デスコ

清泪(せいな)

繰り返される夢

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。



 暗い廊下。

 埃っぽい空気。

 軋む床。

 奥には、一枚の扉がある。

 私はゆっくりと歩き、扉の前に立つ。


 ——開けてはならない。


 それは直感だった。

 夢の中の私は、それを知っている。

 それでも、手が勝手に動く。

 ドアノブに触れると、ひやりとした感触が指先にまとわりついた。


 次の瞬間、扉が音もなく開く。

 ——いや、開けられたのかもしれない。


 中には、黒い影がいた。


 人の形をしている。

 けれど、顔がない。

 あるはずの目や口の部分は、ただの闇だった。

 影は、私を見つめている。


 逃げなきゃ。


 そう思うのに、足が動かない。

 心臓が凍りついたみたいに、身体の中から冷たくなっていく。

 影が、一歩近づく。


 次の瞬間——私は、目を覚ました。




「……またか」


 天井を見つめたまま、私はゆっくりと息を吐く。

 喉の奥が焼けるように乾いていた。

 枕元のスマホを手探りで掴み、画面を確認する。

 午前三時。


 寝汗で湿った髪をかき上げ、私はため息をついた。

 この夢を見るのは、今夜で九回目だった。

 最初は月に一度ほどだったのに、最近はほぼ毎晩だ。

 特に怖い夢というわけじゃない。

 ただ、不安を煽るような、じわじわと身体の芯を蝕むような夢だった。


 何かの予兆だろうか。


 私は、あまりそういうものを信じるタイプではない。

 けれど、こうも繰り返されると、さすがに気味が悪い。


 枕元のペットボトルの水を一口飲み、スマホの通知を確認する。

 仕事のメール。

 通販の広告。

 ——直人なおとからのメッセージ。


《明日、昼飯行かない?》


 私は少し考えてから、《いいよ》とだけ返した。


 ***


「それ、けっこうヤバいんじゃない?」


 翌日、私は直人とランチをとっていた。

 職場近くのカフェで、彼はフォークをくるくる回しながら、私の話に眉をひそめる。


「同じ夢を九回も? それって何か良くないことの予兆とかじゃないの? 予知夢とか?」


「やめてよ、そういうこと言うの」


 私はカフェラテをかき混ぜながら、わざと軽い口調で返した。


「ただのストレスじゃないかな。仕事も立て込んでるし」


「……まあ、そうかもしれないけどさ」


 直人はまだ納得していないようだった。

 彼は私より二つ年下で、同じ職場の同僚だった。

 付き合っているわけではないけれど、仕事帰りに飲みに行くこともあるし、こうして休日に食事をすることもある。

 いわゆる、いい感じの関係、なのかもしれない。


「でもさ夏希なつき、夢の話って、案外バカにできないんだぜ」


「夢占いでもするつもり?」


「ありだと思うけど?」


 直人はスマホを取り出し、夢占いのサイトを開く。


「えっと……何度も同じ夢を見るのは、潜在意識が何かを伝えようとしている、だって」


「ふーん」


「扉を開ける夢は、新しい世界への扉を開くことを意味するが、その向こうに恐怖を感じる場合は、過去に封じた記憶が関係している可能性がある……」


 過去の記憶。


 私は、カフェラテを一口飲んだ。

 自分の過去について、あまり深く考えたことはなかった。

 小さい頃に両親を亡くし、親戚の家を転々とした。

 それからはずっと、自分の力で生きてきたつもりだ。

 封じた記憶なんて、あるだろうか——?


「……まあ、気にしすぎかもな」


 私の反応を見て、言い出したのは直人の方なのに、変に慰めてきた。

 直人はスマホを置き、笑った。


「それより、飯食おうぜ。せっかくの休日に、怖い話ばっかしてるのももったいないし」


「そうだね」


 私は誤魔化すように笑い、パスタを口に運ぶ。


 ……けれど、その夜、夢の内容が変わった。



 私は、廊下を歩いていた。

 今までと同じ。

 何度も見た夢。


 違うのは——扉が、開いていたことだった。


 私は立ち止まり、目をこらす。

 扉の向こうには、何かがある。


 暗い部屋。

 埃っぽい空気。

 朽ちた家具。

 そして、中央にぽつんと置かれた、一冊のアルバム。


 何かに引き寄せられるように、私はアルバムを手に取る。

 表紙をめくる。


 そこには、見覚えのない写真が並んでいた。


 見知らぬ少女。

 そして——幼い頃の私が、彼女と一緒に笑っていた。


「……え?」


 その瞬間、後ろで扉が閉まる音がした。

 振り返ると、そこには——黒い影が立っていた。


 私は、声を出そうとした。

 けれど、喉が凍りついたように動かない。


 影が、近づいてくる。

 私のすぐそばまで。


 そして、囁いた。


「おかえり」


 ——私は、悲鳴を上げて目を覚ました。

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