテーマで話していたところです」


「それは実に興味深い問いだ」


中村教授は頷いた。


「哲学の歴史でも、この問題は長い間議論されてきた。たとえば、20世紀の哲学者ウィトゲンシュタインは、他者の心を直接知ることはできないと考えた」


「ウィトゲンシュタイン?」


「彼は、『私たちは他者の心を推測することしかできない』と言った。つまり、私たちは相手の言葉や行動から、その人の内面を推測することしかできない、というわけだ。だが、推測に過ぎない以上、それが本当に正しいとは限らない」


私は思わず息をのんだ。


「つまり、私は親友の心を理解していたつもりでも、それは単なる推測に過ぎなかった?」


「その可能性はあるな」


中村教授は頷いた。


「実際、他者の心がどうなっているのか、確証を持つことは不可能だ。私たちは常に、言葉や表情、行動から相手の感情を読み取ろうとするが、それは100%の確実性を持たない」


井上さんがふと、「言葉の問題もあるな」と口を挟んだ。


「スイスの言語学者ソシュールは、『言葉は記号に過ぎず、完全に相手の思考を伝えることはできない』と言っていた」


「言葉が記号?」


「そう。例えば、『悲しい』という言葉を使っても、私が感じている『悲しさ』と、君が理解している『悲しさ』が同じとは限らない。結局、私たちは『言葉』を使って他者とコミュニケーションを取るが、その言葉が本当に相手の心を反映しているかは分からない」


「つまり、私たちは他者の心を理解しているようで、実際にはかなり限定的な理解しかできていない?」


「その通りだ」


中村教授が補足した。


「他者の心を完全に理解することは不可能かもしれない。だが、それでも私たちは、お互いに言葉を交わし、共感し合おうとする。だからこそ、コミュニケーションは重要なんだ」


私は少し考え込みながら、「でも、それだと私たちはみんな孤独なんでしょうか? 誰とも本当には理解し合えないということですか?」と尋ねた。


「いや、そうではない」


中村教授は微笑んだ。


「哲学者ハイデガーは、『人間は共に存在する存在(共存在)である』と言った。つまり、私たちは他者の心を完全に理解することはできなくても、それでも共に生き、影響を与え合う存在なのだ」


「他者を完全には理解できなくても、一緒にいることには意味がある?」


「そうだ」


中村教授は頷いた。


「むしろ、完全に理解できないからこそ、人はお互いに関心を持ち、対話を重ねるのかもしれない」


私はその言葉を聞いて、少し心が軽くなった。親友の変化に戸惑いを覚えたが、もしかすると、それは彼が別人になったわけではなく、単に私が彼の心の一部をまだ知らなかっただけなのかもしれない。


「結局のところ、他者の心を理解するというのは、一方的に知ることではなく、相手との関係の中で常に新しく築いていくものなのかもしれませんね」


「その通りだ」


井上さんは微笑んだ。


「相手を知ろうとし続けること、それが大切なんだろうな」


他者の心を完全に理解することはできない。ウィトゲンシュタインやソシュールの言う通り、私たちは言葉や行動を通じて相手の心を推測するしかないのだろう。しかし、それでも私たちは、相手を知ろうとし、共に生きる。


理解しきれないからこそ、私たちは関心を持ち、対話を重ね、共に時を過ごしていく。


私はコーヒーを一口飲みながら、親友にもう一度会ってみようと決めた。彼が変わったのではなく、私がまだ知らなかった部分があるだけかもしれないのだから。

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