2/8(執筆者:亥之子餅。)
道中、特急の車窓を飛び去る景色もよそに、亜希は呟いた。
「俊はさ、黒たまご、食べたことある?」
言いながら眺めているのは、先日届いた例の手紙。
向かい合うシートに座った俊は、腕を組み、記憶を辿るように遠くを見つめた。
「いや、なかったと思う。箱根には、小さい頃に家族で行ったような気がするけど……たしか僕だけ食べなかったんだっけ」
「ええぇ……なんで、そんな勿体ないことを……」
食べ物に目がない亜希は、絶望とも言える表情で驚く。そんなに驚愕するようなことだろうか。
「いやぁ、理由はちゃんと憶えてないんだけど……たぶん、見た目?」
「あー……まあ、分からなくもないかな」
亜希は少しだけ納得した様子で頷いた。
黒たまご――箱根の名物で、「一個食べれば七年寿命が延びる」だなんて言われる、殻が真っ黒なゆで卵だ。しかし幼かった俊には、それが美味しいものだとはイメージしづらかったのだろう。
二人は再び、手紙に目を落とした。
――――ぼくはわけあってとおくに行けません。
拙い文字は継ぎ接ぎしたかのように、形も大きさもぐちゃぐちゃだ。小学生――いや、ひらがなを覚えたての子どもが、チラシの裏にでも書いたような。
この送り主の子は、随分大人びているな。俊は幼き頃の自分と比較して苦笑いをした。
すると、ふと亜希があることに気が付いて声を上げた。
「あれ、封筒の隅に、なにか挟まってる……」
亜希は可愛らしい封筒の口を大きく広げ、底を掻き出すように指で擦った。やがて、小さな紙きれのようなものをつまみ出す。
「なんだこれ?」
「チラシとかポスターとかの……切れ端?」
これだけじゃ分からないなぁ、と亜希は顔をしかめる。
「でも、手紙を出そうとして、勝手に紛れ込むようなものではない気がする」
「それはどうだろう。書いたのが幼稚園児とか小学生なら、部屋のゴミが入っても不思議じゃないかも?」
「まあたしかに……」
今度は二人して黙り込んだ。
宛名も差出人もない手紙に、何かの切れ端。あまりにも手がかりが少ない。
送り主の願いが叶ったのかを確かめることもできない。ただ「ぼくのかわりにくろたまごを食べてきて」という言葉に従うことしかできない。従ったとて、それを送り主に知らせることもできないのだ。
差出人の正体も、目的も、この旅の終着点も――何もかも謎だ。
しかし、
「…………あ」
不意に、今度は俊が口を開いた。
「どした?」
青ざめた様子の俊に、亜希は首を傾げた。
「いや……この手紙、うちの住所も名前も書いてないよね。これじゃ、ポストに投函しても届かないよ」
亜希がはっとして、封筒の隅々に目を凝らす。言われてみれば、切手も消印もない。
ということは――――。
「あの時――誰かが、直接うちの郵便受けに入れに来てたってこと……?」
二人は、互いに見つめ合って固まった。
少しの間流れた沈黙は、呑気な車内アナウンスによって破られる。
《――――次は、箱根湯本。箱根湯本》
次第に、車両が減速し始める。もうすぐ目的の地――箱根・大涌谷だ。
「……続きは、またあとで考えようか」
「ふふっ、そうね。なんだか名探偵になった気分」
楽しそうに気取った亜希に、俊も思わず表情が綻(ほころ)んだ。
「降りたらどうする? 先に宿に行って温泉に入ろうか?」
「うーん、とりあえずちょっと散策しよ。黒たまごが売ってるお店も、少し見ておきたいし」
温泉はその後のお楽しみね。亜希がいたずらっぽく笑う。
「――――じゃあ、僕は名探偵についていくとしよう」
答えるように、俊はわざとらしく声をつくったが、耐えきれずに二人同時に吹き出した。
ブザーとともにドアが開く。外は、六月には珍しいくらいの、雲一つない快晴であった。
<続>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます