第28話 「犯人の嘉吉を護れ!」「えっ?」
三カ月前・・・
江戸の街中にご禁制の品が秘かに出回っていると言う噂が立った。
そんな噂は以前にもあった。さる西国の大名が内密で外国と取引していると言う、謂わば、公然の抜け荷であった。品物を御用舟に積んで江戸まで運んで来る、それを直に蔵屋敷に入れては危険なので、沖に停泊している内に、かねて取引をしているれっきとした大商人が小舟を仕立てて、深夜に、海上で受け渡しが行われる。それが大川筋からそれぞれの商人の店へ運ばれ秘かに売り捌かれているらしい。以前から解っていることであったが、町方はどうにも手が出せなかった、抜け荷の現場をどうしても押さえることが出来なかった。町方は何度と無く大川口の要所に網を張って通り掛かる舟を調べた、が、幾ら調べても抜け荷舟などにぶつかりはしなかった。抜け荷舟は町方の手配がいつあるかを事前に承知していたのだった。
上は町奉行から、八丁堀の与力、同心まで賄賂は公然であった。否、賄賂ではなく付け届けなのであった。
諸大名からも自藩の名産品に添えて決まった金額の付け届けがあった。これは、自分の藩の者が江戸街中で何か悶着を越した時には宜しく取り計らって欲しいと言う、謂わば、渡りをつける意味であった。
大名からだけでなく金持の商人からも盆暮れに多額の金が届いた。この付け届けが八丁堀の役人にとっては俸禄より遥かに高く、一年に三千両も貰う与力が居ると言う有様だった。
いくら町方が抜け荷舟を捕えようと手配しても、それが相手方に筒抜けなのは、八丁堀の役人の中にそれを通報する者が居る故であった。
無論、八丁堀の役人の中には硬骨漢も正義派も居た。彼等は躍起になって手掛かりを探した。目を付けたのが舟頭だった。舟で荷を運ぶ以上、練達の舟頭が入用である。果たして、大川筋の舟宿を当たって行くと「舟栄」と言う店の舟頭で嘉吉と言うのが二ヶ月ほど前に暇を取っていて、その嘉吉が手慰みの場所で、懐中から唐渡りの細工物などをちらつかせていたと言う話にぶつかった。硬骨漢達は躍り上がった。
一人でも生き証人を捕えれば、そいつの口から抜け荷を扱っている男の正体が割れる。そいつは恐らく江戸でも指折りの大金持ちで、表向きは真っ当な商いをし、善人面をしているに違いない・・・
だが、嘉吉の捕縄は失敗した。功を焦った岡っ引きが単身、嘉吉が情女の居る飲み屋へ現れたところを捕物にかかってしくじった故であった。嘉吉は隠し持っていた匕首で岡っ引きを刺し、そのまま江戸から姿を消した。その嘉吉の情女が「ゆめ半」のおみねであった。
それから三か月・・・
今日も町方は聞き込みを続けていた。然し、抜け荷の手掛かりは全く掴めず、町方の頼みの綱は、嘉吉が女恋しさに江戸へ舞い戻って来るのではないかと言うことだけだった。町方はおみねを見張った。然し、八丁堀の人間では直ぐに気付かれてしまう。張り込まれていることをおみねが知れば、仮に嘉吉が現れても直ぐに逃がしてしまうだろう。お庭番の笹本恒一郎が組頭の命を受けたのはそういう経緯があってのことだった。
「嘉吉だけを捕えるのが目的ではないぞ。嘉吉は雑魚だ。大物は雑魚を操っているが、操られている雑魚は追い詰められて岡っ引き殺しの大罪を犯した。惚れた女とも別れ、野を吹く風に怯えながら、一日として生きた心地も無く逃げ惑っているだろう。嘉吉にそんな罪を犯させた奴は、絹の布団で何の罪の意識も無く安逸の夢を貪り、贅沢三昧に暮らしている。何としてもそいつの正体を叩き出さなければならない・・・と言うのが、町方の書いた筋書きなんだが・・・」
此処で組頭は言葉を区切って、恒一郎に睨みつけるような鋭い視線を送った。
「良いか、恒一郎、お前ぇは嘉吉を護れ!決して町方の手に落としてはならぬ!」
「えっ?」
「彼は忍びの技ではお前ぇと一、二を競うあの寺崎源之進なのだ。嘉吉は源之進の仮の姿だ。舟頭に目を付けたのは何も町方だけではない」
「なんと?」
「抜け荷の黒幕は既に見当がついておる。嘉吉が舟宿を辞め南蛮渡りの品をちらつかせたのは黒幕を誘き寄せる策略だ。後は確たる証を掴む詰めを残すだけなのだ。何としても源之進を町方の手から護るのだ。今、彼が町方の手に落ちれば探索は肝心のところで頓挫する。良いな!」
「然し、岡っ引き殺しの方は?」
「源之進は岡っ引きを殺っちゃいない。あいつは当て身を喰らわせただけだ」
「では、一体誰が?」
「大方、岡っ引きにしっぽを掴まれた小商人が、これ幸い、と手下に殺らせたのであろう。いずれ事が落着すれば町方の方で然るべく決着をつける。我らの与り知らぬことだ」
組頭はもう一度鋭い眼光を恒一郎に向けて、言った。
「この件には西国の大名が加担しているのだ、奉行所や町方だけで決着できる事柄ではない。良いか、恒一郎、これはお上の御意向なのだ、決して抜かるなよ、心してかかれ!」
「源之進との繋ぎは如何に?」
「連絡は我らがつける。それまで待て。それまでは今まで通りに動いておるのだ、良いな」
「は、はあ」
恒一郎は頭を下げて組頭の前を辞した。
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