神籬の巫女、あやかしの彼

ナガムラ京

第1話 神籬の巫女

 人里離れた山中。

 樹齢五百年を超える巨木が鬱蒼うっそうとする森の中を、一人の女が歩いていた。

 名を、神籬楪ひもろぎゆずりはといった。

 この地を代々治める、討魔とうまを生業とする神社の娘である。


 彼女の一族の子供には、生まれつき不思議な力が宿っていた。

 自然界に存在する八百万やおよろずの神々と交信し、時に使役することで魔を祓う。その力は古来より権力者に重宝され、国家にとって重要な役割を担ってきた。

 彼女はそんな一族の中でも高い霊力を宿しており、将来の当主の座を期待されていた。


「ふう……」


 少し歩き疲れたのか、近くの岩に腰掛ける。

 木々の間から日が差し込み、そよそよと気持ちのいい風が吹き抜ける。

 当主候補として修行の日々を送っている彼女にとって、合間を縫っての散歩の時間こそが唯一の楽しみだった。


 十分ほど休んだ後、そろそろ帰ろうかと立ち上がる。

 すると。


 ——ガササッ


 近くの茂みから音がした。

 思わず声をかける。


「誰……?」


 返事はない。

 この森に人間が来ることは滅多に無い。

 おおかた鹿や猿の類いだろうが、不審に思った彼女は音のあった方向へ歩き出す。

 茂みの先に、なにかの影が見えた。


「……!」


 そこにいたのは、巨大なおおかみだった。

 この国では、遥か昔に絶滅したはずの生物いきもの

 地面に横たわり、ぜぃぜぃと苦しそうに息をしていた。


 楪が呆然とその場に立ち尽くしていると、狼はこちらの気配に気がついたようだった。


「……はぁ……はぁ……っ!? 誰だ!!」


 驚くべきことに、狼は人間の言葉を発した。

 聞き間違えではなく、確かに誰だと叫んだ。

 楪は一歩引きつつも、狼に話しかけた。


「そんなことよりあなた、怪我してるじゃないの……! 大丈夫!?」

「ウゥ……ッ! お前には、関係ない……!」


 狼は強がってみせたが、状態は悪そうだった。

 全身に切り傷があり、特に腹部は激しく損傷し出血していた。流れ出た血を吸って、地面が赤黒く染まっている。呼吸も浅く、段々と弱くなっていくように感じた。このままでは命を落とすことは、誰の目にも明らかだった。


「待って! 私は敵じゃないわ。あなたを助けたいの! 落ち着いて、まずは傷を見せて頂戴」

「……何故だ? お前には関係ないことだろう」


 狼はこちらを睨みつけた。剥き出しの警戒心をぶつけてくる。しかし、それを受けてもなお、彼女は距離を縮めた。


「確かにそうかもしれない。でも、あなたを見つけた時から、私にとっては無関係じゃなくなったのよ」





 狼が倒れていた場所からすぐ近くに、運良く使われていない廃屋があった。楪ひとりでは遠くまで運べないため、一旦そこで傷の手当をすることにした。治療中、彼女に敵意がないことがわかったのか、狼は黙って大人しくしていた。


 彼女は傷口に手をかざすと、自身の霊力を注ぎ込んだ。眩い光が溢れ、瞬く間に傷が塞がっていった。そうやって全身にくまなく処置を施すと、彼女は額の汗を拭った。


「……ふぅ、これでよし。あとはゆっくり休めば、そのうち動けるようになるはずよ」

「驚いたな……お前のその力、何者だ?」

「通りすがりのただの巫女よ。まだ見習いだけどね。とりあえず傷は塞いだけど、動くとまた開く可能性があるからね。完全に治るまでは薬を飲んで安静にしているように」


 そう言って彼女は、薬草を煎じた傷薬を狼に渡した。


「………」


 狼が何を感じたのかわからないが、彼女は沈黙を肯定と捉えた。暫く沈黙が続いたが、狼は再び口を開いた。


「……俺が人間の言葉を話すことを、不思議に思わないのか」

「そりゃあ普通じゃないわね。でも、あなたはただの狼じゃない。あなた、《妖魔》でしょう?」

「……!!」


 狼は激しく狼狽した。


「知っていたのか……!」

「見た目ではわからなかった。でもあなたに触れた時、そう確信したの。でもなんだか、あなたからは悪い気を感じなかったから」

「……あぁ。俺は人間を殺したり、無闇に誰かを襲ったりしない。生きるために仕方のない時だけだ。だが俺は、妖魔というだけで討魔師から狙われた。おかげでこのザマだ」

「そう……事情はわかったわ。とにかく暫くはここで休みなさい。食事はまた持ってきてあげるから」

「どうしてそこまでして俺を助けようとする?悪いが返せるようなものは何もない」

「私がなにか見返りを求めているように見えるってこと?」

「……違うのか?」

「そうね。理由はわからないけど、このままあなたを見捨てることはできないって思っちゃったのよ」


 そう言って彼女は微笑んだ。

 狼は不思議そうな表情を見せた。完全に信用したわけではないが、どうやら少しだけ心を開いたようだった。


「……わかった。疑ってすまなかった。君は」

「私は楪。あなたの名前は?」

「俺は、トウヤだ」

「いい名前ね。じゃあ、これからよろしくね、トウヤ」


 こうして狼男と巫女見習いの秘密の関係が始まった。

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