第22話

 ジーヴルの邸のホールをも凌駕する白を基調とした広々としたホールには、煌びやかな装飾、料理、人々で満ち溢れていた。

 その眩しさにただでさえ目がくらむのに、すさまじい数の目が露骨ではないが窺うようにこちらを向く。好奇、品定め、漂う様々な感情と不安に、クラネの心臓はぎゅうっと圧迫されていく。

 だが、堂々とすることが正体がバレない一番のコツだとテロドアとエリーカから教わった。クラネは動揺を必死に押し殺し、つとめて背筋を伸ばし精一杯の微笑みを浮かべる。

 ホール内に足を踏み入れ数歩歩いてから、テロドアから腕を組むのは受付までと言われていたことを思い出し、クラネはそっと腕を外そうとした。

「……歩きづらいんだろう。そのままでいい」

 受付ですら一言も発さなかった今日初めて聞くジーヴルの声は、想像よりも低くはなかったが、かたい音をしていた。

 やはり、ジーヴルも人に触れられるのは好きではないのかもしれない。クラネはへその位置で自身の手をきゅっと組み合わせて、微笑む。

「いえ、大丈夫です」

「……」

 箱の面はちらりとこちらを見てきたがそれ以上は何も言わず、ただ少し遅めの足取りで先を歩いていく。

 ジーヴルが向かったのは、比較的人気のない隅の方だった。すぐそばには縦に長い窓あり、海辺が臨めた。間もなく水平線の下へ沈み切る夕日は最後の光を放っている。

 ——ジーヴル様の出席がこのパーティーの目玉のひとつとテロドアさんは言っていたけれど。誰も、来ないな。

 この隅の空間にちらちらと視線を向ける人はいたり、かの大魔法使いが身分を隠して参加するらしいと囁き合う声は聞こえてくるものの、近づいてくる者はほとんどいない。一度給仕人が飲み物を運んできたきり——ジーヴルはすっぱりと断り受け取らなかったが——ジーヴルもクラネも言葉を発さないから、少し先の喧騒と隔たれた静寂の空間が生まれていた。

「……おい」

 窓辺に背を預け腕を組んでいたジーヴルが、ふいに声を発した。

「どうかしましたか、旦那様」

「なにか話せ」

 思わぬ要求にクラネはきょとんとする。

 クラネの方はこの静寂に少しの気まずさは感じていたものの、緊張と演技で心身がいっぱいいっぱいでさして気にしてはいなかった。

 ジーヴルは人との関わりが好きではなく、このパーティーの出席に対しても前向きではない様子だった。元の性質からしても静寂を好みそうだから、彼にとっては現状が最悪の中での最良に感じていると思っていたのだけれど。

 意外であれど、望まれたことにできうる限り応えるのが庶務員の仕事であり、クラネの望みだ。クラネは少し思案して、先に思っていたことを小さく口にする。

「旦那様が会場に現れたら大騒ぎ……とまではいかずとも、多くの人が集まり、声を掛けられるものだと思っていました。ですが誰もジーヴル様の箱が見えないどころか、旦那様と認識してないようで……これが、認識阻害魔法の力、ですか?」

「ああ。認識阻害魔法というのは、対象を他に正しく認識できないようにする魔法だ。今回の場合、他には私が人の顔には見えるが印象に残らないよう操作した認識阻害魔法を、私にかけている」

「印象に残らないよう、ですか」

「例えば……お前が誰かに私をジーヴルだと紹介したとする。紹介された相手は顔を合わせている間、私をジーヴルだと認識できるが一度解散してしまえば私がどんな顔だったかを一切思い出せない。以前のパーティーやたまの外出時も同じ魔法を使っているからこの国で私の顔を知っている者は……いないというわけだ」

「すごい魔法ですね。あれ? でも、ぼ……私には旦那様が認識できます」

「できなかったら、万一別行動をすることになったとき、困るだろう。だから、私とお前……あとは一応、テロドア・マシフォフ以外を認識阻害の対象として選別している」

 なるほど。たしかにどちらかがトイレなどのために離れた際、ジーヴルの姿がしばらく見つけられなかったらクラネは相当不安になってしまうかもしれない……いや、クラネはこの格好じゃあトイレには行けないのだけれども。

「慣れないことばかりで、今、すごく緊張しているのですが。それでも、旦那様がいつもの姿でいてくださるおかげで、少し、安心できます」

 クラネがジーヴルを仰ぐと、箱の面もちらりとこちらを向いた。それは少ししても逸らされることなく、箱の向こうの色の知らない瞳が、クラネをじっと見据えているように感じた。

「お前は、どうして女装なんてものを引き受けた……お前は、私のためになることなら、なんでもするのか」

「私なんかにできることであれば」

「それは、私の庶務員だからか」

 それとも、とジーヴルが言う。

「それほどまでに……私のことが、好きなのか」

 まさかジーヴルの方からその話題を掘り返してくるとは思っていなかった。

 ジーヴルの問いはもっともで、しかし他人からの好意が好きではない彼にその返事をしていいのか、クラネは少し躊躇う。それでも問うてきたのはジーヴルで、この感情を消せないということはすでに伝えてある。

 クラネはへその前で結んでいた手をきゅっと握りながら、浅く頷いた。

 ジーヴルは黙り込む。

 クラネも言葉を重ねるべきか分からない。

 再びの無言は先よりもずっと気まずい。

「旦那様」

「クラネ・ツヴィ」

 しばらくして新たな話題を出そうとクラネが口を開き、偶然にも同時にジーヴルも口を開いたとき。

『皆様、本日はお忙しい中、マシフォフ・カンパニー創設八十周年を記念するパーティーにご出席いただき、誠にありがとうございます——』

 聞き覚えのある声が広く響いた。いつの間にかホールの最奥にあるステージに、拡声できる棒状の魔法道具を手に持ったテロドアが立ち、開会の挨拶をはじめた。

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