間話 オギヤカ死す
※オギヤカと
読み飛ばしても本編にはさしつかえありません。
やがて、オギヤカは死んだ。
琉球史上、悪女の代表のような、しかし琉球王朝の
出自不詳。
年齢から逆算すると、のちに尚円王となる夫
夫や息子を王座につけ、影でさまざまな政治手腕をふるった形跡があるこの女性に、興味は尽きない。
そして息子、尚真王につけられた神名は「於義也嘉茂慧(おぎやかもい)」。
「オギヤカ思い」という意である。
国王の神名としては異質なもので、オギヤカの息子尚真王に対する、異様ともいえる盲愛ぶりがうかがえる。
しかし尚真王は、決して母親の
オギヤカ亡きあとも、道路や港などのインフラをととのえ、身分制や地方制度の基礎を固め、輸出する馬を増やして交易を盛んにし、多くの寺院を建立するなど、数々の業績をのこして、琉球史上、「名君中の名君」とも評されている。
オギヤカの死後――。
尚真王は、ただちに殉死を禁止した。
尚真王の功績をたたえる国王
なぜ、オギヤカ入滅の日に、という疑問がわく。
禁止しなければならぬほど、オギヤカに殉じそうな者がよほど多かったのか、それとも、オギヤカへの忠誠を許したくなかったのか、あるいは単に、
いずれにしても、オギヤカを追った者はなかったとみられる。
そして――。
あのオギヤカの「呪いの碑文」の
名を刻まれなかった王族たちも、次代の尚清王によって、
その玉陵には、いくつかの謎がある。
その
玉陵に、オギヤカの遺骨が、見あたらないのである。
葬されるべき者として、自分の名を尚真王に並べたオギヤカ。
だが、その遺骨が、ない。
夫
これがそうだという史家もあれば、それは、オギヤカが義姉のために
尚真王が、母オギヤカを玉陵に入れることを許さなかった、という者もある。どちらにしても、オギヤカが玉陵に葬られてはいないことは、たしかなようである。
ならば、なぜ代々の王たちは、オギヤカの石碑を
オギヤカを玉陵から排除した時点で、あるいは戒を破ることになった時点で、石碑は
勘ぐれば、そこには、オギヤカの意思を無視したことを、あえて
そして、もう一つの謎――。
玉陵には、東、西、中央と三つの石室があるが、その中央に、誰のものかわからない
風葬であった琉球では、遺体は棺に入れたまま、いったん墓の中へ安置する。数年を経て白骨化したのち、洗骨し、あらためて厨子甕へ収める。
中央のこの石室は、遺体が骨化するまでの
沖縄の墓制には「ウジョーバン(御門番)」といい、一番新しい被葬者の厨子甕を、門番として、墓の入口におく習俗が、あるにはある。
しかし誰かが亡くなれば、次はその
この厨子甕には、銘がないにもかかわらず、国王とおなじ立派な彫刻がほどこされている。
これは、あやまちを悔いた尚真王が、木田大時を
尚真王は、オギヤカを玉陵に入れず、木田大時を、みずからの墓に
その真相は不明であるが、木田大時の族親の方々が、
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