第11話 鬼頭、惚れた女の婚約者から男の機能を奪う

 或る日、勘定方の上士、倉橋家の長子である利一郎が妻を娶る、という噂が耳に入って来た。倉橋は剣の同門だったが、嘗て鬼頭を最も激しく虐め痛ぶった張本人だった。妻になるという相手は鬼頭が秘かに思いを寄せていた志乃と言う名の娘だった。父親同士が碁敵で双方の家に出入りするうち、互いに何度か同伴して、親しく話した間柄だった。

「鋭之進様、庭に降りて花でも愛でましょう。どうせお父様たちは暫く時間がかかるでしょうし、頭が熱くなり始めると何時果てるとも知れませぬから」

そう言って、志乃は口元に手を宛ててころころと笑った。

もう少し歳月を経れば二人の婚姻も無い話ではなかったのだ、と鬼頭は思った。鬼頭の胸に嫉妬と憎しみの悪心がむくむくと黒く芽生えた。

 その日から毎日、鬼頭は道場で倉橋が稽古に現れるのを待った。

三日目に倉橋がやって来た。

「やあ、倉橋殿、久し振りに一手ご指南をお願いしたいのですが」

到底刃が立たない相手からの申し合いを受けて、倉橋は躊躇した。

道場の面々は皆、倉橋がどうするか、黙って注視した。

「聞きますと、近々、御婚礼のお目出度がお有りとのこと、お目出度い門出に何はともあれ是非ともお祝いの一手を」

そう迫られて、観念したように止む無く倉橋は承諾した。面目と意地に賭けても受けざるを得なかった。

二人は木剣を取り合って道場の真中で対峙した。

 暫し、睨み合いが続いた。

倉橋がじりっと前に足を滑り出そうとしたが、彼は動けなかった。直ぐに、上段に構え直した。鬼頭はやや斜め下段に木剣を下して受ける構えを取った。が、二人ともそれ切り動かなくなった。暫くして倉橋の額に汗が浮き出て来た。やがて額だけでなく首筋にも一筋二筋と流れ始めた。吐く息が荒くなりふう~ふう~という声が口を吐いて出るほどになった。とうとう我慢出来なくなった倉橋が、裂帛の気合で真っ向上段から木剣を振り下ろした。刹那、二人の身体が縺れた一瞬、鬼頭が下から倉橋の股間を突き上げた。倉橋は叫び声ひとつ立てずに昏倒した。

一月後に傷が癒えた時、倉橋は男の機能を失っていた。

同門の弟子たちは皆、予期せぬ出来事だった、と噂したが、道場の師である仙波恭之介だけは見抜いていた。鬼頭は免許皆伝の奥義伝授まであと僅かだったが、直ぐに破門された。

 婚約を解消されて事情を知った志乃が鬼頭を訪ねてやって来て、険しい眼差しで鬼頭を正面から見据えて言った。

「あなた様は恐ろしいお方です。一人の男を台無しにし、わたくしの生涯をも踏みにじられました。それも剣の稽古と言う名の下に私憤を遂げられました。卑劣です!」

「それほど大事な相手なら此の侭嫁いで、生涯倉橋に尽くされるが良かろうて・・・」

「わたくしに一生、尼の暮らしをしろと仰るのですか?三年五年は兎も角、十年も二十年も人並みの女の喜びも幸せも得ることなく、ずうっと生涯を尼僧の如くに送れと・・・なんと酷いことを!」

嫁いでも嫁がなくても、わたくしにとっては同じ運命しか待っておりません、そう言って蒼ざめた顔で志乃は帰って行った。

鬼頭の胸底に重い錘がずしりと深く沈んで溜まった。


 春良はご発禁のいかがわしい淫らな危な絵を売った咎だった。それも一度や二度ならず再三再四とのことだった。それまでの甘いお取調べに図に乗ったのが、やさぐれ同心の癇に障って、此度は牢に両三年留め置かれることになった。後になって、売れない未熟な半端絵師がお艶に逢う銭を作るためにやったことだと聞かされた。お艶の胸は少し疼いたが、その時はもう鬼頭の情女になっていた。

 お艶は未だ水茶屋に出てはいたが、店を変え住いも替えて鬼頭の囲い者になったようにして暮らしていた。

二人の肉体の営みは尋常ではなかった。鬼頭は昼と言わず夜と言わず、欲情の赴くままにやって来て、直ぐにお艶を攻め立てた。独り善がりだった。お艶の心の在り様や身体の反応など頓着しなかった。更に、一度で終わることは無く、二度三度と執拗で、精根尽きるまでお艶の肉体を攻めた。お艶も狂った。これまでのように相手を誘ったり相手に合わせたりする必要が無かった、否、そんな余裕はまるで無かった。攻められ攻め捲られて乱れに乱れた。何時登り詰め何時果てたのかさえ判らずに喘ぎに喘いで狂った。その狂喜の中で、この侭死んでしまっても良いと思いもした。長屋の連中が興味をそそられるというような程度ではなかった。彼らは皆、耳を塞いで嫌悪した。鬼頭とお艶の交わりは獣の闘いだった。終わった後は精も根も尽き果てて、情を交えた余燼などまるで残らなかった。

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