呼び出しの鈴
呼び出しの鈴
僕の前に現れた瀬野文乃(せの ふみの)は小首をかしげて言った。
「話ってなに?」
野球部が使う屋上の練習場――。
まだ誰も来ていない。
緑色のネットがぐるりと張り巡らされていて、少しヒヤッとした秋風が通り抜けた。
僕は「あっ、うん……」と頷いて、ほほ笑む。
頑張って。
「別に大した用事じゃないんだ。その、文化祭の準備が来週から始まるだろ? なにか手伝えることとかないかなって」
僕の発言に文乃はきょとんとしてから「えっ、そんなこと……?」と肩を寄せる。
「もー、そんなんだったら教室で言ってよ。こんな改まって呼び出されたから、何事かと思っちゃったじゃん」
彼女はいつもの調子で、僕の腕をバシバシ叩いた。
「タクにはやってもらいたいこと、結構あるからね! やっぱりタクじゃなきゃダメなんだよなぁー。じゃあ今年も頼むぞっ!」
そう言って彼女は拳を突き出してきた。
僕はいつものように拳を突き出して、こつんと当てる。
そこへ野球部の下級生が荷物を抱えて屋上へやって来た。
ふたりだけの空間が、終わった。
こんな改まって呼び出されたから、何事かと思っちゃったじゃん。
文乃の言葉は温かい。
でも、現実は違う。
僕は告白した。
文乃に、あの場で……「好きなんだ。ずっとずっと昔から!」と思いを込めた。
けれども文乃は「ごめん。タクをそういう目では見れないんだ」と断った。
涙が、あふれた。
ぐっと奥歯を噛んで、僕はポケットから鈴を取り出す。
それをしゃんと鳴らすと……目の前から文乃が消え、ひんやりとした空気がわずかに温かみを取り戻す。
時計の針が十分だけ、巻き戻る。
文乃に断られた気持ちを一生懸命に落ち着けて、呼吸を整えたとき――。
なにも知らない文乃が屋上にやって来た。
十分前の光景が、再来する。
だから、僕は当たり障りのない言葉で濁す。
失敗するとわかっている告白は、したくなかった。
断られるのは、嫌だった。
僕が文乃を好きになったのは、小学校五年生のときだ。
同じクラスになって、気づけば好きになっていた。
たぶん初恋で、これ以上に誰かを好きになる事ってあるのかなって思うほど……文乃が好きだ。
彼女とは住んでいる地区が違う。
だから中学校が分かれる。それが嫌で……無理やりな理由をつけて越境通学をした。
こっそり自転車で途中まで走って、途中から何食わぬ顔で歩いて通学する。冬のあるときに、自転車を盗まれた時は……通学に苦労した。
そうして高校に上がった。
彼女と一緒に行きたくて……頑張って勉強した。
高校生になったら告白して、テレビドラマみたいな高校生活を送ってやると心に誓った。
中学生の頃は気を配らなかった身なりや髪型も変えた。
ファッションに気を遣うとなれば……お金がいる。だから、黙って夜のコンビニでバイトした。居酒屋もちょっとやった。夏休みに引っ越しのバイトもした。
まわりの子たちは「タクって高校生になってから、変わったよね」「格好良くなったよね」と言ってもらえるようになったのは嬉しかった。
文乃に告白したら、うまく行くだろうか。
誰にも相談できない心のもやもやを抱えて、一年目の秋に告白をした。
……しゃん!
どれだけ身なりを整えて、文乃に嫌われないように気を配ったとしても――心はずっと変わらない。暗い性格が根底にあって、こんな僕を文乃が好いてくれるだろうか、という不信と不安ばかりが渦巻いている。
そんなとき『あの鈴』を見つけた。
学校の資料室を掃除しているとき、誤って棚から箱を落としてしまった。
地域の郷土資料を保管している場所で『資料室』とは名ばかりの『倉庫』になっていた。
生徒会の先輩たちが「ああっ、おい!」とか「気をつけろって!」「大切に、慎重に!」とあちこちから注意が飛んできた。
高校一年生だった僕はおろおろしながら、箱のなかに入っていた『鈴』を確かめる。
小さな鈴が三段に連なっていて、取っ手がついている。
あとで調べて分かったことだけれど『神楽鈴』というものらしい。
僕は神楽鈴が壊れていないかを恐る恐る確認した。
そのとき『落ちる前にもっと気を配っておけばよかった!』と強く願いながら、しゃんと一振り……音を鳴らした。
「あっ、よかった。壊れてなさそ……あれ?」
周りにいた先輩たちの姿は消え、掃除のために引っ張り出していた箱や荷物がしっかりと戸棚に収められていた。
「えっ、なに……なんで?」
ポケットに入れていたスマホを見る。
十六時から掃除を始めたのに、いまの時刻は十五時五七分――。
軽い混乱がぐるぐると頭をめぐっていたとき、資料室のカギがカチンと開き、生徒会の先輩たちが入って来た。
「おおっ、内田がいるじゃんか。今日、来るって言ってたのに来なかったから、てっきりサボったもんだと思ったぞ」
ぞろぞろと清掃のために入って来た先輩たちに、僕は困惑する。
「えっ、えっ、えぇっ……?」
すると文乃がくすくす笑いながら。
「生徒会室に集合してからって言ったじゃん。もうー、タクはいつもそそっかしいんだから」
そういって腕をバシンと叩いた。
手にしていた神楽鈴は、鳴らなかった。
約十分――時間を巻き戻せる。
不思議な神楽鈴の秘密を知った僕は、それを鞄に、ポケットに入れて持ち歩くようになっていた。
いくつかの齟齬が生まれる事がある。
たとえば、鈴を見つけたときの清掃時――僕は十分を巻き戻したせいで、施錠されていた倉庫に存在していたことになった。
それなのに誰も「あれ、カギはどうしたの?」とは聞いてこなかった。
ゆっくりと流れる時間のなかでは、そうしたささくれた時空の矛盾はスルーされてしまうものなのだろうか。
また、この神楽鈴は振る者(ここでは僕)が「時間よ、戻れッ!」と念じなければ音が鳴らない。ポケットに入れていたり、鞄に入れているだけでは音が鳴らない。
最初こそ、飛び上がるような衝撃があった。
しかし……冷静に考えてみれば、使いどころがわからない。
いちど、交差点で交通事故の現場に遭遇した。
そのときは咄嗟に神楽鈴を振って時間を巻き戻し、事故を起こすタクシーに手をあげて停車させた。ドライバーからは「なに、いたずらなの?」と怒られたが、交差点での事故は発生しなかった。
たった十分……。
もし僕が事故の当事者なら、目が覚めたときには数時間が経過しているだろうから、意味がない。それに宝くじの番号を事前に知ったり、競馬のあたり馬を知ったりする……という事だって出来ない。
「なんか、使いどころが難しいな……」
その場で当落がわかるようなものでなくてはいけない。
そこまで考えが至った高校一年生の秋――。
僕は初めて文乃に告白した。
そして、断られた。
……しゃん!
文乃は小首をかしげて「話ってなに?」と繰り返す。
僕は涙を堪えて「んあ、んははははっ!」と笑ってごまかす。
こんなに悲しくて、胸がぎゅーっとなって、悔しくて……でも、また振り出しに戻る。
もっと文乃が好きになるような男にならなくちゃいけないんだ。
それから生徒会の仕事にも参加したし、学級委員を務める文乃の手伝いだってたくさんやった。バイトして、身なりを整えて、勉強もして……。
休みの日に文乃と遊びに行って、たくさん笑って、いろいろ喋って――。
そしてまた、夏に告白して……。
断られた。
……しゃん!
すごく悲しくて、タイムリープものの映画をたくさん見た。
いまの行動が未来を変える。そんな仮説にのめり込んだ。
期末試験が行われた週に――僕は毎日、文乃に告白した。
しゃんしゃんしゃん……。
五回の鈴の音が、鳴った。
何度繰り返しても、文乃は「ごめん。タクのこと、そういうふうには――」と答える。
そしてさっきも屋上で、また――断られた。
どれぐらい断られたんだろう。
彼女の事を傷つけた回数は、実質ゼロかもしれないけれども、僕はなんども彼女を鋭く引っ掻いてしまったような気がしていた。
「終わりにしたい」
放課後の校舎で文乃と別れた僕は、校舎裏にあるごみの集積所に向かった。
各クラスから出たゴミが大きなラックにまとめられていた。
僕は鈴を振る。
音は鳴らない。
その神楽鈴を振りかぶって、地面に叩きつけた。
そうして踵で踏みつぶして、芯を折り、鈴を砕き、ねじるように踏みつけた。
「くそっ、くそっ、くそぉっ……!!!」
ぜえぜえと激しく肩を揺らしながら、僕は壊れた神楽鈴をゴミ箱のなかに叩き込んだ。
そうして校舎を見上げた。
校舎裏の、ちょうど日陰になった陰鬱な建物の背中が、のっぺりと建っていた。
僕は再び歩き出す。
生徒会室に向かって、扉を叩いて……なにかの打ち合わせを始めようとしていた先輩たちの視線を浴びながら――。
「文乃ッ、ちょっと来てほしいんだ」
「えっ、でも……いまは」
「頼む、すぐに来てほしい!」
そう言って文乃を強引に連れ出した。
人気のない場所を探した。
けれども、どこもかしこも誰かがいた。
だから……あのゴミ箱が積まれている校舎裏に舞い戻ってきて、僕は告白した。
なんと言ったかは覚えていない。
ただ、純粋に昔から文乃が好きだったことを伝えた。
つい三十分前に断られたばかりだったから、結果は見えていた。
けれども、今回は巻き戻さない。
ポケットに、もう神楽鈴はない。
ぐっと頭を下げた僕の頭上で、文乃の「バーカ」というおちゃらけた声が響く。
「えっ」
顔をあげた僕の前で、文乃は涙を浮かべて。
「遅いんだよ、告白するの。ずっと待ってたのに――。」
そう言って笑っていた。
その笑顔を見たとき、僕はもっと早く神楽鈴を壊すべきだったと理解した。
終わりかけた夏の匂いがした。
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