第6話 あこがれの勾玉

 苗八歳。

 あれから二年余。

 今、苗は御婆おんばあのもとで、読み書き算術のほか、時間や暦の読み方、潮の満ち干き、方角といったものを学んでいた。


 このころの琉球では、漢字まじりのひらがなが主に使用されていた。

 「めんそーれ(いらっしゃい)」を「めしやうれ」といったように、ひらがなの音を借りて、琉球のことばを表記するのである。

 言うまでもなく、教育をうけることができるのは有力者の子弟だけで、庶民はほとんど読み書きはできず、物や数を示す「スーチューマ」という記号をつかって、日常のようを足していた。

 勉強するにも、高価な紙は使えない。

 何度でも書いては消せるよう、うすい箱に砂や粘土をめたり、板に書いてけずったりした。


 苗ののみこみは早かった。

 漢字もだいぶ覚えたし、算術はもう御婆や母よりも早いくらいだ。ノロの心得こころえは別として、御婆や加那に教えてやれることは、もうあまり多くはなくなっていた。

「よし、明日からはノロの勉強じゃな。さてと……、苗、ちょっと待ってろ」

「なに?」

 御婆は、神屋の棚から、朱塗りの箱を持ち出してきた。

 細かくひび割れたうるしのところどころがげて、下地したじどろがのぞいているその古いひつは、苗の家に代々伝わるもので、ノロの祀具さいぐおさめられている。

 ゴホンとひとつ咳払せきばらいをして、ひつふたをあけながら、御婆がいう。

「苗は、ようがんばっておるからの、これをやる」

「なになに?」

 御婆は、あさつつみを取り出し、それを苗の前にさしだして、開いた。

「わぁ!」

「どうじゃ! おまえの欲しがっていた、『』じゃ!」

「きゃははは。御婆、ま、が、た、ま、じゃろ」

「……」

「きれいじゃのう……。いいんか? アンマーが、ノロになったらあげるって云ってたけど」

「うむ、佐事さじの分だで、ちょっと小さめじゃがの」

 目をかがやかせ、苗がそれを受け取ろうとしたとたん、御婆は意地悪いじわるく、それをヒュッとひっこめた。

「ただし! これは大事なもんじゃ、いつも着けてては、いかんぞ。失くしたら大変だからの。大事なお祈りのときだけ、着けるんじゃ。わかったの」

「わかった……」

 御婆の手から、両手でいただくように受け取ったその勾玉まがたまは、御婆のよりもずっと小さいけれど、本物にはちがいない。

 ”ヒスイ”という宝石なのだというそれは、きとおった乳色ちちいろに、あざやかな緑色がけむりのようにまじりあって、美しい色をしていた。

「それからな、今、その首につけているものは、外してくれんか? ちょっとにおうでな」

 葉っぱの首飾りはすぐ切れてしまう。

 苗は今、浜でひろったモーモー(タカラ貝)やイモ貝や、田んぼでとった田螺たにしやらをつなげて、トコブシのからを、勾玉がわりにぶらさげていたのだった。

 それがちょっとくさかった。

 ほんの一瞬、名残なごりおしそうに見つめて、貝の首飾りを、苗は御婆にさしだした。

 本物の”ヒスイ”の勾玉を宙にかして、笑みをむ苗であった。



 次の日から、苗のノロとしての学習がはじまった。

 火の神、太陽の神、井の神、アマミクの神……。琉球にはありとあらゆるところに神々がんでいる。

 数ある拝所をもうで、これからノロとして精進しょうじんすることを神々に報告し、挨拶し、そして承認しょうにんうた。

 ノロとして習得せねばならない祭祀ごとの祝詞のりと神謡しんようは、数えきれない。

 読み書き算術につづいて、苗はそれらを次々とおぼえてみせ、御婆や母を驚かせた。

 歌うのは好きだった。

 さまざまな祭祀には、それぞれに歌われる神謡「ウムイ」「クェーナ」が決まっている。短いことばをくりかえすものも多いが、中には一晩中かかっても歌い終らないような、長いものもあった。

 どれだけ長くても、たとえば豊穣ほうじょうの祈りでは、田植えから稲刈りまでの手順が歌になっているし、航海の安全祈願の祈りでは、旅の路程ろていが歌詞になっている。全体の流れを理解すれば、覚えるのはさほど苦でもない。

 苗にとってそれらは、覚えるというより、口にしているだけで、そのようすが頭の中で再現されて、勝手に頭の中に染み込んでくる、というふうだった。

 また、神謡しんよう神詞かみごとの中には、みんなの前でとなえたり、みんなと一緒に歌ったりするものと、自分ひとりだけで「神さまにとなえることば」がある。

 これも祭祀ごとに異なるのが、すこし大変なところではあった。

 その、自分だけでお祈りする神謡・クェーナの中には、まったく意味がわからないものもあった。


 ぬぅがれいれい、だーばりいり、ぐうやぐうや、びーじゃやびじゃや~。


 こんな、呪文のような、単なる「音」が並んだだけのうたである。

 意味をつないで覚える苗には、これは苦手にがてだった。

 それらはたいてい、由来ゆらいさえも定かでない古謡こようで、御婆に意味をたずねても、知らんという。

 なんじゃなんじゃどういう意味じゃと、苗があびせる矢継やつぎばやの質問は、たびたび御婆を閉口へいこうさせた。

「今はの、とにかく覚えるだけでよい。苗がもっと大きくなったら、ちゃんと教えてやるでの」

 きゅうしたとき、御婆はいつもそう云った。


 稲穂祭いなほさい節句せっくといった年中行事のほかにも、雨乞いや村人の祝いごと、厄払やくばらいなど、ノロのつとめは、まことに年中えない。

 それらの手順も、祭祀ごとに覚えなければならないものだった。

 歌とくらべて、そのような細則さいそくを覚えるのは、苗はあまり好きではなかった。

 それでも、一を聞いて十を知る、といったふうで、苗はまたたくまに習得してゆく。

 通常なら何年もの、ときに十年といった歳月が必要な、ノロの口伝であった。

 形式には意味がある。

 うわつらの手順だけを記憶しようする者とちがって、苗には、おもてにあらわれる形の、その奥にある理由、本質といったものをたちまちとらえてしまうような鋭さがあった。

 天賦てんぷの才かもしらぬ。

 自分の孫娘ながら、御婆はひそかにしたいた。


「よいか苗、おまえにはなんの力もない。

 お日さまがるのも、雨が降るのものも、決しておまえの力ではないぞ。おまえは神さまにおたのみするだけじゃ。みーんな、神さまのお力じゃ。たとえお祈りが叶えられて、ゆめ、傲慢ごうまんの心を持つでないぞ」


「自分のとくばかりかんがえている者と、みんなのために汗を流す者がいたら、苗、おまえはどっちの味方をする? ――そうじゃのう、神さまもおんなじじゃ。

 おまえはいつも、村のみんなのことをかんがえてやらねばならん。でないと、神さまは、おまえから離れてしもうぞ」


「良いものはひたいから、悪いものは首のうしろから、おまえの体に入ってくる。祈っているときに、首のうしろが冷やりとしたり、気持ちが悪い感じがしたら、すぐに止めるのだぞ」


い心を持てばいものが、わるい心を持てばわるいものがってくる。おまえだっておんなじじゃろう? 意地悪な子とやさしい子がいたら、どっちと遊びたい? ――。

 そうじゃろ? やさしい子と一緒にあそびたいじゃろ。だから、嫌なこと、おこったり人をにくんだりする気持ちは、心にとどめてはならんぞ」


「自分の心にきれいな川が流れている、と想像するんじゃ。流れない水は、そのうち澱んで腐ってしまう。

 汚いものが心にとどまらないように、心のなかに、きれいな川を流すんじゃ。嫌なことはぜ~んぶ、お空へあずけてしまうのじゃ。心を澄ませて、いつもあの空のように、晴れた心を保つのじゃ。まあこれが一番むつかしいがのぅ」


 苗は毎日、御婆のおしえを、空気のように吸いこんだ。

 めしを食うように、水を飲むように、御婆の言葉のひとつひとつをかてにして、育っていった。

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