第二話 演劇部


「演劇部に体験に行きたい?」


 担任の森岡先生がきょとんとした顔で言った。  

 私は恥ずかしさから、先生の目を見れないまま頷く。

「いいですね!もしかして、この前の演劇鑑賞ですか?」

 見ると、先生の顔には優しい笑みが浮かんでいた。よかった。私は安堵した。「今更?」とか「日隈ひのくまさんみたいな子が?意外」とは思われていないみたいだ。

「はい。ちょっと、興味が湧いて」

 私がはにかみながらそう答えると、先生は声を弾ませて、「では、演劇部の顧問の先生には私から伝えておきますね」と言ってくれた。


 先生は、なんだか私が自分から話しかけに来てくれたことを喜んでいるように見えた。


 それも、そうか。


 私はクラスの中でもおとなしいほうだと自覚している。話すのがあまり得意ではないから、クラスメイトの中でも、まだほんの数人としか会話したことはなかった。

 大人と話すのは、もっと得意じゃない。

 同じ年代の子たちと話すときよりも、緊張する。なんだか「失敗するなよ」と言われているみたいで。何か間違ったことを言って失望されるのが、怖いからだと思う。

 まあそんなこと、人と話すのが苦手なことの言い訳でしかないのだけれど。

 そんな感じなので、森岡先生とも今まで全然話したことがなかった。

 だから、これは私にとっては結構なチャレンジだったのだ。


 でもやらずに後悔するよりは、よかったと思う。


「早速行ってきます」と楽しそうに教室を出ていく先生の後ろ姿を見ながら、私は小さくガッツポーズをした。



 ◇



「あなたが日隈ちゃん?」


 入る勇気がなくて多目的教室の扉の前で棒立ちになっていたとき、突然背後から声をかけられた。

 驚いてばっと振り向くと、そこにいたのは、丸く大きな目で不思議そうにこちらを見る、眼鏡をかけたおさげ髪の小柄な少女だった。

 制服のネクタイの色を見るに、二年生の先輩らしい。


 私はいきなり話しかけられたことに動揺し、何も考えずに喋り始めてしまった。


「は!!!はい!私、日隈です。今日は演劇部の体験に来て……先生に多目的教室で活動してるって教えてもらって!来たんですけど……」


「うん?」


「入る勇気が、出なくて……あ、それより!先輩は演劇部の方ですか?今日はよろしくお願いします!!」


「うん、演劇部だよ!はじめまして。演劇部部長、白沢あかりです。今日は体験に来てくれてありがとう。よろしくね!」


 え、部長…… 


 驚いて何も言えずにいると、白沢先輩は片手で私の手を取って、そのままもう片方の手で教室の扉を勢いよく開けた。ガラッと威勢のいい音が響く。


「みんなおつかれ〜!はい!この子が、体験に来てくれた日隈ちゃんでーす!」


 よく通る声でそう言いながら、彼女は私の手を引いてずんずん進んでゆく。


「あ、ちょっ……」


 教室にいた演劇部員らしき生徒は5名ほど。

 全員がじっと私を見ている。どうしよう。視線が痛い。気まずい。


 しかし怖がっていた私の予想に反して、部員たちはわっと明るい声をあげて、一斉に私に駆け寄ってきた。


「日隈ちゃん、名前なんて言うの?」


「あ、琴理ことりっていいます」


「一年生だ!咲子さきこ、やっと同じ学年の子来たじゃん!やったね」


「やったー!琴理ちゃん、私咲子っていうの。同じ一年生!よろしくね!」


「は、はい……!」


 勢いには少しびっくりしたけど、どうやら歓迎してもらえたみたいだ。私は内心ホッとした。



 ◇



 ここに来てから約一時間が経過した。というのに。


 おかしい。


 この演劇部、演劇部っぽいことをしていないのだ。


「ねえ、先週の『さきがけ』見た?超よかったよね」

「うん、見た。普通に泣いた、あれやばい」

「うちまだ見てなーい」


 部員たちはさっきからスマホをいじりながら雑談してばかり。台本も小道具もどこにも見当たらない。


 そろそろ部活をしなくていいのかと不安になった私は、部長である白沢先輩に聞きに行った。

 しかし白沢先輩は眉を下げて笑うだけで、部員たちに何か言いに行く気配はなかった。

「私もね、よくないとは思ってるんだけど……」


「ねえ琴理ちゃん!琴理ちゃんって好きなアニメとかある?」


 急に咲子ちゃんの声が飛んできたので、白沢先輩との会話はそこで途切れてしまった。


「あ……私は『まじかる☆ふぉにい』が好き」


「まじふぉに好きなの!?私もだよ!」


「え、琴理ちゃんまじふぉに好きなの?うちも超好き!ねえ、琴理ちゃんは誰推し?」


「えっと、シンシアちゃんです」


「わかる!シンシアちゃんめっちゃ可愛いよねぇ」


「うちはミクルちゃん推し!」


「ミクルちゃんかっこいいですよね……!わかります」


 話しながら、誰かと好きなアニメの話をしたのが初めてであることに気づいた。学校でこんなにたくさん人と話したのも、初めてだ。


 楽しい。


 楽しい、けど。 


 私がやりたいのは、演劇なのにな。



 ◇



「ごめんね、琴理ちゃん」 


 隣を歩く白沢先輩が、ぽつりと言った。


 部活が終わりそそくさと帰ろうとした私を、白沢先輩は呼び止めて、一緒に帰ろうと誘ってくれた。だから今こうして、並んで歩いている。


「琴理ちゃんは演劇がしたくて体験に来てくれたんだよね。それなのに、ちゃんとやってあげられなくてごめん」


「え、白沢先輩が謝ることじゃ」


「ううん。これは部長の私に責任があるから」


 白沢先輩は空を仰ぎながらそう言って、それから、小さなため息を漏らした。


「私は演劇がしたくてあそこに入ったんだけど、先輩も同級生もなんかやる気がなくて。顧問も全然厳しくなかったし。なんていうか……すごく緩い部活だったんだよね」  


 白沢先輩は少しずつ、ゆっくりと話し始めた。


「最初のうちはその緩さが心地良かったの。皆とは趣味が合ったし、話すのはすごく楽しかった。だけど……私はやっぱりちゃんと演劇がやりたかった。年に一回ある地域の大会だけじゃなくて、もっと色々な大会に出たり、学校で発表したり」


 でも、と先輩は続けた。


「この緩さのおかげで皆が楽しく仲良く部活できてるのも事実だったから、私が急にちゃんとやろうって言い出して、今までの部活の良い雰囲気を壊すのが怖かったんだよね」


 私は何も言えなかった。咄嗟に気の利いた言葉をなんとか絞り出そうとしたけれど、白沢先輩の寂しげな表情を目にしたら、もう私が言葉を発する事自体無駄なのだと悟ってしまった。


「だから、ごめん。私が今の部活の状況を変えられることはないと思う。実際もう、このままで良いかなって思っちゃってるところもあるし」


「……じゃあ、白沢先輩は」


 返ってくる答えなんてわかりきっているけど、何も言わないでいるのは嫌だったから私は聞いてしまった。


「引退までずっと、演劇部に残るんですか」


「うん。そのつもり」


「そう、ですか」


 数秒ほど気まずい沈黙が流れた後、白沢先輩はこの重苦しい空気を拭い去るように明るく言って、ひらひらと手を振った。


「じゃあ、またね!またなんかあったら言って」


「あ、はい」


 私も反射的に手を振る。

 すると先輩は微笑んで、歩いていく。


 その背中から、感情を読み取ることはできなかった。

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