心を酔わせる、あなたの感情
桜花滝
第1話 今となっては笑い話
一年半ほど前、私がまだ高校生だった頃。私には大事な、人生を捧げてもいいと思えるほどの彼氏がいた。サッカー部の部長で、性格も顔もいい人気者。サッカー部の部長だけあって運動神経も良く、成績もそれなりに良い。
対して私は生徒会長。人気だったのかは分からないし、運動はそれほど。成績は良かったが、ただそれだけの女。言ってしまえば、私と彼とでは釣り合いがとれているとは言い難かった。
それでも、彼は私に告白してきてくれた。その気持ちには答えたくて、彼が私のことを捨てないように努力した。彼が私のことを好きでいてくれるように、私自身を彼好みに変えていった。
髪は長い方が好きだと、彼が言った。だから髪は腰辺りまで伸ばした。
彼はスポーツの話が好きだった。だからそれまであまり興味のなかったスポーツのことを調べた。
彼の志望校は私にとっては簡単な大学だった。それでも、私は彼に合わせて同じ大学を目指した。
そうして、私の人生は彼に染められていった。それが私の人生なのだと信じて。
彼に染められていった高校生活のある日。その日は生徒会の仕事が長引いていた。様々な書類の整理をしていたら、いつの間にか部活動終了時間近くになってしまっていたくらいには。夕方からは雨の予報だったはずだ。窓の外は曇っている。
せっかく帰る時間が被るのなら、彼を迎えに行こうと思ってグラウンドに出た。その時、彼とその後輩が会話しているところを聞いてしまった。
「そういえば先輩が付き合ってるのって
「あー、あの女? 確かにいい女だけど……やることやったらその内どっかで振るつもり」
「うわ、マジっすか先輩。サイテーっすね」
「どうせ高校だけの付き合いだしな。あっちはそう思ってないっぽいけど……」
そんな会話を、偶然聞いてしまった。その時はもう何も考えることはできなかった。
気が付けば、私はその場から逃げるように走り出していたことを覚えている。曇った空から雨が降ってきても、気にせず走り続けた。
雨に濡れることなんかより、彼に高校だけの付き合いだと思われていたこと、ほとんど身体目当てで付き合っていたことを知ってしまったことの方が辛かった。
家に着いた頃には、服も髪も心もぐちゃぐちゃで、ただ自分の部屋で呆然とすることしかできなかった。
私にとっての彼は人生を変えるほどのものだったのに、彼にとっての私はただの遊び相手。その事実にしっかりと向き合えたのは、それから一週間ほど経ってからだった。
一度向き合うと不思議なもので、もう彼のことなんてどうでもよくなっていた。何故あんなに彼に心酔していたのか、何故彼にこれほど好かれようとしていたのか、当時の自分が理解できなくなるほどに。
伸ばしていた髪は切り捨てた。正直お手入れは面倒だったし、もう彼に好かれる必要はない。
スポーツのことも調べなくなった。私の友人にスポーツに興味がある人はいない。
志望校は東京の女子大学に変えた。彼に合わせて自分の大学まで決めてしまうなんて、バカバカしい。一度きりの人生なのだから、他人に合わせるのなんて勿体ない。
彼と過ごした時間の全てがバカらしくなった。彼に流されていた自分も、バカらしくて仕方がなかった。
だから、全部消した。スマホに残っていた彼との写真も、彼の連絡先も、全て。
その後はひたすらに勉強して、第一志望の女子大学に合格して、春に上京して一人暮らしを始めた。
これが、今の私。
「これが、私の直近の恋バナですかね……」
今はサークルの新入部員歓迎会と称した、飲みの席だ。四月が始まって四週目の月曜日にして、やっと新歓である。活動がゆるい、でも縦のつながりは欲しい、という都合のいい理由でこの文芸サークルを選んだ。
私はまだ未成年なので飲めないが、先輩たちは今の話を肴にして酒を呷っていた。各々の恋バナを話す流れになり、私がトップバッターとなった。最初に話すにしては少し重かったかもしれない。
「へー、じゃあ前のやなちゃんはロングだったんだ。見たかったな~。絶対似合ってただろうし。当時の写真とかないの?」
対面の席で酒を飲みながら饒舌に語っているのは
「さっき当時の写真は全部消したって言ってたでしょ。もう酔っているの?」
その隣でお淑やかに話をしているのは、
「でも確かに写真残ってないのは残念だな~。その亜麻色の綺麗な髪にスラッとした体、それでロングヘアとか絶っっっっ対ちょー美人じゃん!」
そして私の隣で話しているのが
えりちゃんって呼んで! とのことなのでそう呼ばせてもらっている。金に染めた髪に、思わず嫉妬してしまいそうなくらい整ったスタイル。誰にでも明るく接している彼女を見ていると、こっちまで明るい気持ちでいられる気がする。
「まあ、今となっては笑い話ですので……どうぞ、振られた私を笑ってください」
正直、笑ってくれた方が私の気も楽になるというものだ。私の失敗談で他人の笑顔を作れるのなら、その話にも価値があったということだろう。
「いや、さすがにやなちゃんは悪くないっしょ。こんだけ尽くしてくれてた彼女に見向きもしないで自分は身体目当てで~すとか、マジでないわ」
そう言いながら酒を次々と呷っていく黒野先輩。かなり酒の肴にされている。まあそれは私が望んだことだから文句はない。ないのだが、飲むペースが早すぎて少し心配になる。
「も~。水城、飲みすぎよ。そろそろお酒は辞めて水にしておきなさい」
まだまだこれからだろ~、と文句を垂れる黒野先輩を横目に水を頼む逆霧先輩。まるで夫婦を見ているような気分になる。この二人の相性の良さが伝わってきた。
現在、サークルには私を含めてこの四人しかいない。もともと活動が少なく、気が付けば仲の良かった黒野先輩と逆霧先輩の二人の集まりになっていたらしい。そこに、都合のいいサークルを探していた私と、それについてきたえりちゃんが加わって今の四人となった。
「ねね、すいちゃん。あの二人ってデキてるのかな?」
唐突にえりちゃんがそんなことを言い出した。本人たちが目の前にいるのになぜ私に話を振ったのか問いただしたい。おかげで目の前の二人からすごい視線を向けられている。
「聞こえてっからな~? あたしと柚乃がデキてるとかないない! ただの友達だよ、とーもーだーち」
顔を真っ赤にしながら話している。多分恥ずかしいとかじゃなくて普通に酔っているだけだ。
「そうですよ、私と水城はそんな関係じゃありません」
逆霧先輩はまだ酔っている気配はない。酒には強い方のようだ。黒野先輩のストッパーとしてありがたい。
「そ~だそ~だ~。わらしろゆのはらんもないぞ~」
もう完全に呂律が回っていない。そしてその言葉を最後に、黒野先輩は逆霧先輩に倒れかかった。
「……先輩、もしかして寝ちゃった?」
「寝ちゃいましたね~、まあ飲むときは毎回こんな感じなので……」
寝てしまった先輩は誰が持ち帰るのだろう。帰り道が被っている人になるのだろうか。
「あの、ちなみに黒野先輩の帰り道ってどっち方面なんでしょう?」
一応、一応聞いてみる。もしも帰り道が被っているようなことがあれば私が送っていくことになりかねない。
「水城は新小岩のあたりね、私はお茶の水方面」
「え、先輩お茶の水なんですか!? 私と一緒~!」
隣でえりちゃんがテンションを上げていた。対して私はかなりの危機感を覚えている。
私たちは今、錦糸町の居酒屋にいる。そして私が住んでいるのは新小岩だ。このままだとこの酔いつぶれている先輩を持って帰るのは……。
「すいちゃんは確か新小岩の方だったよね? ちょうどいいじゃん!」
「あら、そうなの? じゃあ水城の世話を頼んでもいいかしら。後輩に頼むことではないのだけれど……」
……当然そうなりますよね。まさかサークルの新歓に参加して、初手でこうなるとは思ってもみなかった。
「はい……なんとかして持ち帰ります」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます