俺達は零れ落ちた涙のように
登美川ステファニイ
1 飛び上がった鮫
この海が紫なのは、俺達が流した血の赤が海の青に混ざっているからだ。
本当の地球の海は青いと知ったのはいつだっただろうか。生まれる前の製造過程か、生まれた後の教育過程か。まあ、どっちでもいい。海が紫なのも、本当は微生物のせいで俺達の血が原因じゃない。
でもそれが真実だと思えるほどに、俺達はたくさん死んで血を流した。この海で。内地で。働くために生まれ、そして死んでいく。
パイオニクス。それが俺達だ。切り拓く者、パイオニア。その名を冠し遺伝子操作で人工的に生み出された俺達は、事実この星の産業を支えた。地球から追い出されようやく見つけたこの植民可能な星サイベルで、俺達は人間の為に働かされた。
やがて資源が蓄積すると、生存に必須な食料生産やエネルギー等の分野以外でも機械化を進めるだけの余裕が生まれた。パイオニクスの労働者は効率的な機械に置き換えられ、そして俺達は不要品として切り捨てられたのだ。
残ったのは機械化されなかった危険できつい仕事。それもとびきりの奴で、クラコゾンというサメに似た海棲生物の駆除だ。俺は今、その為に海にいる。どこまでも続く紫色の水平線を眺め、採掘リグから輸送される資源コンテナを見守っている。
俺はラケル・ホルト。二級ストラトス操縦免許を持っていて、主にシャガフ地区の周辺で任務に就いている。三等パイオニクスで、なんとか二等になろうとあがいているところだ。
仲間はたくさんいる。同じパイオニクスの連中が今日も周りにいて、今日も俺の他に一一人がいる。しかし乗っているストラトスの種類は違う。
俺はクラコゾンとの戦闘に特化した大型のストラトス、トリトンギアに乗っている。一〇メートルの高さで全体的に丸みを帯びた人型のシルエットをしており、脚もあるが膝から下は横倒しの紡錘型になってる。これは海面に浮くことが出来るよう浮揚機構を備え、内部には推進用のスクリューが内蔵されている。
他の連中はワークギアという六メートルほどの中型で汎用型のストラトスで、見た目は角ばった重機のような見た目をしている。こいつは腰から下が浮き輪のようになっていて、トリトンと同じように浮揚機構とスクリューを備えている。しかし機動性は雲泥の差で、戦闘能力もトリトンに大きく劣る。だが十一機いるので、クラコゾンに対する戦力としてはまあまあだ。
資源コンテナ防衛任務は四時間。シャガフ地区の四番採掘リグから自動操船されるコンテナが対象だ。資源を運び、港で降ろし、そして採掘リグに帰る。それまでここで見守り続ける。クラコゾンが来たら駆除する。簡単な仕事だ。
だがバイオセプトという厄介者が邪魔をする。俺達パイオニクスが人間の職を奪うというので目の敵にしている人間の権利団体だ。そいつらも機種は違うがストラトスに乗っていて、任務中の俺達を殺しに来る。しかも戦っていると騒音でクラコゾンが寄ってくるから始末が悪い。
「こいつで最後!」
俺はトリトンを加速させ、すれ違いざまにバイオセプトのストラトス、パニッシャーを横薙ぎに切り裂いた。パニッシャーはワークギアに相当する小型のストラトスで性能は高くない。懲罰者などと大仰な名前だが、これに乗せられた奴こそ懲罰を受けているのだと言われるほどだ。斬り裂かれたパニッシャーは姿勢を崩し、海面に叩きつけられ部品をまき散らしながら沈んでいった。
今日も一〇機のパニッシャーが来たが、俺達はそれを迎撃し終えた。こっちも一機ワークギアがやられたが、まあ被害はいつもこんなものだ。しかし本命はこれから来る。戦闘の音を聞きつけたクラコゾンが海底から上がってきているはずだ。俺は他の連中に通信する。
「トリトンより各機。そろそろクラコゾンが上がってくるぞ。足元に注意しながら撃退しろ。オーケー?」
「はーい」
「了解」
締まりのない声で返事が来るが、これもいつものことだ。俺も別にリーダーってわけじゃないんだが、今ここにいる連中の中でトリトンに乗っているのは俺だけ。操縦免許が二級なのも俺だけだ。必然的に頼られることが多く、リーダーみたいなことをやる羽目になる。
俺達はバイト仲間で、本来上下関係はない。NPOが企業体から受注した仕事がジョブとりというアルバイトアプリで通知され、それに応募して集まっているだけの付き合いだ。顔見知りもいるが、基本的には知らない奴が多い。
経験者優遇。働きがいのある仕事です! そういってマスコットキャラのジョブ鳥君がバイトの通知を運んでくる。俺達の住む保護居住区には産業がないから、こういう仕事を受けるしか金を稼ぐ手段はない。死の危険を冒して日銭を稼ぐのだ。
海中を探査するレーダーに目を向けると、いくつかの影が塊になって上がってくるのが見えた。水深五〇メートルくらいでさらに上昇。もうすぐ海面に来る。
「来るぞ、警戒しろ!」
海面が弾け、奴らの姿が白い波濤の中に踊る。クラコゾンだ。
暗い灰色の体。体長は五メートルの小型個体が四体、そして一〇メートル近い中型が一体。大きさは違うが見た目は同じだ。鼻が尖り顔は左右に扁平に広がっていて、巨大で牙だらけの大きな口を持っている。背中には三本の鰭。鮫と似た特徴だが、しかし胴から生えるのは胸鰭ではなく太い二本の腕で、先端には鋭い鉤爪のついた三本指の手がある。尾鰭もあるがその左右には脚が生えていて、足先の水かきのついた足でみずをかくことも出来る。それだけではなく。ふくらはぎの辺りには噴出孔があって吸い込んだ水を噴き出して加速することも出来る。
地球にいたサメという生物の画像をバイトの説明会で見せられたが、確かにぱっと見は似ていなくもない。手足が生えているのが根本的に異なる点だが、印象は似ている。狂暴で何にでも襲い掛かるという習性もそうだ。大人しい鮫もいるそうだが、クラコゾンに大人しい奴はいない。
小型のクラコゾンの一匹が俺に狙いをつけたのか、こっちに向かって泳いでくる。そして潜航し、見えなくなった姿をレーダーで確認しながら俺は右に旋回する。
海面から爆発するようにクラコゾンが飛び出してくる。進路は右に変えたが、クラコゾンもそれを追って体をひねっている。このままでは丸かじりにされるコースだ。前後も、左右も、逃げ切れない。だが、上がある。
トリトンの右足の圧縮空気を全開にして噴射する。爆発的な衝撃で機体がとんぼ返りするように跳ね上がり、クラコゾンの牙が遠ざかっていく。奴の右手の鉤爪が僅かに俺のトリトンを掠るが、ひっかき傷がつくだけだ。
だが方向転換が出来るのは俺だけじゃない。このくそ鮫どもにも似たような真似が出来る。
クラコゾンが足を曲げふくらはぎから水を噴くのが見えた。トリトンの圧縮空気ほどではないが、噴射した水の反作用で奴の巨体が方向を変え俺を追ってくる。尾鰭の一跳ねがそれを更に推進し、奴の牙が再びこっちに近づいてくる。
どうやらこいつは知っている奴だ。過去にトリトンギアと戦い、圧縮空気による機動を体験している。だから俺の動きに対応できたのだ。こいつらは知的じゃないが、生き残ることに関しては聡い。
だが、所詮は動物だ。そのでかい口が一番の武器だが、同時に最大の急所であることを理解していない。赤黒い口腔。そこは刃に対して無防備だ。
奴の接近に合わせ右手のナイフを振り上げ、鋸のような歯列を避け口の奥に向かって突っ込む。柔らかい感触。軟骨を貫通する手ごたえを感じながら、ナイフをそのまま放り投げるように押し込んで手を放す。そして左脚に残った圧縮空気を噴射し、クラコゾンをまたぐように山なりに避ける。
俺がナイフから手を離した一瞬後にクラコゾンの口がばね仕掛けのように勢いよく閉じる。ストラトスのボディでも簡単に食い千切ぎる威力だが、俺の機体は奴の口とは反対側、尾鰭の方にいる。トリトンギアは左右の足で別々に圧縮空気を噴射できるが、クラコゾンは両足で一緒に水を噴射しないといけない。だからこっちの方が一回分有利だ。
クラコゾンの左目が俺を追うように動く。巨体が海面に落ちていき、そして盛大に飛び込んでしぶきを飛ばす。その間に俺のトリトンギアも着水し、一気にスクリューを回し加速して距離を取った。クラコゾンは腹を見せて浮かび死んでいた。
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