15-3



 この音は――いや。


 なぜ?


「昔取った杵柄……九年ぶりか」


 なぜ、大人なのにサングイスが?


「トウカさん」


 お前は悪くない、と彼女は言った。いつだったか聞いた台詞だ。


「いや、なんで……」


「だから、私の勝手だ。使うか使わないかは私の裁量に任されてる」


「助けて、くれるんですか?」


「いざとなったら守ると言っただろう?」


 それは。


 まだ、生きられるということだろうか。


 そう思ったら、こめかみに血が流れている感覚が急にして。


「お」


 お願いします助けてくださいと。


 私は恥ずかしいくらい大声で言った。いつの間にか涙まで流して情けなく訴えた。死にたくない生きていたいと喉を枯らして叫んで、嗚咽して、泣きじゃくって――


 やっぱり私は痛いのが怖くて。


 リンの言う通り生き汚い盾職スクートムで。


 クリーチャーはただただ恐ろしく、逃げるべき危険な存在だった。


 シズクとは、同類なんてとんでもない。


「ありがとう、ございます」


「お礼はいいから身を守れ。それくらいできるだろう?」


「は、はい」


 私は結界を張った。兎のときと同じ半球型のサングイスだ。


「早く、助けて――」


「……ああ」


 私の訴えに、トウカさんは頷いて。


 次の瞬間、こちらに伸びていたクリーチャーの腕が吹っ飛んだ。


 夜空にかかる薄雲まで届くくらい、両肘から先が空高く。


 耳鳴り。


 二つの円盤は私の前を通り過ぎると、トウカさんの左右へ舞い戻った。間近で見て分かった。回転しているのだ。だから耳鳴りがするのだ。それに完全な円ではなく、縁が鋸の歯のようになっているのだ。クリーチャーの切断面が荒いからそうに違いない。


 回転浮遊するマンホール大の二つの円盤。それがトウカさんのサングイスらしい。


「や、やった」


「まだだ。止まってる内に核を叩く」


 トウカさんの言う通り、クリーチャーは腕を伸ばした姿勢のまま固まっていた。激甚化の途中なのだ。これは好機である。今のうちに核を破壊すればそれで終わりである。


 ぎゅるりと円盤が旋回して。


 そこからは凄まじかった。


 円盤がクリーチャーの体表を駆け巡る。頭部を真二つにし、胸を削いで風穴を開ける。再生が追いつかないほど素早く、正確に切り落としていく。凄いサングイスだと思った。トウカさんの操作も巧い。力強いのに動きに無駄がないのだ。核の可能性がある場所を最短距離で詰めている。シズクと同じくらい強いのではないか。


 これなら――


「いけますよ。勝てます! 頑張ってください、トウカさん!」


「……ああ」トウカさんはちょっと間を空けて応えた。少し歯切れが悪いように、私には思えた。「……そうだな」


 局部を穿つ。太腿に円盤が食い込んで、地面まで引き下ろす。激甚化が完了するまであと何秒か? 頼むから死んでくれと切に願う。早く楽になればいい。辛うじて立っているが、クリーチャーの体は目を背けたくなるほど無残なものだった。毛羽立った切断面は糸を引き、地面に投げ出された頭部と胴体は痛々しく蠢いている。円盤が乱舞し、肉片が飛び散って校舎の窓にへばりつく。切り離された腕は痙攣して、主の元へ戻ろうともがいている。しかし明らかに先ほどより大きい。乙級になればいくらトウカさんでも難しいだろう。激甚化が終るのが先か、核を破壊するのが先か。残る部位はあと――


 一本だけで立つ左足に。


 二枚の円盤が叩き込まれた。


 丁度、三枚おろしの形である。


「――やった」


 快哉をあげて、私はトウカさんを見る。彼女は膝に手をついていたが、こちらに気づくとサムズアップした。暗くて分からないが、きっと笑っているのだろう。やはりあそこが最後の部位で、核が破壊できたのだ。やっと終ったと安堵し、私はサングイスを解除しようとする。


「――だめだっ」


「え――」


 頭の天辺からつま先まで衝撃が走って、私は再び倒れ伏す。体の芯が小刻みに震えて、意識が彼方に跳んでしまいそうになる。それほどの衝撃だった。気をなんとか保って上を見る。絶句する。


 先ほどより格段に巨大になった猩々の足が、サングイスを隔ててすぐ上にあった。


 なぜ――


「なんで破壊したのにまだ――」


 絶叫がサングイスの中で反響する。真上では蠢きながら白い破片が集まって、ぐちゅぐちゅと上半身を形作っていた。既に激甚化は完了したようで、それは体の修復を着々と進めているのだった。二本足で、猩々はサングイスを足蹴にして立っていた。最後に残った頭部は、切断面から生やした触手を器用に操って、元に戻ろうと体をよじ登っているのであった。私は夢を見ている気持ちになった。……猩々は確かめるように両手を開け閉めした後、傍に浮遊するトウカさんのサングイスへ素早く伸ばした。トウカさんは放心しているのか、円盤に動きはない。


「トウカさん!」


「……っ」


 私の声で円盤はぎゅるりと回転し、掴みかけた猩々の掌を弾く――が、片方だけ逃げられず捕まってしまった。トウカさんは残った一方を傍らに戻す。クリーチャーは見せびらかすように掴んだ円盤を掲げた。首はようやく肩に戻り、完全復活の様相であった。あのときの兎と同じ、月に届かんばかりの巨躯である。二十メートルくらいか。


「くそ、油断した……ニコ、大丈夫か!」


 トウカさんが叫ぶ。はい、と私はなんとか答える。


「大丈夫ですけど、お、おかしいですよ。こんな、だって……」


「ニコ、左足から霧が上がるところは見えたか?」


「あ――」


 そうである。破壊された核は霧となって消えるのだ。


 霧は確かに出ていなかった。


「でも、核はあそこ以外ありえません。ですよね?」


「いや、移動させた可能性がある」


「そんな馬鹿な――」


 聞いたことがない。そんなクリーチャーいるわけない。核は固定されていて、たとえ激甚化しても大まかな位置は変化しない。教科書にそう載っている。人類が死力を尽くして研究したのだ。間違っているはずがない。


 ならば。


 こいつがおかしいのか。


 再び耳鳴りが。


 円盤が急回転して、クリーチャーの手をむりやり振り払う。校舎を悠々と超える背丈となった猩々は、威嚇するように諸手を挙げた。そして片足をゆっくりと上げ、私に思いっきり振り落とした。コンクリートが砕けて、礫と音と衝撃が半球の中で乱反射する。何度も何度も何度も。サングイスの軋みが悲鳴のように響き、崩壊の予感が戦慄させる。恐怖のあまり私は叫ぶ。


「もう一度、核を探す」


 だからもう少しの辛抱だ、とトウカさんは言い聞かせるように言った。あくまで冷静で本当に頼もしい。爆音の中、私も彼女のようなサングイスだったらなと思った。けど、もしそうだったとしても、ここまで勇敢に戦えるだろうか。


 できるわけがない。


 守られて助けてと叫ぶしか能がないのだ、私は。


 物語で城に閉じ込められた姫のように。


 月明りの夜を背景に白と赤がせめぎ合う。二つの色は縺れ合って、絡み合い、しかし相反している。溶け合ったと思えば、次の刹那には弾けて距離を取っている。私の予想に反し、トウカさんは乙級と渡り合っていた。両者はほぼ互角で、膠着状態が続いていた。トウカさんが常に攻めているものの、決定打は入らない。猩々は円盤を掴みたいように思えた。トウカさんはそんな思惑を察知してか、猩々の手に対して繊細微妙な距離感を保っていた。先ほど猩々がサングイスを手放したのは油断していたからかもしれない。今度捕まってしまったら、もう離さないだろう。一つでも円盤が使えなくなれば均衡は崩れる。すなわちトウカさんは死に、私も死ぬ。


 そんな抜き差しならない状況なのに。


 いいなあ、という場違いな感情が沸き起こった。


 なんて素晴らしい。


 なんてとろけそうな。


 想像しかできないけど。


 それは刃で皮膚をなぞり、筋肉の痙攣を愉しむ、生者の特権だった。私のような臆病者には決して得られない法悦。陶酔や、随喜。


 死の穴がすぐそこで開いているのだ。彼女はその縁を歩いているのだ。いつ手が伸びて足を捕まえられるか、戦々恐々としながら。死を恐れながら、死を望みつつ、生を忌避しながら、生を享受しつつ、ぐるぐるぐるぐる。


 私と違ってとても刺激的だろう。


 死ぬなら、私はトウカさんになって死にたい。


 こんな惨めな死に方は嫌だ。


 そう思った。


 トウカさんは攻めあぐねていた。先ほどより巨大化しているから腕が切り落とせないのだ。良い角度で切り込めても、刃は半分までしか食い込まない。そして時間が経てば再生される。もし核の位置が分かっても、両手が残っていれば防がれてしまう。そして最悪なのが――


「ニコっ、まだ耐えられそうかっ」


「だ、駄目です、もう限界――」


 世界が揺れて、サングイスごと地面に圧しつけられる。踏みつけは止んだが、体重をかけられているのだ。半球状の結界はほとんど地面に食い込んでいて、押し潰される寸前だ。このまま均衡状態が続けば、コンクリートとサングイスのサンドイッチになって死んでしまう。


 死が、すぐそこまで来ている。


 圧倒的な質量とリアルさを持って、首を絞めにきている。


 死にたくない。


 死にたくないから。


「は、早く――」


「……」


 トウカさんは応えなかった。タイムリミットは刻々と容赦なく迫っていた。私は両者の戦いを見ている他なかった。力がないから、ただ傍観者の立場に甘んじる他なかった。サングイスとクリーチャーがぶつかる鈍い音。殺し合っているとは思えない、綺麗な赤と白のマーブル模様。汚くて、残酷で、でも素敵な色。耳元からトウカさんの辛そうな息遣いや呻き声が絶えず聞こえてくる。なぜ彼女はこうも苦しそうなのだろうか。私の命がかかっているからか。どうか自分のために戦ってほしいな、と思った。私という余計な不純物が気道を塞いでいるから、そんなに息苦しいのだろう。


 ごめんなさい、トウカさん。


 本当に本当に、ごめんなさい。


「――ごめんなさい」


 そのとき、円盤が。


 クリーチャーの掌に収まった。


 回転するも、抜け出せないようだ。


 もう一つの円盤が、助けに行って。


 誘われるようにもう片方の手に吸い込まれた。


 猩々の勝ち誇った雄叫び。


 掴んだ円盤を月夜に掲げて喜んでいる。


 視界が黒ずんで。


 ああ死んだ、と思った。


 負けたから、私とトウカさんは死ぬのだ。


 全く単純な話。


 世界中で毎時間、普遍的に行われていること。


 シンプルでどこにも隙が無い。


 けれど。


 一つ納得できないのは。


 決して承諾できないのは。


 私が戦っていないことだ。


 悔しい。


 クリーチャーは大きく足を持ち上げて。


 そして、私の真上に――


 耳鳴り。


 円盤が。


 クリーチャーの肩を真っ直ぐ射抜いた。


 三つ目の円盤。


 霧が立ち込めて。


 こと切れた白髪の大猿は、私の横に倒れ込んだ。


 地鳴りするほどの巨躯だが、すぐに消えて無くなる。


 まるで最初から存在していなかったかのように。


 今度は。


「今度は、助けられた……」


 スピーカーからそんな声が聞こえた。


 小さかったが、とても満足したような声だった。


 私はサングイスを消した。そして足を引きずりながらトウカさんの元へ歩いた。彼女は倒れていたが、ただ気を失っているようで、静かな寝息を立てていた。二分もすると救護隊が来て、私とトウカさんは車に乗った。私も疲れていたのか、車の簡易ベッドですぐに寝てしまった。悪路の揺れが丁度よく、とても心地よい眠りだった。

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