第2話 聖地 上之嶽

 静かに、息を吸う。

 細く細く、息を吸う。

 ひたいから、温かいものが流れこんでくる。胸の真ん中を流れりて、へその奥で、ひとつの熱いかたまりになる。

 細く細く、息を吐く。

 すぼめた口から、糸のように、細く細く、息を吐く。

 熱い塊は、背中をのぼって、首の後ろから舌の裏をぬけて、口先を出てゆく。

 しばらく続けているうちに、汗ばむほどに、体全体が熱くなる。


 上之嶽で祈っているときの、不思議な感覚だった。

 はじめてそれを感じたのは、久高島での「巫病カミダーリ」から、少しってからだ。

 いつものように上之嶽で祈っていたある日、あの、ひたいうずきが、またやってきた。

 かまわずそのままにしていると、あのときのように眉間がギリギリと痛みだした。

 便秘が治るようなものだと、御婆は云っていた。それで、そのまま放っておいた。

 そしたら、スンとなにかが突き抜けるような感じがして、あたかも額から息をしているような感覚になった。

 冷たい空気が、自分の身体の中で、だんだん熱を帯びてくる、「冷たくて熱い」不思議な感覚だった。

 とくに、寒い冬の朝まだき、しずかに息をするときに、清涼な空気がツンと鼻をとおって、体内に流れ込んでくる感覚が、苗は好きだった。

 村に拝所はいくつもあるが、この感覚は、上之嶽が一番強い。御嶽に近づくあたりから、すでに額がチリチリした。

 上之嶽は、ほかの拝所よりずっと清浄な感じがして、心が安らいだ。

 幼いころから来ていたせいか、そこに身を置いているだけで、なんだか「自分の場所」というような気がしてくるのである。

 スダジイさん――あの、大きな目玉をしたスダジイの巨木の精――の姿は、いつしか見えなくなっていた。

 スダ爺だけでなく、御婆が云っていたとおり、いつのまにか、苗には異界の者たちが見えなくなっていた。

 が、以前とかわらずそこに居る、やさしい気配は感じられた。上之嶽には、いつもなにかが見守ってくれているような感覚があった。


 上之嶽で祈っていたある早朝、いつもとはちがう感覚におそわれた。

 あの、ギリギリと「疼く感覚」が、額ではなく、頭のてっぺんに感じたのである。

 あの温かい塊が、呼吸にあわせて、背中を行ったり来たりする。あたかも頭頂とうちょうで息をしているかのような、奇妙な感覚だった。


 ある日。

 頭頂にはじまった、あの感覚。

 しばらくすると、瞑する自分の頭上に、明るい星のような光が、ちらちらと瞬いた。

 ときどき現れていたその光は、目を開いたとたん、いつもフッとかき消えてしまうのだったが、その日、肉の目は開かず、目を閉じたままでいた。

 すると、その光は、だんだん明るくなってきて、頭上に燦然とかがやきだした。やがて、まばゆいほどに明るくなったとき、その光へ、自分が吸い込まれてゆくような感じがして、すうっと身が軽くなった。

 気がつくと、鳥のように宙に浮いていて、神前しんぜんで祈っている自分自身の姿が見えたのだ。

 自分が自分を、上から見ている。

 その奇妙な感覚をたしかめるように、自分の腕を動かした。すると、眼下がんかにある自分の体もまた、そのとうりに腕を回す。首をかしげてみると、自分の肉体もそのとおりに、首をひねるのだ。

 まるで遠くから、自分の体をあやつっているような愉快ゆかいと不思議とであった。


「そうか……。修練すればそのような力がさずかる、と聞いてはいたが、まさか苗、おまえがここまでになるとは、思いもせなんだ……」

 「額がとおる」感覚は、御婆も知っているが、この「温かい塊」や光のことは、わからんという。御婆のおどろきとよろこびは、意外なほど大きかった。

「ただな、用心せんと、魂が抜けているあいだ、カラになった自分の身体に、別の魂が入り込んで、身体を乗っ取られてしまう、というぞ。ぐれぐれも清浄なところでやらんといかんのだそうじゃ。よいな」

「ん? 御婆、何か知っておるのか?」

 この奇妙な体験のことを、よく知っているような御婆の口ぶりに、苗がたずねた。

「あ……、いや、昔な、口寄せしていたどこぞのユタが、元に戻らずそのまま狂い死にした、と聞いたことがあるでのぅ……」

「ふぅん……」

 苗の顔から怪訝けげんの色が消えて、御婆は、ちと安心した。

 苗には話してしまおうか。苗なら、あの意味を、あの謎を解いてくれるかも知らぬ。

 御婆は首を振って、破戒はかいまよいを払った。


 苗は、御婆とともに、そしてブチ丸と一緒に、琉球中の御嶽を巡っては、祈り、瞑した。

 久高の島をまわり、首里から佐敷、玉城の間切から、ときには遠く今帰仁の聖地まで訪った。

 そしてまたこのころ、苗は未来のできごとが、見えるようになった。

 幼い昔から、たまにあったことではある。

 ただ以前は、自分の意思とは関係なしに、幻のようにいきなりやってきた。

 それが、その者の体に触れて強く念じると、その行く末が見えるのである。

 必ず見えるわけではないが、子を宿やどした女の手をつよくにぎれば、女に抱かれる子の姿が見えたりした。生まれてくるのが、男か女かがわかった。

 だか、死産や難産で母親の死が予知されることもあって、そんなときは、難をまぬがれる方法を探すのに苦労するうえ、どうしても避けられないこともあって、苗はあまりこの技を使いたくなかった。

 この、未来を知る力も、人の病を見る力も、魂が抜けてゆく能力も、どれも思いどおりにはできないもどかしさはあるが、日々、神威セジが高まっていることを、苗は実感していた。

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