7 一粒の雫
パニッシャーの数はかなり減って、もう一〇機もいない。クラコゾンも数えるほどしか残っていない。全滅は時間の問題だが、こっちの方も被害があった。
トリトンギアは一機やられていた。ワークギアは七機。船も二隻転覆し、三隻が沈みかかっている。
クラコゾンの新手は止まっていた。バイオセプトの増援も今の所無いようだった。最初の状況を思えば、この程度の被害ならまあ上出来だろう。
「大体やっつけましたね」
パティスの声が聞こえるが、俺は無視した。だが向こうは気にする様子もなく話しかけてくる。
「ここまでの乱戦は初めて見ました。バニシングをやっつけたのも初めてです」
「そうかよ、いい土産話が出来たな」
俺が皮肉でそう言うと、パティスは嬉しそうに返事した。
「はい! 帰ったらみんなにも自慢できます!」
俺は調子が狂いそうだったので、それ以上相手にしないことにした。港までは二時間余り。それまで守り抜けば任務は終わりだ。無視していればいい。
そう思った矢先、爆発のような音が聞こえた。そしてでかい水柱が一〇〇メートルほど離れた水面に上がる。
「何だ……?」
壊れたストラトスが爆発することはたまにある。だがあんなに派手な音はせず、もっと地味だ。水柱が収まって光学装置で拡大するが、そこには何もなかった。そう、何も……。
「いや、いたはずだ……」
さっきまであの辺にワークギアが一機いたはずだが、その姿がない。損傷して沈み、爆発したのか?
再び爆発音がし、そして水柱が起こる。さっきの場所から五〇メートルくらい離れた位置だった。そして俺は確信する。またワークギアが消えている。
「ラケルさん!」
「分かってる!」
俺は水柱の起こった場所に向けて加速し、オープン回線で全員に呼びかける。
「新手だ! クラコゾンが来てるぞ!」
そう言った瞬間、また別の場所で水柱が起こった。今度ははっきり見えた。後進していたワークギアが、水柱に呑まれて姿を消していた。真下から襲われて引き込まれて、その衝撃が爆発音のように聞こえ海面に水柱が立っているのだ。恐らく、大型のクラコゾンだ。俺は緊張でつばを飲み込む。
大型のクラコゾンは個体数が少ないらしく、めったに現れない。大きさは一五メートルとトリトンギアよりでかい。大きさに比例するように皮膚組織もより頑丈で、力も強い。防衛任務が失敗し船が全部転覆するような大損害を出すことがあるが、それは大抵大型クラコゾンが原因だ。
「ワークギアは船団の右側に退避しろ! トリトンは左側に集まれ! 仕留めるぞ!」
俺はレーダーを睨むが奴の姿はない。近くにいるはずだが、どうやらレーダーに映りにくい浅い部分を泳いでいるようだった。
俺は海面に浮かぶワークギアの千切れたアームをつかみ、それを引きずって進んでいく。水を切る音が響き渡り、白波が尾を引いていく。音で奴をおびき出す。
だが水柱は違う所で上がった。狙われたのは俺じゃなく、別のトリトンだ。水柱と一緒にトリトンのボディが浮き上がり、その右の浮揚機構にクラコゾンが食らいついているのが見えた。
でかい……やはり一五メートルはある。口もトリトンの下半身全部を一機に飲み込めそうなくらいでかかった。そのでかい口が右足を噛み砕き、腰の部分までを食い千切った。そして海中に沈み込んでトリトンを引きずり込む。
だがトリトンのボディは腰の部分で千切れ、上半身は海面に仰向けになってかろうじて浮かんでいた。だがクラコゾンは間髪入れず再び海面から顔を出し、残った上半身にも食いついた。振り回すように左右に振り、そして胴体の操縦席の部分が噛み砕かれていく。
そのクラコゾンに別のトリトンが接近していた。加速しながらナイフを振り上げ、クラコゾンの脳天に向かって振り下ろす。脳を狙う位置だ。だがクラコゾンは体を捻り、食らいついているトリトンのボディを盾にするようにした。攻撃を仕掛けたトリトンはナイフを弾かれ、ボディを激しく叩かれて姿勢を崩す。
クラコゾンはその隙を見逃さなかった。いや、そうなるように狙ったのかもしれない。食らいついていたトリトンを放すと、すかさず姿勢を崩したトリトンに牙を剥いた。
ボディを正面から捉え、勢いよく巨大な口が閉じられる。トリトンのボディは抉られるように消失し断面を覗かせ、操縦席はクラコゾンの口の中だった。クラコゾンは食い千切ったボディを吐き出すと、再び海中に潜航した。
「なんて奴だ……!」
誰かの漏らした声が通信で聞こえた。俺も同感だった。
でかいクラコゾンは長生きで、それに比例して知能も高くなる傾向がある。今見た動きには知性を感じた。それに、さっきからレーダーに映らないのも、映りにくい水深を理解してそこを泳いでいるからだ。奴は俺達との戦闘を生き残り、様々なことを学習した個体だ。
「だからって……好きにさせてたまるかよ!」
俺はスクリューを全開にし、奴が潜航した辺りを目指す。可能な限り騒音を立てて奴の気を引く。そして、俺が奴を殺す。これ以上他の連中は殺させない。
思い切り喫水を深くし、海水を盛大に跳ね上げる。俺の意図を察したのか他のトリトンは離れていく。浮かんでいるゴミもよけず、スクリューとぶつかって激しい音を立てる。蛇行し、海面をかき回す。まだか? 奴は来ないのか?
「後ろです!」
パティスの声が聞こえた。正面モニターの下にある小さなバックモニターに背後の様子が映る。スクリューが起こす波しぶきの真ん中、俺の真後ろに海面から飛び出す背鰭が見えた。それが一瞬沈み込むのが見え、俺は反射的に機体を反転させ海面を滑る。
奴の鼻面が海水を吹き飛ばしながら飛び出してきた。次に見えるのは牙、そして赤黒い口腔。食いつかれればさっきのトリトンのように死は確実だ。だが上等だ。お前のでかい口は、同時にお前の弱点。脳天に穴をあけてやる。
反転した俺のトリトンの速度より、飛び掛かる奴の方が速い。だがこっちには圧縮空気がある。俺はペダルを踏み、右足の圧縮空気を噴射する。左に動いてこいつを躱し、すれ違いざまに口の中にナイフを叩き込む。それで終わりだ。
だが、妙なものが見えた。トリトンのナイフ……海面から出てきた奴の手にそいつが握られている。クラコゾンの腕が動き、そのナイフが俺のトリトンの右足に突き刺さった。
「うあっ?!」
右のスクリューが折れる激しい音がし、浮揚機構の内側から飛び出して吹っ飛んでいった。俺の機体は制御を失い回転する。かろうじて体勢を立て直すが、右足は完全に死んでいる。何とか沈まないようにバランスをとるのが精一杯だった。
クラコゾンは俺から二〇メートルほど離れた位置でこちらの様子を見ていたが、動けないことが分かったのか動き出す。ストラトスはクラコゾンと戦えるが、それは海面で高い機動性を発揮するからだ。動けないなら、それはただの鉄の棺桶だ。
「これまでか……」
お前は特別だというパティスの言葉を思い出した。このざまで特別? 冗談じゃない。俺も結局、ただの普通のパイオニクスにすぎない。居住区に押し込められ、海で死ぬ。ただのちっぽけな一滴にすぎない。
迫りくるクラコゾンに、俺はナイフを構えた。せめて、相打ちに持ち込んでやる。奴の口が迫る。一本一本が俺の身長くらいありそうな黒光りする牙。その内側に、無防備な奴の脳みそがある。
「ラケルさん!」
死を覚悟した俺の耳にパティスの声が響いた。そしてエクスギアが右からトリトンに突っ込んでくる。
「なっ?!」
再びすさまじい衝撃が俺の機体を襲い、俺は状況を見失う。モニターもブラックアウトし、計器類が火花を散らした。
「……パティス?」
数秒後に復旧したモニターに、パティスのエクスギアが映っていた。だがボディの一部と右腕が食い千切られ、動力が切れたかのように項垂れていた。クラコゾンはそのエクスギアを腕で押しのけ、水を蹴って俺の方へ進んでくる。
「パティス……何で……?!」
俺を守ったのか? パティスから返事はない。そしてクラコゾンは待つ余裕を与えない。向こうに接近してくるトリトンが見えるが、助けに来たにしても遠すぎる。あいつらがここに辿り着くころには、俺はこいつの腹の中だ。
何故、俺の身代わりになったんだ? あの強力なランサーロッドで横からクラコゾンを刺し殺せば、それで済んだはずだ。間に合わないと思って、それで俺を守ることを選んだのか?
クラコゾンが俺に接近する。そして俺は、海面に浮かぶパティスのランサーロッドを見つけた。左脚だけでそこまで行けるか? いや、行くしかない!
俺は左のスクリューを全開にして進む。片脚なので偏心するが、機体を傾けて帳尻を合わせる。ランサーロッドに手が届き、俺はそれを左手で拾い上げる。クラコゾンはさっきと同じように口を開け俺に迫っていた。
「死んでたまるか!」
残った左脚の圧縮空気を噴射し、俺はトリトンの機体を海面から跳ね上げる。奴を殺すには、脳天からランサーロッドを叩き込むしかない。
クラコゾンが俺の姿を目で追うのが分かった。そして奴は上体を逸らし、その巨体を海上へと跳ね上げた。尾鰭と足の水噴射だ。俺の動きを読んでいたかのように、奴のでかい口が俺を追いかけてくる。
最悪だ。脳が狙えない。でかい牙が邪魔で正面からは無理だ。奴の頭の上にも行けない。そして圧縮空気による上昇が止まり、下降に転じる。落ちる先は奴の口の中だ。
だが……一つだけ可能性がある。うまく動いてくれれば、奴の頭の上を狙える。パティスの言っていた三次元的な空間把握能力……それが俺の行動を決めさせた。
トリトンの右手のナイフを、俺は壊れた右の浮揚機構に突き立てさせた。同時に爆発が起こり右脚が吹き飛ぶ。内部に残っていた圧縮空気の装置を破壊したのだ。
トリトンの体が衝撃で動き、クラコゾンの背中の方に落ちていく。奴の牙が遠ざかり、そして脳天が見えた。俺はランサーロッドをクラコゾンの脳天に叩き込み、そして海面に落下した。
機体が深く沈み込み、一瞬海に飲み込まれる。だが機体には浮力があり、仰向けの姿勢ですぐに浮かび上がっていった。モニターには空が映っている。
「やったぞ、ラケルがやりやがった!」
通信が聞こえ。俺はモニターを三六〇度モードに切り替える。すぐ隣にさっきのクラコゾンが浮かんでいて、脳天からランサーロッドを生やして息絶えていた。
駆け付けたトリトンギアが周囲を旋回し通信で呼びかけてくる。俺はキャノピーをあけ、外に出た。
クラコゾンの死体。歓声を上げるように走り回るトリトンギア。ワークギアも来始めている。まだ任務は終わっていないのに、もうはしゃいでやがる。
そして、俺は正面に見えるエクスギアを見た。ゆっくりと海面を漂っていて、ちょうど正面がこっちに向いていた。操縦席の部分が大きく抉られ、内部の断面がのぞいている。パティスの姿はない。だがパティスがそこにいたことを示すように、操縦席の足元から赤い血が垂れていた。装甲の表面を伝い、雫が海に落ちていた。
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