第44話 台風の日(2)──未来の話をしようか
毛布のなかで、片瀬の膝が僕の腿に、猫みたいにくっついていた。
ぬるくなった静けさの中で、雨音だけが、遠くの時間を叩いていた。
「……もしさ、結婚とかするならさ、どんな家がいいと思う?」
唐突に、そんなことを言い出したのは片瀬だった。
もうすこしだけ遠くに行く前に、ちょっとだけ寄り道をしたくなった、そんな声だった。
「いきなり?」と笑うと、彼女は肩をすくめて、「妄想するだけならけっこうなんでもアリでしょ」と言った。
僕は少しだけ考えてから、枕に頬を押しつけたまま言った。
「……風呂が広いやつ。あと、リビングに大きい本棚。天井が高くて、木の匂いがする。」
「何それ、すごく真面目じゃん。えらいぞ、智也」
「じゃあ美緒さんは?」
「うーん……猫。あと、畑。あと……あったかい、部屋」
「それ、なんか全部“人”じゃなくて“空気”の話してない?」
「だって、“人”って不安定だもん。空気の方がずっと信頼できる」
その言葉が、少しだけ胸に残った。
でもそれをどうこう言う気には、まったくなれなかった。
彼女にとって“家”というものが、どんなふうに遠かったのか、僕にはまだ全部はわからない。
それでも、そんな彼女が、今僕のとなりにいてくれる。
それで、たぶん今日はじゅうぶんだった。
「……もし、さ」
今度は僕から切り出した。
「このまま世界が、滅びるとしたら」
「うん」
「なんか後悔、ある?」
彼女は、毛布の中でうーんと唸るふりをしてから、
僕の胸に額をちょこんと乗せてきた。
濡れた髪が、まだ少し冷たかった。
「あるに決まってるじゃん。……いっぱいあるよ、そんなの」
「たとえば?」
「うーん……いろんな場所に旅行したかった。東南アジアとかヨーロッパとか。あと、ピアノ、習いたかったな。あと……もうちょっと、ちゃんと誰かを、好きになってみたかった」
「今のはノーカン?」
「今のは……番外編、かな」
そう言って、彼女はふっと目を細めた。
まつげが、ちょっとだけ僕の胸元をくすぐった。
「でも、世界がほんとに終わるならさ」
「うん」
「君のことは、ちょっとだけ……思い出してやってもいいかなって思うよ」
「ちょっとだけ?」
「すごくちょっとだけ」
「せめて“まあまあ”にしてくれよ」
「だって、ちょっとだけだからこそ、永遠っぽいでしょ」
それは、冗談みたいで、冗談じゃなかった。
片瀬の言葉はいつだって、ふざけながら、どこかで本気だった。
雨が、まだ降っていた。
でも、その音はもう“天気”の音じゃなくて、僕らの会話の続きみたいに聞こえていた。
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