第10話

「家、ですか」

「まだ星を見ていたいか。だが、この流星は明け方まで続く。見るのなら、せめて、家の窓からにしておけ」

「あの、家に行くって、ジーヴル様とメーベル様が住まわれているお邸に行くってことですか」

「ああ」

「それって、テンガイ研究所、ですか」

「表向きはその名だな」

「えっと……メーベル様はもうお帰りになるということで……?」

「お前も連れてな」

 もしかして、まさかと思っていたが。本当にそういう意図で声を掛けていたのか。どうしてクラネも連れて行くのか。

「こんな山の中で野宿しているやつを見つけて放っておけと? 万が一があったら、寝覚めが悪いだろ」

 クラネの心を読んだように、メーベルが言う。

「いえ、でも、この森には獣の気配はないですよ。昨夜も何にも遭遇しませんでした」

「お前は、よっぽど野宿が好きなのか」

「そういうわけでは、ありませんが……」

「それなら、大人しく従え」

 たしかに屋根がある場所で寝られるのならその方が嬉しいとは思う。だが、宿泊先が雇用主の邸という時点で既に僭越にもほどがある。そのうえジーヴルは、就業時間以外に従業員を邸に入れたくないほどに人との関わりを好んでいない——。

「クラネ・ツヴィ」

 どう断ろうかつらつら考えていたら、メーベルが大きくため息を吐いた。

「たしかにこの森に獣はほとんどいないし、いるとしても気性が穏やかなものだけだ。だが、天候は。今は快晴だが、それが崩れない保証はない。雨が降ったら。お前は濡れ鼠の状態で、出勤するのか」

「それは……」

「そうなったら、邸にあげないぞ」

 天候はどうしようもなく不定なもので、天候予測魔法というものもあるがそれを極めた魔法使いでも外すことはあるらしい。その現象を人々は神様の気まぐれと呼んだりする。

 当然クラネは予測魔法は使えないし、メーベルなら使えるかもしれないが……なんにせよ、雨が降らないと断定することはたしかにできない。

「意地を張って野宿をして、出勤できなくなって。それでお前は満足か」

「う……ですが」

「やはり通行蝶の件は、わ……ジーヴルに非がある。お前を邸に泊めるのは道理だ。遠慮をする必要はないし、決して咎めたりもしない。幸い、客用の部屋もある。庶務員が都度清掃しているから、問題なく使えるだろう」

 クラネの手元にはこれ以上抵抗できる手札はなかった。心の中でジーヴルに謝りながら、クラネは瞑目し、胸に手を当てた。

「メーベル様は、おやさしいですね」

「やさしくはない」

「やさしいです。とても、とても、やさしいです」

 真っ向から浴びるとめまいがしてしまうほどに、やさしい。

「ありがとうございます」

「……もういい。荷物をまとめろ。早く」

「はい」

 木のふもとに出しっぱなしにしていた毛布をくるりとたたみ、ほかに忘れ物はないかを確認してから、クラネは鞄を斜めに掛けた。

 メーベルが手を振ると、彼とクラネの足元に風が巻き起こった。

「わ」

「今度は暴れるなよ」

「は、はい」

 掛けた鞄を胸にぎゅっと抱き、身を固くする。風はふたりを宙へと浮かせ、さきの木よりも高いところに運ぶ。

 流星が掛ける夜空を漂う。

 ——すごい。

 その光景は、状況は、あまりにも夢のようだ。

 ——夢かもしれない。

 頬を抓って確かめたくなったが、下手に動いてはならないと思い、クラネはほんの少しだけ強く鞄を抱きしめた。

 風はすぐにクラネたちをテンガイ研究所へと運んだ。邸の門を越え、公園のようなアプローチにつくと、風はふんわりと丁寧にクラネたちを下ろした。

 着地してからも少しの間、ふわふわとしていた。今更ながらに頬を抓ってみる。痛い。

「何してる」

 数メートル離れた位置でこちらを一瞥したメーベルに、「なんでもないです」と応えれば、彼は怪訝そうにしながらも玄関ドアへと向かって行った。

 定時ぶりに、テンガイ研究所もといジーヴルとメーベルが住まう邸へと足を踏み入れる。

 一定の距離を保ちながらメーベルに案内されたのは、二階の西側にある部屋だった。メーベルはドアを開け照明をつけると、廊下の少し離れた位置に出て、クラネに中に入るよう顎で促す。

 おずおずと入室した部屋は、シンプルながらもやはり豪奢だった。天井にはエントランスにあったものを何周りか小さくした蕾型のシャンデリアがさがっている。そこから零れる白くやわらかな光に照らされる、クローゼット、机、棚といった設えた家具の数々。べっどはクラネをふたり並べても余りそうなほどに大きい。マットレスも布団もふっくら厚く、見るからに質がいい。ここから勢いをつけて飛び込んでもみじんの痛みも感じなさそうだ。

「そこのドアが洗面所とシャワールーム。隣がトイレだ。好きに使え。清掃は明日の仕事の一環にしてくれればいい」

「はい、ありがとうございます」

「……星、見るのか」

 部屋の中が明るさとレースカーテンの隔てにその光や輪郭は淡くなっているものの、窓の外ではまだ星が流れている気配がする。

「少しだけ、見ようと思います。寝ないと、明日に障りが出るので」

「そうか」

 メーベルはすらりと長い指を顎に当て、黄金の瞳を出ちらちらとこちらを見た。

「メーベル様?」

「いや……そうだ、お前に言っておかねばならないことがある。他の従業員に私の存在は内密にしておいてくれ」

「キャロテさんたちに、ですか」

「ああ。私は、事情があってこの邸に身を置いている。それをジーヴル以外のやつに知らたら、少し厄介だから」

「え、僕、会っちゃって大丈夫でしたか。き、記憶を消す魔法とか、聞いたことはないのですがあったりしますか」

「いや……別にお前は構わない。あー……無暗に広まらなければいいだ」

「そう、ですか」

 クラネはほっと胸を撫でおろした。

 もし万一にもメーベルに迷惑が掛かるのならば、どうにかして今日の出来事をなかったことにしなくてはいけないと思った。

「何を笑ってる」

「あ、つい、嬉しくて」

「嬉しい?」

「メーベル様に助けてもらったこと、メーベル様にあの流星群の名を教えてもらったこと、春嵐流星群をメーベル様と見られたことを、忘れたくなかったから」

「……別に、そんなこと、覚えてなくていいだろ」

「僕は、許されるなら覚えていたいです」

 わずかに眉を顰めたメーベルは、顔をそっぽに向けた。

「好きにしろ」

「ありがとうございます」

「私は部屋に戻る」

 メーベルはくるりと背を向ける。

 彼が数歩歩いたのを見てから、クラネは廊下に出た。そしてメーベルに声を掛けようとしたが、それより先に。

「……クラネ・ツヴィ」

 メーベルが呼んだ。

「はい、なんでしょう」

「……いや、なんでもない」

 クラネはきょとりと首を傾げた。それから、微笑みを浮かべ、「はい」と頷いた。

 出会ってから今までの短い間で、何か言いたげにしながらもそれを口にしないメーベルを何度か見ていた。

 いったい彼がどんな言葉を内に浮かべていたのか、気にならないわけではない。けれど、口にしなかったということは、それをクラネに聞かせる必要がないことだと判断したことだろう。ならば、わざわざ突っ込むことはない。

 雇用主に関して詮索はしてはいけない——でも、メーベルの方に関してはすでにだいぶしてしまったような気もするけれど。

 顔を逸らされたりはしても、不快げにしている様子は見受けられないから今のところは一応、大丈夫、だろうか。

 メーベルが再び歩き出そうとする。

「あ、メーベル様」

「なんだ」

「おやすみなさい」

 メーベルがぴたりと足を止める。

 わずかにこちらを振り返ったが、暗い廊下の遠くでは、その表情を窺うことはできない。

 メーベルが顔を戻し、歩き出し、背が見えなくなる、その間際。

「……おやすみ」

 低く小さな声が、応えてくれた。

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