第42話:魔法がとけるまで


目覚ましもかけていなかったのに朝練の時間に目が覚める。


有時ゆうじは気持ちよさそうに、2人で1組の布団を分けたから冷えてしまったのか、暖を取ろうと俺に足を絡めている。

寝具を洗うにも、今日は天気が良いし、風もあって空気も乾いている、ゆっくりでも乾くだろう。


午後の散歩も捗りそうだ。


「もうちょっと寝よう」


ゆっくり目を閉じた。



8時に有時も起きてきて、2人でぼんやり身だしなみを整え、最後の朝食を食堂で食べた。

続々と皆んなも起きてくると、朝練免除のいつもと変わらない日常みたいで、これから講義を受けて部活に行く気がしていた。


でもそんな世界線はもう過去のもの。


でも、有時が昨夜からかけた俺に魔法の世界線が生きていて、俺は午後から気まぐれなあの古本屋の店主が臨時休業なんて野暮なことをしていないか先に確認しに行く事なっている。

有時は部屋を掃除して、俺を追って部屋を出る。

昼前に外で落ち合って、前から気になっていたイブ先輩のおすすめの定食屋で、ガツさんの好物のごまだれトンカツ定食を食べ、古本屋に行って、帰りに晩御飯の買い物と、テトラにスーパーでスイスロールを買う。


夕方から俺だけ取材があるから途中で別れるけど、帰ってきたら有時がまってる。


今日はその予定で過ごすのだ。



朝ごはんを終えると、2人で寝具を洗った。

最悪乾かなくてもコインランドリーで乾燥機を使うし、夕方にテトラが戻るから、俺の帰りが遅くてもテトラと行くと有時は約束をした。


ともえ、そろそろ出る?」


コーヒーを飲み干して、俺は時計を見上げる。


もう11時になる、何かと玄関周りで人につかまるから、俺はハンガーラックに一枚だけかかったアウターに袖を通して、愛用のバックパックを背負った。


「カップは俺が洗っておくね、あ……、また一緒に飲む時にすぐ使えるように」


俺の唯一の忘れ物は、このコーヒーカップ。

今からバックパックに押し込もうと思ったけど、まだ温もりが残った俺のカップを有時が大切に抱えたから「じゃあ、次は俺が淹れる番だな」と頬を撫でた。


玄関まで来るかと思ったが、有時はスティッククリーナーを手に取り、魔法の世界線を頑なに守る。

俺はすぐに泣いてしまうし、時間が開けばすぐに有時に会いに来る。


最後の優しさだった。


「じゃあ、先に行ってる」

「うん、俺もすぐに追いつくから。また会おうね」


秋になったら始まるリーグ戦のコートで、と有時の口は動かない。


その代わりにキスをする、額をつけて目を閉じ全ての細胞を2人で交換するような神聖な味がする。


「有時、いってくるよ」


「巴、行ってらっしゃい」



皆んなに挨拶をして、俺は1人で古本屋に向かう。


4年間通って顔を覚えてくれた店主に挨拶をし、イブ先輩の家の前で元気な弟妹に送り出され、駅に着いた。


真昼間の電車は比較的すいていて、のんびり吊り広告を読む。

映画化が決定した話題の小説の広告が、扉の横のポスターのスペースに貼られていて無意識に読む。


『孤独な主人公が最後に欲したものは―?』


なんだろう?もしも自分がこの物語の主人公なら、今なら間髪入れずに言えるけど。


新居に着いたのは夕方で、慌ててクラブチームに向かうと、SNS用の新加入選手紹介の動画撮影を受けた。


「入団直後にこんな質問もどうかと思いますが、白瀬選手がバスケをしていなかったら、何になっていたと思いますか?」


よくある質問で、いつも決まって「俺はバスケ以外の選択肢がないので考えたことないです」の一点張りだったが、今日から答えを変えよう。


迷わず言い続ければ縁起がめぐるはずだ。



「そうですね。美容師の恋人になっていたと思います」



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