第16話:宗谷 有時の脳内④

ともえはどうして本を読むの?」


俺はボールを手放して、椅子を巴の隣に寄せた。

手から離れたボールが机を転がって床に落ちて弾み、下の階の先輩に怒られるのを回避しようと慌てて回収する俺を見ながら、巴はやっと質問に答えてくれた。


「読書はバスケに似ているから」


俺を見ろよ、俺に興味を持てよ、というように。


そうだ。

やたらと名前を呼ばれる時は、返事をする方も吝かではないのだ。

無視をするなり場所を移動すればどうにでもなるのに、わざわざ対応をしてしまうのは同じく自分を見てほしいから。

さっきまであんなに悔しかったけど、落とし穴にも腑にも落ちるとどんどん愛おしさに変わる不思議。


色々聞いてみたくなる。


「俺には全く違って感じるけど、巴はどこに共通点を感じるの?」

「似てるところある。例えば、バスケは10分で1ゲームを4回に分けてする。文章の基本は「起承転結」の四分割」


巴の口からすらすらと言葉が流れて、俺の頭に中のコートが現れティップオフする。

それ同時にコートと同じサイズの本がドシっと現れてぱらりページを開いた。

試合と並行して、どんどんとページが繰られていく。


「言われてみると、一番の正念場で盛り上がる3Qクォーターは、一番の山場を書く起承転結の、転の部分だ」


理解が早い、と満足顔の巴が本から顔を上げ、やっと俺は視線を奪えたことにこっそりと心の拳を固くする。


「試合も初めは様子見、そこから展開して、正念場になり、ゲームを締めていく。起承転結のしっかりした読みやすい文章と同じ展開なんだ。

まぁだからなんだって言われたら、特にない。でも、好きなものに当てはめたら、楽しいし、本は学ぶ事が多い」

「考え方とか?」

「あぁ、メンタル面はとても学べる。サラリーマンの話でも、恋愛小説でも、心の整理法とか、行き詰まった時の対処とか。

スポーツの話は、体の使い方とか心得が書かれてるし、役に立つ。重ね合わせて擦り合わせて読むと、バスケにも活かせるんだ」

「なるほどなぁ、巴は柔軟だから別物として扱わないんだね」

「あと、俺が思うにね……」


読んでいた本のページの間に長い人差し指を挟んで、巴が活き活きと声を弾ませる。

小さな文庫本は、すっぽりと手の中に収まって所在無さ気に俺と巴の間で静かに開かれる時を待つ。


雨の音はまだしとしとしてて底冷えがするが、巴の熱は収まらず、もしかしたら窓の結露は巴のバスケへの熱意なんじゃないかと思うとおかしくなって、俺は思わず口元を緩めた。


「なんで、笑うの?変?」


普段より饒舌だった巴が急に我に返って着ていたジャージの襟に口元を隠す。

過去に同じ話をして誰かに否定されたのかもしれない。

だけど俺は巴の寛解は面白いと思うし、聞いていて感心するし、必死に話す姿が普段の落ち着きと真逆でそのギャップがとても新鮮で。


「ううん。本もバスケも本当に好きなんだな、って思ったらそんな巴が俺は好きだなって……思っ、た」


うっかり出た言葉に一瞬口を押さえた。


この恋は具合がおかしい。


あんまりドキドキしていないけど、体温がほわっと高くなる感じ。

女の子とセックスをしているとたまに感じる、果てる瞬間にほわっと腕の中で体温が上がるあれみたい。


悩める俺の思いもよらない一言に、巴は隠したはずの口元をポカン、と晒した。

普段は人に見せない片八重歯が惜しげもなく覗いていて、それが急に愛しく思えた。


「有時、それって、どうゆう意味?」

「さぁ?」


俺は適当にはぐらかして時計を見上げ、コーヒーの準備に立ち上がる。

自分の机の一番下の引き出しから電子ケトルとカップを取り出し、ついでにお茶請けのお菓子を出した。


「巴、今日イブ先輩の3番目?だったかな?の、弟君が寮に遊びに来てね、チョコレートのマフィン差し入れてくれたんだよ、手作りだって」

「へぇ」

「2種類あるよ、バナナとオレンジどっちがいい?」


可愛くラッピングとまではいかないが、サランラップで包まれたそれを見せると、また本に落ちていた視線をちょっとあげ、さっき俺が返事を誤魔化したのが気に入らないのか、少しぶっきらぼうに答える。


「……有時、バナナ好きだろ、俺はオレンジでいい」


すぐに拗ねるんだから。


「じゃあ今日は巴、バナナ食べて」

湯を沸かす為にケトルを抱えて振り返ると、巴の目が俺に「なんで?」と問いかけていた。


2人でいる時の小さな選択を巴は俺の顔を見て決める。

普段外ではバシバシと先輩にまで指示を飛ばす巴が、そんな小さな事を俺に委ねるのが今日は滑稽すぎて可愛い。


「俺の好きなものを食べて、巴も好きになってよ」


今度は言い澱まずに思い切って言ってみたら、巴は「なんだそれ」と急にぶっきらぼうになる。

でも、よっぽど嫌いな人でなれば、好きと言われたら誰だって嬉しいはずだ。


それを証拠にそちらから流れる空気があったかく、口元の緩みが感情を隠しきれていない。



コーヒーを淹れて、一枚の紙皿に少し不恰好なチョコレートマフィンを2つ並べた。

黒に近い焦茶色のマフィンにのっている砂糖漬けのオレンジピールも手作りの手の混みようだが、イブ先輩曰く弟の差し入れは「見た目は良し味はそこそこ、人一倍の心意気で食うもの」らしい、少し後半が不穏だ。


それは巴には黙っておこう。


いつもなら迷いなくバナナを選択するが、今日はお皿をくるっと回してオレンジにする。

コンビニでもらった白いプラスティックのフォークを外のカップのヒダに引っ掛けて剥がしていると、巴はウェットティッシュで手を拭いて、カップを掴んで剥くとバクッと一口、上に飾られて乾いたバナナも口の中に全部消えた。


顔を顰めて斜め上を見ながら咀嚼し、早々にコーヒーを口に含む、きっと口の中の水分をスポンジに皆んな持っていかれたのだろう。

巴のように豪快に食べ切った方が得策かと思ったが、少しず食べる方が良さそうだ。


「俺、チョコ系はオレンジが本当は一番好き」

「そうだったの?気を遣って譲ってくれたのかと思った」


フォークをナイフに見立てて半分にしようとするが、マフィンは冬場のテンピュールくらい猛反発してへこむだけ。

それでもマフィンと戦う俺の無様な手元を見ながら、バナナのマフィンの最後の一口を食べ切った巴が、もぐもぐしながら手を伸ばして、カップから出した俺のマフィンを半分に手で割った。


「オレンジが好きだから、取られないように言った」

「え?」

「俺が先に言ってしまったら、有時は残りを選択しざるを得ない。それで、自分の好きなものが自動的に残るようにした」

「巴って、ムッツリスケベなの?」


俺の言葉に巴が咽せる。


「だって、はっきり言わずに手に入れて、こっそり楽しみたいって事でしょう?」


慌ててコーヒーを飲む隣で俺は猛反発するマフィンの半分を口に含んだ。

確かに味はそこそこ、思ったよりビターでオレンジも、苦い、そして何より歯応えがある。

これで、はんぺんみたいに口の中でシュワっと溶けるように噛めれば、まだ成功の猶予ゆうよはあった気がする。


「ショートケーキのいちご、有時はいつ食べる?」


返事をせずに巴は咳払いをして話題を切り替えてきた。

ムッツリは図星なんだな、と思いながら少し冷めたコーヒーで食器洗いスポンジみたいなマフィンを飲み込んだ。


「食べた事ないよ。いつも俺の分も弟が食べてたから」

「一度も?」

「弟がケーキを食べるまでは食べていたかもしれない。でも、俺のいちごはいつも食いしん坊の弟のものなの」


俺の出身中学は、弟がキャプテンの代で日本一をとり、弟は大会MVPに選ばれた。

身長はもうすでに俺を超え、俺の経歴を食う勢いで成長している。


巴の次は俺の弟の呼び声も高い。


身長だって、俺が寮でのんびり年間1㎝伸びるかどうかにハラハラしている間にすっかり追い抜かした。


「生態系の上にいける人はしっかり食べるから、上にいけるんだよ」


俺はこうやって一つとばされてしまっていくのかもしれない。

スポーツをしていて一番に学ものを「礼儀礼節」と人はいうが、本当は「どんなに努力しても無理なものはある」という事を早いうちに理解する事だと俺は思う。


「巴は食べたんでしょう?一番にいちごを」

「弟と妹に取られないように、真っ先食った」


そうね、だからあなたは上にいく。


「はい、巴、お口開けて?」

半分残したオレンジのマフィンを巴の口元に持っていくと、少し戸惑ってパカっと唇が開いた、つられて俺の口も開く。

「あーん」

「……っ、にが」

「ふふ!上のオレンジ食べるの辛かった」

「お前……」


ウェットティッシュで手を拭いて、コーヒー片手に巴はまた文庫本のページを繰る。


コーヒーを飲んで机に置いて、ページを捲るために指を絡める。

手に持ったマグカップが冷めていくのを感じながら、恋する俺は巴の体温を想像する。


俺は今、好きになった巴に触られたい。

例えばその本。

本になって巴の指で、俺の中身を一枚一枚繰りながら、心の奥まで読破されたい。


「そうだ、生活費の繰り越し金で、正月休みどこ行く?」


急な一言に我にかえる。

そうだ、生活費をやりくりして溜まったお金で、2人で遊びに行こうと約束してたんだった。


俺は巴と手を、繋いでみたい。


「す、水族館行こう?」


咄嗟の俺の回答に巴は少し考えて、今度はちょっと腕組みして、顎に手を添え首を傾げ、人が思いつく「悩んでいる」動作の全てを繰り出して考え込んだ末に、疑問を呈す。


「なんで?水族館なの?」


水族館の中なら、自主練の帰りにイブ先輩が俺の手を繋いだ時のように、俺がこっそり巴の手を掴んでも暗くて誰も気が付かないかもしれない。

大体あそこは人混みになるし、人は水槽ばかりをに気を取られて周りの人の挙動なんて気にも留めないだろう。

でもそんな事きっと言えないから、俺は外の雨の温度を思い出す。


「寒いから」


なけなしの言い訳に巴はちょっと笑って、そんな理由でいいのかよ、と本に視線を戻した。




ちなみにだが、俺にはもう一つ巴のきゅんとする言動がある。


一緒に部屋にいる時に不意にくしゃみをすると、必ず合いの手を返してくれること。


「はっくしょいっ!」

「ハイ、ヨイショー」


普段スタイリッシュな巴の庶民ムーブ、合いの手。

絶対に文字にしたらカタカナ表記であろう、気のない棒読みなのに必ず毎回してくれる。


ついでに寝言でも返してくれるところが特にポイント高い。

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