【キツネ対寄生虫】仙台巨獣大戦②

 翌朝十時──志村先生を含む学者数人から、動物を巨大化させる寄生虫についての会見が行われた。

 寄生虫は”アロ”と命名された。ラテン語で『育む』という意味だそうだ。

 あわせて寄生された動物について、現段階で判明していることも発表された。

 まず、シルヴィーがそうだったように、頭部を支えるため二足歩行に移行する傾向がある。おそらく脳の肥大化にともなうもので、知能についても通常の個体より高い可能性がある。

 そして、骨にも著しい変化が見られた。薬殺したマウスの骨──直径一センチほど──に加重したところ、約一五〇〇キロもの重量に耐えた。これは同じ太さの鉄棒にも匹敵し、巨大化にともなう重量の増加に適応していた。

「人間にも寄生する可能性は?」記者からの質問が飛んだ。

「もちろん可能性はある」と志村先生。

「すると、マンガみたいな巨人が誕生するわけですか」

「その点については、試すわけにもいかないのでね。いずれにせよプラジカンテル駆虫剤に耐性がないことはハッキリしているから、万一寄生されたとしても早急に排除は可能だよ」

「家畜に寄生させて、大型化することは? 食糧難も解決しそうですが」と別の記者。

「十数メートルに成長する牛や豚を飼育することは、現実的ではないだろう。それに一番肝心なことだが──成長にあわせて、膨大な飼料が必要になる」

 先生はそこでひと呼吸置いてから言った。

「そんな食欲旺盛な、巨大化したネズミが、付近の森に複数確認されている。一刻も早く駆除しなければ、いずれ森の動植物は食いつくされてしまう──そうなると、市街地に出てくることもありうる」


 発表は世界中を駆け巡った。

 同時に私が撮影した動画も公開され、わずか一時間で数万もの再生数を稼いだ。動画が買取契約でなかったら、私はハワイあたりで悠々自適の生活ができるはずだ……。

 会見終了後、即座に周辺は封鎖された。マスコミは締め出され、私が仕掛けていたトレイルカメラも撤去させられた。〈宮城キツネパーク〉は特に警戒が厳重で、周囲を機動隊が取り囲んでいる。

 例外はパーク内部で、私有地であるため撮影の規制はない。私がパークに顔を出すと、同じことを考えていた取材陣が詰めかけていた。

「こりゃまた、すごい人ですね」

 人ごみをかき分けて、ようやく浩子さんをつかまえた私は言った。

「大勢いたほうがいいんです。ネズミが警戒して寄りつかなくなるかもしれませんから」

「おい、始まるぞ」

 記者の1人が上空を指さす。陸上自衛隊の大型輸送ヘリが二機、上空に近づいてきていた。


 発表されたところでは、まず駆虫剤を混ぜた餌を上空から半径数キロの範囲で森に散布する。その後、自衛隊から派遣された捜索隊が森の周囲から捜索するとのことだ。

 どのマスコミも捜索隊に同行しようと詰めかけていたが、自衛官に追い返されていた。私もどうにか潜りこもうとしていると、捜索隊の中に志村先生と浩子さんの姿を見つけた。

「浩子さん、参加するんですか?」

「ええ。レッドがいれば、シルヴィーを見つけることができるかもしれないかと、先生が」

 浩子さんは大型のペットキャリーを手にしていた。中には包帯姿のレッドが寝そべっている。

「重そうですね。持ちますよ」私はここぞとばかりに食いついた。「私も同行します」

「ダメです」オレンジ色のキャップとベストを着けた、隊員の一人がにべもなく答える。

 この程度で引き下がったらカメラマン失格だ。他に手はないかとあたりを見回すと、隊員の中に見知った顔がいた──これぞ天祐!

「高島先輩!」

「ん……何だあ、青葉じゃないか!」

 高島先輩は二年前と変わらず、愛嬌ある笑顔で振り向いた。この笑顔が訓練中は鬼に変わることを私は知っている。

「青葉さん、知り合いなんですか?」浩子さんが意外そうな目で私を見た。

「いやあ……専門学校出たのはいいけど、カメラを買う金がなくて。三年ほど自衛隊にお世話になりました。フィールドワークにも慣れたかったし」

「カメラマンになったとは聞いてたけど、ここで会うとはなあ」

「先輩こそ、出世したみたいじゃないですか。この班の班長ですか? 私も連れてってくださいよう」

「そりゃダメだ」

「そんなあ……」

「君、彼女も同行させてやってくれないか。私も資料映像が欲しい」

 助け船を出してくれたのは志村先生だ。先輩も渋々うなずいた。

「先生がそうおっしゃるなら……」

「やった!」

 私は先生を抱きしめてキスしたい気持ちになったが、絶対に嫌がるだろうからやめておいた。


 捜索隊は高島先輩の他に自衛隊員が二名。そこに先生と浩子さん、私を加えた六名だ。

 隊員の一人は駆虫剤のタンクを背中に背負い、もう一人はボルトアクション式のライフルを肩にかけている。先輩は腰の拳銃だけだ。私は驚いて先輩に聞いた。

「銃はこれだけですか?」

「基本的に自衛以外で発砲はできん。ライフルだってやっとのことで認めてもらえた」

「相手は何十匹いるかわからない巨大ネズミですよ? いくら何でもこれじゃあ……」

「文句は上に言ってくれ」

 私たちは、昨日と同じルートで森へ入った。

 一キロほど進んだところで、木にぶら下がった何かを見つけた先輩が言った。

「あれは……?」

「昨日、先生が仕掛けた罠にかかったネズミです」浩子さんが言う。「脚だけになってますね……シルヴィーが食べたんでしょうか」

 さらに奥に進むと、腐臭と白骨が散乱するネズミの巣に着いた。隊員たちも顔をしかめる。

 そのとき、前方の木が大きく揺れた。

 ライフルを持った隊員が素早く射撃姿勢をとる。枝を折る音とともに巨大な何かがゆっくりと近づいてきた。

「例のネズミか?」先輩も拳銃に手をかけた。

「待って! あの大きさは……シルヴィー?」

 浩子さんはキャリーの中を覗いたが、レッドは警戒しながらも興奮している様子はない。

 やがて、私たちの頭上のはるか上に、黒い二つの目が現れた。ライフルの隊員が先輩に目くばせする。

「よし、射撃用意!」

「いや、待った!」先生が鋭く制する。「あれは……」

 巨大な動物は姿を現した──シカだ! 全高二十メートルはある。私たちはその威容に圧倒された。

「あんなのに踏まれたら、ひとたまりもないな……」先輩が冷汗をぬぐう。「しかし、こっちに危害を加える気はなさそうですね」

 シカは物珍しそうに私たちを見ていたが、やがてすぐそばのケヤキの木を食べ始めた。

 その食べ方がすごい。枝ごとバリバリとかじるのだ。私はカメラを動画モードにして撮影を始めた。

「このままじゃ森中の木が食いつくされてしまうぞ」先生が困った顔をする。

「撃ったところで、この銃では……」ライフルの隊員が言う。

「とにかく、指揮所に報告だ」

 先輩が無線に手をかけると、突然シカの動きが止まった。警戒するように首をキョロキョロさせる。

「な、何だ?」

 左手から何かが猛スピードで近づいてきた。シカは空高く跳躍すると、木立を越えて姿を消した。

 シカを追っていたらしいその巨大な動物は、獲物を見失って立ち止まると、私たちに振り向いた。

 つぶらな愛らしい瞳。ヒョロリと伸びた首──イタチだ。やはり十数メートルはある。

「あら可愛い──」と言いかけた瞬間、イタチは牙を剥いて襲いかかってきた。「──くない!」

「逃げろ!」

 先輩は言ったが、重いキャリーを運ぶ浩子さんはとっさに動けない。私は彼女の代わりにキャリーを手にした。

「浩子さんは先生と先に、早く!」

 背後で銃声が響いた。先輩たちが必死に発砲しているが、ライフルや拳銃では話にならない。イタチは嫌そうな顔をするものの、針でつつかれた程度の痛みだろう。かまわず私たちを追いかけてくる。

 そのとき、キャリーの中でレッドが吠えた。

「キャウーン!」

 その声に応えるように、緑の木立をかき分けて、銀と黒の巨獣が姿を現した。

 ──シルヴィー!


 シルヴィーはイタチに跳びかかり、長い首筋に噛みついた。赤い血がじわりと毛皮ににじむ。

「ギャウッ!」

 イタチの鋭い爪が、シルヴィーの胸元をかすめる。とっさにかわしたものの、銀色の毛が宙を舞った。

 シルヴィーは距離をとり、長い尻尾を素早く振った。鈍い音とともにイタチの頭に命中し、その体がゆらぐ。続けてもう一発。三発目を食らわせようとしたとき、イタチはその尻尾に噛みついた。

「キイッ!」

 シルヴィーは振りほどこうと身をよじったが、イタチは離れようとしない。

 隊員のライフルが火を吹いた。一発目は狙いを外したが、二発目の弾がイタチの右目に命中する。

「シャーッ!」

 イタチは鮮血をほとばしらせ、シルヴィーから離れた。残った左目で撃った隊員を睨みつける。

 そこにシルヴィーが横から跳びついた。樹木をへし折り、もつれながら倒れた二頭は、互いの喉を狙って牙をむいた。ガチン、ガチンと牙が噛み合う音がする。

 やがて一瞬の隙をついて、シルヴィーの牙がイタチの喉に食いこんだ。

「やった!」

 と思った瞬間、強烈な悪臭があたり一面に広がった。

 イタチの肛門腺──いわゆる『最後っ屁』だ。イタチ科の動物はこの臭いで敵を追い払う。

「キャウウッ?」

 シルヴィーは目を丸くして跳び退いた。

 イタチはその隙に木立の間をすり抜けて、森の奥へと消えていった。


「こ、こりゃたまらん!」

 この手の臭いには慣れているはずの先生さえ苦しそうだ。シルヴィーはといえば鼻を押さえながら、うちわのように尻尾を振っている。おかげでしばらくすると臭いも収まってきた。

「キャウ! キャウ!」

 キャリーの中でレッドが鳴いている。浩子さんが開けると、レッドはシルヴィーのほうへ駆け出していった。シルヴィーは地面に伏せると、前脚にレッドを乗せた。今のシルヴィーにとって、レッドはカプセルトイほどの大きさだ。

「こちらアルファ」シャッターを切る私の隣で、先輩が無線を手にする。「パーク北西二・五キロ地点でシルヴィーと接触。全高およそ二十メートル──極めて友好的。他、大型のシカ一頭、イタチ一頭を確認。いずれも二十メートル前後。シカは北東方面に移動中、イタチは北北東方面に移動中。イタチは極めて狂暴につきこれに発砲、右目を負傷している模様。送れ」

『ブラボー了解、送れ』

『チャーリー了解、送れ』

 通信を終えた先輩は、シルヴィーを見上げてため息をついた。

「それにしても──何と美しい動物なんだ」

 シルヴィーの耳がピクリと動く。先輩を横目で見たかと思うと、大きな尻尾をバサバサと振った。

「喜んでるみたいですね」と浩子さん。

 シルヴィーはレッドを降ろすと、いきなり立ち上がった。ついてこいと言わんばかりに首を傾ける。

 私たちはシルヴィーのあとについて三十分ほど歩いた。たどりついたのは少し開けた場所で、地面に大きな穴が穿たれている。

「あ、これ!」

 穴を覗きこんだ浩子さんが驚いていた。中にはあのお化けネズミが十数匹も横たわっている。

「シルヴィーが捕ったの? えらいね」

 シルヴィーは胸を張り、フフンと鼻を鳴らした。調子に乗る性質らしい。

「どうやら彼女の食糧庫らしいな」中を覗いた先生が言う。「ちょうどいい、ここにも駆虫剤を撒いておこう」

 タンクを背負った隊員が、ネズミに駆虫剤を撒いたとたん、シルヴィーの態度が豹変した。

「クワーッ!」

 牙を剥いて隊員に襲いかかる。自分の食物に手を出されるのがお気に召さないようだ。

「シルヴィー、やめて!」

「キャウッ!」

 浩子さんとレッドが同時に声を上げると、シルヴィーは動きを止めた。

「あなたのお腹の中に、悪い虫がいるのよ。このお薬はあなたのためなの。わかって、ね?」

 浩子さんが身振り手振りで語りかけている横で、キャリーからもレッドの鳴き声がする。シルヴィーは渋々と駆虫剤混じりのネズミを口にした。お腹が空いていたのか、あっという間に二匹をたいらげた。

『こちらブラボー。指揮所より東八キロ地点で大型のシカを目視。その場から動かず。イタチは確認できず。他、死亡した大型ネズミ二匹を確認。腹部に裂傷あり。送れ』

「アルファ了解、送れ」

『チャーリー了解、送れ』

「ネズミがやられていたってことは、他にも大型化した動物が?」私は先生にたずねた。

「あのイタチか──いや、それなら残したりしないはずだ。腹を空かせているはずだから……」

「そろそろ切り上げましょう」先輩が腕時計を見た。「四キロほど南下して、川原子ダムの指揮所に戻ります。チャーリーと合流して──」

 言いかけたとたん、通信があった。

『こちらチャーリー! 大型イタチを確認! 現在交戦中!』

 同時に、散発的な銃声が遠くから響いた。

「アルファ了解! 至急合流する。送れ」

『ブラボー了解! 至急合流する。送れ』

 先輩はタブレットでチャーリー隊の位置を確認して言った。

「俺たちは先に行く。青葉は先生と江戸川さんをパークまで避難させてくれ」

「了解です」

 私がコンパスを手にしたとき、レッドが突然吠えた。

「キャン!」

 三頭目をくわえていたシルヴィーが反応した。背中を私たちに向けて地面に伏せる。

「背中に乗れってこと……?」

 浩子さんがそう言うと、シルヴィーは急かすように体を震わせた。

 先輩たちは躊躇していたが、やがてお互いに顔を見合わせてその背中に上った。

「私たちも行きましょう!」

「え? ちょっと!」

 止める間もなく浩子さんもそのあとに続いた。キャリーを肩にかけ、銀色の毛を伝ってスルスルと上っていく。彼女の意外な一面を見た気がした。

 私たち六人が背中に乗ったのを確認すると、シルヴィーは四本脚で立ち上がった。十メートルほどの高さがあってさすがに怖い。

「クゥオーン!」

 シルヴィーは一声吠えると、木立をかき分けて走り出した。ものすごいスピードで景色が後に流れていく。私たちは振り落されないよう必死につかまった。

 チャーリー隊に合流するまであっという間だった。背の高い木立の間に巨大なイタチの姿が見える。木陰に隠れていたチャーリー隊の一人が、近づいてくるシルヴィーの姿を見てあぜんとしていた。

 私たちは急停止したシルヴィーの背中から、滑るようにして跳び下りた。すかさず二本脚で立ち上がったシルヴィーは、襲いかかってくるイタチに頭突きを食らわせる。イタチの爪が空を切り、木の枝を薙ぎ払った。

「アルファより指揮所へ。チャーリー隊と合流した。現在指揮所北方約二キロ。大型イタチと交戦中。至急、無反動砲の調達を要請する。送れ」先輩が指揮所に通信した。

 84ミリ無反動砲──早い話がバズーカ砲だ。確かにそれくらいなければ、あの化物イタチは倒せない。しかし、指揮所の返信は無情だった。

『指揮所よりアルファへ。無反動砲の調達に時間を要する。所持装備にて対処せよ。送れ』

「アルファ了解」先輩は苦々しく通信を終えた。「まあ、用意してるわけないよな」

「こっちは全弾打ちつくした」チャーリー隊の隊長らしき人が言う。

「こっちもだ。あとは……」先輩が二頭の巨獣を見上げて言う。「シルヴィーに賭けるしかない」


 樹木が密集した場所だった。イタチは細長い体を利用して、木立の間から爪で襲いかかった。

 シルヴィーはかろうじて避けながら噛みつこうとするものの、木が邪魔してうまくいかない。

 さらにいえば、動きがさっきより鈍くなったようだ。ケガをしているようには見えないが……。

 ついにイタチの爪がシルヴィーをとらえた。赤い筋がシルヴィーのお腹に走る。

 彼女は「キャウンッ」と短く吠えると──私たちを置いて走り去ってしまった。

「シルヴィー!」浩子さんが心配そうに声をあげた。

「ダメか……!」先輩が苦々しく言う。

 イタチはシルヴィーを追う気はなさそうだった。何かを探すようにあたりを見回している。

 そして、私たちを見つけた。

 潰れた右目から血を滴らせ、左目を恨みにギラつかせながらイタチは襲いかかってきた。私たちは右に左に駆け回り、どうにか見つけた藪の中に逃げこんだ。

『こちらブラボー、イタチを視認した。送れ』

 先輩の無線に通信があった。ブラボー隊が到着したようだ。

「アルファよりブラボーへ。その位置からイタチの左目を狙えるか? 送れ」先輩が返信する。

『ブラボーよりアルファへ──了解。通信終わり』

 私たちは待った。十分近くも待ったような気がしたが、時計を見ると三分も立っていない。

 その時、イタチの足元から銃声が響き、銃弾がその左頬をかすめる。

 イタチがイライラして真下を向いた瞬間──二発目の銃弾が正確に左目を撃ち抜いた。

「やるなあ!」先輩が思わずうなる。

「ギャーッ!」

 両眼を潰されたイタチは悲鳴をあげ、狂ったように暴れまわった。鋭い爪に切り落とされた木の枝があたりに飛び散る。

「これで時間が稼げる。今のうち指揮所に──」

 先輩が言いかけたとき、浩子さんが驚きの声をあげた。

「見て!」

 イタチの背後で木立が揺れたかと思うと、巨大な影がが跳び出してきた。

 ──シルヴィー! 彼女は逃げたのではなく、いつの間にか背後に回りこんでいたのだ。

 彼女は一瞬のうちにイタチを押し倒し、その首筋に噛みついた。

「ギーッ! ギーッ!」

 死に物狂いでイタチはもがいたが、前脚はがっちり押さえこまれている。鋭い爪はいたずらに地面を引っ掻くだけだった。

 やがて、ゴキリと頸椎が砕ける鈍い音がした。

 イタチは痙攣したように四本の脚をピンと伸ばすと、ついに動かなくなった。

「アルファよりブラボーへ、感謝する」先輩が無線で呼びかけた。「あと、鼻をふさいでおけ」

『ブラボーよりチャーリーへ、了解……鼻を?』

 次の瞬間、無線越しに『うわーっ!』という悲鳴が聞こえた。


「シルヴィー!」

 浩子さんが真っ先に駆け出していく。

 シルヴィーの様子がおかしい。彼女は仕留めたイタチを見下ろしていたが、頭はふらふらと円を描き、呼吸も乱れている。激しい闘いのせいだけには見えなかった。

 ──そして、木にもたれるようにして彼女は倒れた。

「た、大変だ!」

 先生を先頭に私たちも急いだ。

 倒れたシルヴィーのそばでは、ブラボー隊が困惑した表情で立ちつくしている。

「キャウン! キャウン!」

 キャリーの中でレッドが暴れている。浩子さんがキャリーを開けると、レッドはケガを物ともせずシルヴィーのそばに駆け出した。

 レッドの姿を見たシルヴィーは、一瞬笑ったように見えた──そして静かに、目を閉じた。


「シルヴィー! しっかりして!」

 浩子さんの目から涙がこぼれる。

「……大丈夫だ、生きてる。気を失っただけだ」

 シルヴィーの胸に耳を押し当てて先生は言った。

「お、おい!」

 ブラボー隊の一人が突然叫んだ──死んだはずのイタチの腹が、もぞもぞと動いている!

 イタチの腹にジワリと血のシミが広がった。やがて、そこが裂けたかと思うと、血まみれの何かが這い出してきた。私たちは全員、言葉を失った。

 ──虫! あの寄生虫、アロだ!

 しかもそれは、先生の研究室で見たものより何倍も大きかった。頭に吸盤を持つところは変わらないが、肛門部の吸盤は針のように尖っている。短かった脚は長く伸び、前脚は鋭い鎌状になっていた。カマキリの体にヒルの頭──という表現がもっとも近い。

「だ、誰かそいつを捕まえてくれ!」

 先生の言葉に、隊員の一人が反射的に手を伸ばす。

 次の瞬間、アロは前脚の鎌で隊員の手をグローブごと切り裂いた。

「うっ!」

 隊員が手を押さえてうずくまる。

 その間に、アロは恐ろしい速さで地面を掘り、姿を消した。

「すまない、私のせいで……」

「いえ、自分がうかつに……」

 駆け寄る先生に隊員が首を振る。そばにいた一人が手早く傷を消毒し、包帯を巻いていた。

「ひょっとして、あれと同じものが、シルヴィーにも……!」浩子さんが震える声で言った。

「だとしたら、一刻の猶予もできん」

 先生はそう言うと、先輩に必要な用具の手配を頼んだ。


 一時間後、上空に飛んできた輸送ヘリから機材が降ろされた。ブルーシートで幕が張られ、作業灯の明かりが暗くなってきた森を照らす。レッドは浩子さんと一緒に、シルヴィーの鼻のまわりを歩き回っていた。

 私と先輩は幕の外に追い出された。隊員が入れてくれたコーヒーを何杯もおかわりしながら、待つこと二時間──ようやく先生が幕の向こうから出てきた。先生はプラスチックのコンテナを手にしている。

 中に転がっていたのはもちろん、アロだ。ラグビーボールほどの大きさで、脚はもげ、胴体も触れば崩れそうなほどボロボロだ。吸盤の頭は半分溶けかかっている。

「駆虫剤が効いてくれた。もう心配ない。シルヴィーも無事だよ」先生が言う。

「どうやって取り出したんです? お腹を切ったんですか」私は聞いた。

「あの分厚い皮膚を切るメスも、縫う針もないよ……方法は、彼女の名誉に関わるから言えないが」

 切開もせず腸内から寄生虫を取り出すには──まあ、これ以上の詮索はやめておこう。


 私たちは川原子ダムの指揮所に向かい、仮眠所で一晩を過ごすことになった。

 浩子さんはレッドと一緒にシルヴィーのそばに残ることを主張したが、彼女もレッドも疲労がたまっている。それに、夜間に巨大化した動物が襲ってこないとも限らない。見張りの隊員二名を残して、私たちと一緒に引き上げることに同意してくれた。

 川原子ダムは農業用の水源として開発された、いわば人造湖だ。緑に囲まれた鏡のような水面は、八月の暑さを忘れさせてくれる。これで〈イーグレッツ〉が勝ってくれれば言うことなしだが、ニュースによると今期ワーストの八連敗だそうだ。

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