第4話 はじまりの夜③

 クウォンがフィナに呼び出される、五時間ほど前のこと。


 事は壁外を巡回していた衛兵が、第一城壁主門から伸びる街道の道端に、倒れている男を発見したことにはじまる。


 男の肌のいたるところに浮かぶアザと嘔吐の跡に異常を感じた衛兵は、マニュアルに添って仲間を待避させた壁外の詰め所に男を運び込んだ後、聖石せいせきを使って室内を浄化した。


 所謂無菌室の状態を作ったのだが、もし男が何らかの病に患っているのだとすれば、それを治すだけの能力は聖石にはない。


 数十分後。

 仲間の衛兵に連れられてきた医師の診断で、男が『サデイラ病』に感染していることがわかり、さらに男の口から彼が住む村の全員が罹患していることが判明する。


 サデイラ病は潜伏期間が3日。

 突然の下痢と倦怠感からはじまり、全身の毛細血管が次第に損傷をはじめる。


 これがアザの原因だが、毛細血管の損傷は体内でも起こっており、進行すると内臓の機能不全を引き起こす。


 発症後の排泄物や吐瀉物によって感染を広げる病気だが、数日で何百人が一斉に発症などあまりにも不自然だ。


 その内容は急ぎ領主に知らされ、緊急の会議が領主館で開かれた。

 ギルドマスターが不在だったのは、この会議に出席していた為だったのだ。


「人為的な感染拡大……ということで間違いないだろうな」


 グリン・メイフィス辺境伯は、カップに残った紅茶で口を湿らせる。


 それなりに良い茶葉を使っているはずだが、全く味がわからない。

 既に冷めきっているだけではない。思いの外、自分は緊張しているのだなと顔をしかめた。


 つい先ほどまで、街の主要人物を集めて行われていた対策会議。

 そして現在、議場となった領主の執務室に残っているのは二人の男。


 一人は長めの金髪を後ろに纏めた長身で、如何にも貴族といった髭を生やしている領主であるグリン・メイフィス本人。

 その紺碧の瞳が、正面に座るもう一人の男を見据える。


 冒険者ギルドのマスターである、バーム・シードだ。


「一つの村まるごとが、二日程度で全員感染などありえませんからな。

 ヤツの言葉を借りれば、バイオテロというものでしょう?」


 屈強な冒険者たちを束ねるだけあってか、日焼けした四十五歳にしては深い皺が刻まれた顔は、実年齢よりも威厳があるようにも見える。

 だがその体躯は若々しく、鍛え抜かれた冒険者時代からも衰えを感じさせない。


 そんなバームの言葉にグリンは頷いた。


「幸いにも我々には、そのような脅威がある、という知識が前もってあった」


「お陰で城壁内に病原を持ち込まれることは防げた訳ですが、……ヤツの言葉に耳を貸した領主殿の懐の広さに感謝ですね」


「ふっ、紹介者が『あのお方』では聞かぬわけにもいくまい。が、その甲斐はあった。

 記録によると、ここ十数日は該当の村から壁内に入った者は無いというのは確かだそうだ」


 と、グリンは紅茶を一気に飲み干してカップをテーブルに置いた。


「さて、対策と対処は先程話し合った物でよいとして……バーム、犯人の目的は何だと思う?」


「わかりません。言っちゃ悪いですが、あんな村に病をばら蒔いたところで価値はないでしょう」


「そうだな理由はわからん。……が、『今』というタイミングは気にはなる」


「おいおい領主様。心当たりがあるんですかい?」


「聞いた話でしかないが、王都で三週間後に【勇者召還】が行われるらしい」


「結構な地獄耳を持っているようですが……召喚魔法は下法じゃなかったんですか?」


「三年前に失った拾い物の力が、どうしても再び欲しいらしい。

 結局、召還の法の解析と準備に三年かかったわけだがな。

 対立相手の魔族領との衝突は、今のところは抑えられている……というか、先方の状況が改善されつつある今では、向こうから攻めてくる理由もないのだがな」


「今や戦う必要が無くなりつつある相手と戦うために下法を? 愚かですな」


「それでも我が国の王家の判断だ。

 タイミング的には【勇者召還】が怪しいが、だとしても理由がわからん。

 現在、妻のカーマが通信石を使って各地の領主に問い合わせ中だ。

 仮に我が領以外でも起きているのであれば、その規模や範囲から見えてくる物もあるかもしれん」


 そんな言葉を紡ぎながら、現在王都の学園に通っている息子と娘の顔が頭を過った。

 きな臭い王都に、このまま置いておいて良いのか……と。


 だが今は、やらなければならない事があると無理矢理振り払う。


 そんな思いをお構いなしに、バームが問いかけてきた。


「そうですね。手掛かりが無い以上考えるのは無駄ですから、実際動けるところから手をつけましょう……。

 それで、【矢】は放つのでしょうか?」と。


「いや、不安要素ばかりの現状で、こちらの手の内を晒すのは愚作。

 とは言え、事が我が領内だけの事でないのであれば、そうも言ってはいられないだろう。

 そうなれば、あの方は【聖女の黒き矢】を放つだろう」


「承知しました。では……」


 とバームは立ち上がり、軽く礼をすると静かにドアを出て行った。

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