Ep13.悪の華

 あんたは、俺が殺すアイル・キル・ユー


 言い捨てて、アンクはまた去ろうとする。だが、リザにとっては聞き捨てならない捨て台詞だった。


「どういう意味ですか」

「あんたをサシで殺れるのはたぶん俺くらいだ。俺、強えから」


 可愛げのある笑顔をチラつかせると、手を小さく振って、


「じゃあな、おやすみ」


 大きな歩幅で歩む彼の背が遠のいていく。夜の闇に溶けて見えなくなるまで、その背を眺め続けていた。


 そしてリザは、


「……は? 愛の告白か?」


 リザの脳内ブラックボックスがよくわからない解釈を叩き出していた。殺意を愛と捉えてしまうのはオタクの悪い癖である。


 その場で膝から崩れ落ちないようにするので精一杯だった。まさか、リザがここまでアンクから感情を向けられているとは。ゲームではこんな描写なかったのに。


 そしてなにより、ゲームに関連するイベント──推しカプの運命を捻じ曲げてしまった。未来を変えてしまった。


 リザ、そしてその中の風子とて、ゲーム内の全イベントやテキストを記憶しているわけではない。今後も自分が干渉することで取りこぼされていくものは多いだろう。


 その変化は、この先の未来に何をもたらすのか。


 愛する主人のため、乙女ゲームなど壊してもいいと意気込んでいた。だが今になって、リザは不安を覚え始めている。


 後でヤオに頼んで、アンクに割の良い仕事があるとでも伝えてもらおう。あとはクレアと話をつけてなんとかする。それしかない。


「知り合いですか?」


 突如背後から声がかかる。リザはなんとか冷静さを保ったが、心の中ではその場で跳び上がらんばかりであった。


 ずるずると、重たい何かを引きずる音が続いている。やがて路地裏の暗がりから、黒衣の老紳士が姿を現した。


 その手に、気を失ったならず者の体を二人ずつ、計四人を引きずっている。人一人引きずるにしても簡単ではないというのに。


「父上、いらしていたのですね」


 リザの育ての親にして、ボス・フレデリックの付き人。ハワード・コリンズである。


「仕事の時は名前で」

「はっ。失礼しました、ハワード様」

「よろしい。この試験の言い出しっぺは私です。当然見に来ますよ」

「不甲斐ないところをお見せしました。たった一人しか制圧できず……」


 ハワードが、リザの言葉を遮るようにアタッシュケースを手渡してきた。開けてみると、そこにはメイド服の替えが詰め込まれている。


「事は済みました。急いで着替えてきなさい。お嬢様たちの時間を血で汚してはなりません」


 リザのメイド服は、先刻の戦闘で返り血を浴びていた。量は少ないものの、隠せる位置ではない。


 ともすればこの刺客たちも試験の……と思いかけたが、ハワードが引きずってきたことの説明がつかない。やはり、これは本当の襲撃だったのだ。


 リザは路地の暗がりで即座に着替え、オニールの人員に襲撃者たちの身柄を引き渡した。彼らが乗った車を、ハワードと共に見送る。


「ハワード様、敵が持っていたケースの中身は?」

短機関銃トムソンでした。ボスを狙う輩の一部が、独断で家族を狙おうと画策したようです」


 彼は既に刺客への尋問を済ませていた。引き渡した者たちの中には、爪を剥がされた者も見受けられた。


「お前はベアトリーチェ様の付き人。本来なら、あの場を離れるべきではなかった」


 否定はできない。リザの行動は軽率だった。


「リザ、敵の存在に気がついたのはいつですか?」


 ふと、リザはヤオの言葉を思い出した。


『お前がこれからも未来を変えようと立ち回るなら、その武器を晒して仲間に引き込むという使い方をする日がきっと来る』


 今がその時だろうか? しかし、すぐに否定した。ハワードは付き人としての堅実な仕事ぶりと柔軟な思考を持ち合わせている人だが、転生などという理外の内容までも受け入れてはくれまい。


 なれば、取れる手段は一つ。嘘しかない。


「食事中も外を伺っていました。そこで怪しい者を視認。周囲をヴィスコンティが固めているのを確認していたので、打って出た次第です」

「お嬢様たちとの楽しい食事の席を離れて?」

「命なくして楽しい食事は成し得ません」


 外を警戒していたのは事実。だが、視認に関しては嘘だった。店から視認できる範囲に、先程撃退した男たちの姿はなかった。


 ハワードが店周辺の状態をどこまで探っていたか。嘘の真偽はその塩梅で決まる。


 ここに来て、リザは後悔し始めていた。しくじれば今の仕事を失う。そうなればこの人生は本当の本当におしまいだ。主人の存在だけが光で、それ以外はすべて闇だというのに。


 ハワードはなにも言わない。早く結論を出すよう急かそうかと思ったが、


「店に戻りますか」


 と言うので、彼と共に〈インクローチョ〉に戻る道を歩き始めた。


「本当は、最終試験と称して私がベアトリーチェ様を襲う手筈でした」


 そう言いながら、ハワードは水鉄砲を取り出した。


「お前ならやり通したと信じています。ですが、今回見せた成果はそれ以上」


 耳に入ってきた言葉が信じられない。褒められていると気づくまで、数秒を要した。


「攻撃は最善の防御とも言います。頼るべき人間を鑑み、積極的に動くことができるのは優秀な証拠。リザ、お前をボスの護衛として使ってみることとします」

「光栄です。ありがとうございます」

「意外ですね。お嬢様の元を離れるのは嫌がるかと。メロメロなんでしょう?」


 突如紳士的な老人の口から吐き出される浮ついた言葉。笑いはしっかりとこらえたが、この育ての親にはバレバレかもしれない。


「こほん……たしかに、私はベアトリーチェ様を心よりお慕い申し上げております。ですが、ボスの付き人としての道を歩むのもまた、お嬢様のお役に立つと信じていますので」


 それに、ボスの身をこのリザ自ら守れるのはある種僥倖と言えた。未来の可能性を知る自分なら、ボスをより安全に守り切れるに違いない。


「そうですか。オニールの今後も、安泰ですね」


 ハワードとリザの歳は、気が遠くなるほど離れていた。この老紳士も、そろそろ引退を考えているやもしれない。


 ともすれば、ゲームに出てこないのは引退したため──というのは、楽観視しすぎか。


「ハワード様、気が早いです。まだ若輩の身ゆえ、もっと多くを学ばせてください」

「そうですね。……リザ、私がわざわざ最終試験に出る理由、想像がつきますか?」

「強いからでは?」

「ふむ、確かに私はかなり強い。でも、それだけではありません」


 自画自賛にはツッコまないでおく。しかし、実力以外のポイントは思いつきそうになかった。


「誰が相手でも躊躇なく仕事を遂行することができるように。それが、私が出る理由です」

「誰が、相手でも……?」


 いつの間にか、二人の足は〈インクローチョ〉の前に辿り着いていた。

 ドアの前に立ちながら、リザは育ての父を見上げることしかできない。


 すると、店のドアが内側から勝手に開いた。


「もう! リザさん遅い! ごはん冷めちゃうよ!」


 相変わらずの調子で元気な、クレア・ヴィスコンティのお迎えであった。


 ──クレア・ヴィスコンティを殺す。


 嫌な思考が、シナプスの接続によって蘇る。慌てて心の中を冷静に保ち、雑念を放り捨てる。


 もし、それが雑念でないとしたら。

 主人の未来に必要な道だとしたら。


 リザは、主人公クレアの放つ光を前に黙って立ち尽くすほかなかった。


 すると、横の老紳士がスッと前に出た。


「クレア様、水入らずのところを申し訳ありません。偶然そこで会いまして、親子水入らずの会話をしていた次第でして」

「ハワードさん! 久しぶり~今日も素敵です!」

「ありがとうございます。日々身なりの手入れを怠らず来た甲斐があるというもの」

「ハワードさんも一緒に食べませんか?」

「いやいや、子供たちの時間をこんなジジイが汚すわけには行きますまい。リザ、早く戻ってあげなさい」

「はい。ハワード様、それでは」


 父が時間を稼いでくれている間に、リザは心身を整え直していた。去り行く父の背に感謝の念を送りつつ、クレアに連れられて店の中に戻る。


 ベアトリーチェは変わらず座ったままだった。机上には既に注文した料理たちがズラリと並んでおり、主人はおいしそうにスパゲティを頬張っている。


「おかえり」

「ただいま戻りました」


 主人の隣に腰を下ろす。すると、ベアトリーチェの指がリザの手を二度小突いた。テーブルの下なので、クレアには見えていない。


 視線をやると、ベアトリーチェはもくもくとスパゲッティを口に運んでいた。


 しかし彼女はわかっているのだ。主人と付き人の間に符牒はないが、その接触は言外に「おつかれさま」と告げている。


 このお方にはなにもかもお見通しなのかもしれない。誇らしいと共に、末恐ろしくもある。なにせ彼女の未来は──


「ねえビーチェ、そのパスタひとくち頂戴?」

「やだ」

「即答! リザさんどう思います?」

「リザになら食べさせてあげようかな。はい、あ~ん」


 余計な考えをすぐさま漂白し、リザは主人の麗しき施しをその口で甘受した。




 その夜、いつも通りリザはベアトリーチェの髪を梳かすためにパウダールームを訪れた。


「リザ、おめでとう」


 そう言うベアトリーチェは、既に自身の手で髪を梳かしていた。


 自分にとっての天命とも言うべき仕事だったのに。リザは腰を抜かしそうになるのをなんとか耐えながら、直立姿勢を維持する。


「ここに座ってくれる?」


 主人の隣には、見慣れない椅子が置かれていた。


「あなたが居ない日もあるだろうから、こうして慣れておかないとと思ったのだけど……ここでこうして話をしないのもなんだか気持ち悪くって。許してちょうだい?」

「夜には髪を梳きに戻ってまいります」

「大丈夫よ。自分で梳けるし」

「そうですか」


 あまりキモがられてもいけない。落胆の色は見せないように務めた。


「今日は良かったわ、クレアとの時間を邪魔されなくて」

「お役に立てて光栄です」


 実際には推しカプの対面を邪魔する結果になってしまったのだが、主人の楽しい時間を守ることができたのだ。これ以上に誇らしいこともあるまい。


「不思議なことに、クレアとの時間は替えが効かないの。同年代の子とはどうにも波長が合わなくて……刹那的な享楽に溺れるようなことはわたしにはできない」


 この時代、好景気の流れに乗った上流の人々は必要以上に浮かれていた。品のあるオニール家の人々は、言うなれば時代の中の異端と言えるだろう。実際、主人が同世代の子供たちと社交以上に仲良くしているのはリザも見たことがない。


 しかし今の発言には、どことなく腑に落ちないポイントがあった。


「ご趣味のギャンブルは刹那的な享楽に含まれないのですか?」

「鋭いわね、流石リザ」

「恐縮です」

「わたしにとってギャンブルはギャンブルにあらず、それはゲームなのよ。きっと懐に余裕があるからこんな考え方ができるのね」


 そう言って、どこか自嘲気味に笑う。自分の思考や立ち位置をここまで明確に言語化できるこの方は、やはり聡明だ。


「たしかに、ゲームに勝てば気持ちいい。でもね、わたしは勝ち続けたいの。負けるのは嫌。戦って戦って、勝ち続けたい」


 頬がわずかに赤らみ、情熱的な笑みが浮かぶ。


「刹那じゃ我慢できないの……」


 その笑顔に表れたるは、子供らしい無邪気イノセンスか、大人の獰猛フェロウシャスか。

 どちらとも言えない、狂気が覗いていた。


 初めて見る主人のかおに、リザは──恐れと共に、高揚を覚えていた。先日のヤオの言葉が想起される。


『たとえ放っておいても、名家に生まれなくとも、独りでにこの世を駆け上がっていく。そういう目をしていたぞ、お前のご主人様は』


 自分はこの方のなにを見ていたのか。ヤオに見えていて自分に見えていなかったものとは。


 かと思えば、主人の表情は平生のポーカースマイルに戻った。


「そんなものだから、大人と話している方がずっと面白いのよ。勝ち続けている人だけじゃない。負けを重ねた人も面白いわ」


 くるくると変わる表情についていくこともままならない。遂にはそのおもては、年相応の少女よろしく楽しげな微笑へとほころんだ。


「でも、あの子クレアは踏み込んで来るの。わたしは……それに付き合わされてしまうのよね」

「素敵なご友人、大事にしてくださいませ」


 言いながら、リザは考えていた。


 ──どっちだ?


 既にして、この方の中には悪の蕾が芽吹いている。それはきっと、刺激によって花開く。


 どちらが本質か? 言うまでもなく、乙女ゲーム開始後の彼女はその好戦的な性格を前面に出している。現実を揺り動かすマフィアのフィクサーとして。


 ただカジノゲームに興じるスタンスであればいい。それが表出したとき、彼女はきっと悪へと転じてしまう。


 そうならないためにも、明日からの仕事に尽力し、未来を勝ち取らなくては。


 ひとしきり会話を終えたところで「そうだ」とベアトリーチェが切り出した。


「明日からのお仕事なんだけど、お父様に何かあったら教えてちょうだいね」

「何かとは……?」

「あなたが気になったことならなんでもいいわ。ユニークな点でも不審な点でもオーケーよ」


 すなわち、子が親にスパイを遣わすということか。それがなにを意味するのか、考えずともわかることだ。


「勘違いしないで。あなたのスキルアップも、あなたを護衛につけることでお父様の護衛を増強したいのも本当。でも、もう少しお父様のことを知りたいというわたしの気持ちも本当よ」


 承諾できないはずがない。リザ・ストーンは主人のための付き人である。


 欲望と裏切り渦巻くマフィアの世界と、そこに合わせて生み出された悪役令嬢。


 開花の時を待たずして、彼女にも何かの作為がある。ともすれば、既に──


「承知しました」


 主人の底知れなさを感じると共に、リザは密かな好奇心を抱いていた。


 この方が乙女ゲームのレールを外れた時、いったいどうなってしまうのか。


 その景色を、この目で拝んでみたかった。防ぐべきその結末はきっと血染めの光景で、許されることのない罪と悪のどん底だ。


 だが──そこに咲く鮮やかな赤い華は、何にも代えがたい美しさを放つのだろう。


 その好奇心を胸に仕舞い込み、リザは愛する主人に頭を垂れる。


〈To be continued〉

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