第6話 不思議の文字

 翌日から、苗の怒涛どとうのような質問がはじまった。

 暦のこと、方位のこと、易の解釈のこと、数霊のこと、漢籍の読み方のこと……。

 神々が元か、それとも神々よりこの陰陽が元か、というような木田にも答えがたい質問も多かった。

 簡単な見立みたては弟子にまかせ、木田はできるだけ苗に教える時間をつくった。

 師弟であったはずが、いつしか互いのかんがえを論じあうような時間になることも多かった。

 思えばはじめから、大時が、師匠然ししょうぜんと尊大にふるまうことはなかった。それは弟子たちにも同じだった。

 ときには他の弟子たちと共にひざを並べた。皆、論じることをよろこび、また楽しんだ。

 談論風発だんろんふうはつ、志をおなじくして学ぶ者たちと、自由に語り合えるこの場が、苗は好きだった。これまで経験したことのないここちよさが、そこにはあった。


 あの見慣れぬ不思議な文字のことを、苗はたずねた。

「ああ、それは琉球の文字です。ええと……。これはご存知ですよね」

 大時が時双紙をひろげ、方位図を指さしてみせる。

「ええ。丑寅うしとらに、未申ひつじさる……」

 十二支をあらわす文字は、苗も知っていた。方角や時間によく使われているものだ。

 パラパラとちょうっては戻しながら、大時がつづける。

「……、あ、ここです。これらもおなじく琉球の文字で、こちらは方角ではなく、神々のことを示しています。ええと、これがアマミキヨとシネリキヨ、こちらがキミテズリ、それとオボツカグラに、ニライカナイ……。

 こっちは土地神さまで、后土こうどの神、火の神……、で、こちらが九曜くようの神々……。そうだ、まとめたものがありますから、あとでお持ちしましょう」


「この文字ひとつだけで、アマミキヨ、と読むのですか?」

「ええ。というよりは、です。文字にはひらがなのように、単に音をあらわす文字と、漢字のように、意味をあらわす文字があります。ここにある文字は、ひとつひとつが、それぞれの神々を意味しています。たしか天竺てんじくの文字もそのようだと……」

「これは、文字ですか? それともこの時双紙だけの記号でしょうか?」

「うーん……。時双紙以外でも使われておりますから、文字といってよいでしょうなぁ」


「そもそも、文字と記号、符号とはどう違うのですか?」

「文字と記号? うーん……」

 大時はななめに見上げて、少しくかんがえる。

「同じ、でしょうかなぁ。かんがえたこともありませんが……。そうですなぁ、それを使う人の数、によりましょうかな。仲間内でしか使われないのなら、ただの符号でしょう。人々のあいだでひろく通用するのであれば文字、といえるかもしれませんな。……とすると、この字は、昔の書物には使われていますが、今はほとんど我々トキしか使いませんから、ならば、やはりただの符号になりますかな」


 腕を組んだ大時は、なかば自問するようにつぶやく。

「いや、待てよ……。ひらがなのように、私たちがしゃべることばを書きあらわせるのが文字……、いや、『文章』を記すことができるのが文字……、で、読みにかぎらず『意味』を持つものが符号……。ウーン、いや、そうとも限らぬか。――いやはや、よくわかりませんな。はっはっは」


「その琉球の文字では、文章は記せないのですか?」

「わかりません。実はもう一冊、琉球の文字で書かれたものがありまして、それはこのような一文字づつではなく、長々と書き連ねられておりますから、文章にはちがいないはずなのですが……。なにしろ読めない字がおおすぎて、なんとも……。今、読み解いている最中なのですが、正直なところ、手も足もでません。きっと、神様が破り忘れたものでしょうかな。ははは」

 相変わらず真顔の苗は、そっけない。


「それを拝見できますか?」

「ええ、もちろん……」

 立ち上がった大時は、奥へゆくと、いかにも秘笈ひきゅうらしいウコン染めの包みを手に戻り、黄のあざややかなそれを、苗の前で開いた。

 だいぶ古そうな、あまり厚くはないその本は、たしかにその表題さえ読めない。

 目で承諾しょうだくをもらって、つまむようにちょうをめくる。

 やわらかく流れる線に、幾何学的な文様もんようが混じっている。漢書のような固い文字ではなく、どちらかといえば、ひらがなに近い印象た。

 ところどころに干支えとや、神々の文字がみえるだけで、大時の云うとおり、とうてい読めるものではなかった。


 苗はふと、あの秘伝の神歌の「ぬぅがれいれい、だーばりいり、ぐうやぐうや~」というわけのわからぬ言葉が、この文字ではないか、と思ったりした。


 知らなかったことが、日々、波のように頭の中になだれ込んで来る。

 あたりまえのように過ごしていた生活が、遠い昔のように、毎日が新しい。一日は、こんなにも大きく、一日が、こんなにも満ちている。

 一度、トキとして学びなおしているという思武太ウミムタに、

「ノロが易を学んで役に立つのですか」

 と問われたことがあった。が、要不要ようふようは、もう苗の眼中にはない。知らなかった世のことわりを知ることが、たまらなく楽しかった。


 もちろん御婆おんばあから伝えられたあの奥義おうぎのことも忘れてはいない。

 秘伝であるから、実家でうたうような声は出せない。口先に唱え、謡のとおりに「温かいかたまり」を、胸や尻や頭にとどめる練習をした。

 それは、やがて身体の中で熱く燃えて、たしかに「黄金の玉」というようにも感じられた。

 ときに、それがだんだん大きくなって、閉じたまぶたを透くほどに明るく輝くこともあった。しかし、それを「もっと大きくしよう」とかんがえたとたん、ふっとかき消えてしまい、それ以上、どうすることもできなかった。

 うたの中に、


 風の押すて やにやうれ、(風があっても静かであれ)

 波の立ちて やにやうれ、(波が立っても静かであれ)


 ということばがあった。

 心に波風を立てるな、というのだろう。

 思っていたほどの進展はなかったけれど、ただ、謡のとおり「黄金の玉が明るく、大きくなった」ということが、わけのわからぬ謡の、自分の解釈かいしゃくに、確信のようなものを与えてた。




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