アクター(第2部)

水島あおい

第2部

第1話

矢野は華を忘れられなかった。

華と別れて既に1年が過ぎているが、矢野の脳裏には華との想い出が走馬灯のように過っている。


「乾杯ー!」

映画の共演者達が西麻布のイタリアンレストランで、集まって食事をしていた。主演の須田絵里香を中心に矢野を含めた4人が集まってい

た。

此処は華とよく行ったレストランである。その日はスペシャルディナーだった。魚介類のパエリア、ボンゴレ、ペスカトーレ、ボロネーゼのパスタ、他に肉料理、グリーンサラダが並び、それぞれ取り分けていた。

話は大いに盛り上がりを見せた。


「そっか…… 矢野ちゃんはまだ彼女を忘れられないんだね。さっき元気がなかったから気になっていたんだけど…… 」

絵里香はビールを飲みながら言った。

集まりがお開きになり、矢野が絵里香を送る事になった。

だが、2人とも何故か直ぐに帰る気になれずに居酒屋へ来たのである。

「俺、暗かった?」

矢野は焦っていた。

「逆よ。テンション高かったから何かあったのかと思ったの。いつもは穏やかじゃない?」

絵里香の言葉に矢野は目を丸くしている。

絵里香は矢野より3歳年下である。

「辛かったね。矢野ちゃん。私でよければ話聞くよ」

「須田さん…… 」

「あー。それもうなし。こうして酒を酌み交わした時に私達の友情は成立しています」

矢野は笑い出した。

「じゃあ、絵里香だな」

「それでよし。で?あの店で矢野ちゃんは何食べてたの?」

「ペスカトーレ。美味しかっただろ?」

「うん。美味しかった。ボンゴレもいけたわ

ね」

「華はいつもボンゴレ・ロッソだった」

「そう。どんな人だったの?世間じゃ恋多き女みたいに言われているけど、本当は違うんでしょう?」

「どうしてそう思うの?」

「矢野ちゃんがそこまで愛した人だよ。悪い人の筈ない」

矢野は驚いて絵里香を見つめた。

「ありがとう。みんな俺を慰めるつもりなの

か、彼女の事ボロカスに言うものだから…… 」

「それ、逆効果。みんな悪気がないだけに矢野ちゃんも辛かったね…… 」

絵里香は矢野の肩を優しく抱いた。

カウンター席の端に2人は並んで座っている。

「優しい人だったよ。多趣味でね。お茶を立てたり、サッカー観たり、映画やミュージカルを一緒に観たりしてた」

「お茶を立てるって女らしいね」

「うん」

「どっちからアプローチしたの?」

「彼女から。共演している時に愛を打ち明けられた」

「でもだんだん矢野ちゃんの方が、彼女に夢中になった」

矢野は黙って頷いた。

「愛していたわよ。彼女は間違いなく矢野ちゃんの事愛してた」

「どうしてそう言えるの?」

「彼女は矢野ちゃんの前では自然だったから

よ。多趣味な所とかね。矢野ちゃんと色々な事を一緒にやりたかったの。自分の世界を見て欲しかったの」

矢野は涙ぐんでいた。

「嬉しいな…… 彼女はずっと俺をつまらなく思っていたんじゃないかって」

絵里香は矢野の背中を優しく撫でた。

「そんな事ない。矢野ちゃんは素敵よ。いい男だよ」

絵里香の声は矢野の胸の中に染み渡る。

これが初めて2人で飲むとは思えなかった。ずっと以前からの友人のような感覚になってい

た。

「本当にそう思う?」

「私に好きな人がいなかったら、付き合いたいぐらいよ」

「やっぱり彼氏いるんだな。それなのに俺に付き合っていていいのか?」

絵里香はビールを飲み干した。

「私、彼氏とは一言も言ってない。まあ所謂片想いという奴なので」

「告白はしないの?」

「告白なんかしなくても、彼は私の気持ちを分かっているわ」

絵里香は店員を呼ぶとビールの大ジョッキを頼んだ。

「亡くなった婚約者を今でも愛しているの。これは…… どうしたらいいんだろうね。矢野ちゃん」

矢野は絵里香の握りしめた手を自分の手で優しく包み込んだ。

「……時期を待つしかないだろうね」

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