15-1



「……じゃあ台本通りによろしくね。失敗したら殺すから。バイバーイ」


 匂やかな夜気が肌に吸いついてくる。リンとの通信を終了し、外を見れば漲った闇が地平線を犯していた。踊る羽虫の陰影。灯りに吸い寄せられて窓の桟から入ってきたのだろうか。灯りといっても薄ぼんやりした誘導灯と、ヘルメットのライトくらいだが。暗がりの校舎は静かだった。ブーツのソールがたてる、生野菜を噛みしめるような足音くらい。無音より微かでも音のする方が静かだと、私は矛盾したことを考えた。


 作りかけの校舎の廊下を六人は編隊を組んで進んでいく。先頭はトウカさんで私の後ろ、しんがりはカノンだった。間隔を空けているのは凶暴種エストルスが現れた際、複数のレナトスがサングイスを顕現しないようにである。今回の目標は丁級であるが、訓練のためにこのようにチームで行動している。


 ……そう、訓練のために、わざわざ役に立たない私まで駆り出されている。


 おかしなことだ、全く。掃討戦ならまだ分かる。小型のクリーチャーを虱潰しに探すためには人員が必要だ。でも今回はたった一匹である。しかも出現する場所はほぼ固定ときている。どう考えてもメリットとデメリットが釣り合っていない。リンの企みに利用されてしまうし最悪である。


 まあ、しょうがないのだろう。


 故意に激甚化を起こそうとする輩がいるなど、予想できるはずがない。そこまで考えろと立案者を責めるのは酷である。それに少しでもクリーチャーと触れる機会を与えたいという思惑も、理解できなくない。


 悪いのはリンだけなのだ。限りなく。


 ……。


 目標は新基地の工事を遅らせている丁級の討伐である。猿型のクリーチャーで、変種の凶暴種エストルスと考えられている。出現するのは決まって夜らしい。直接的な危害は与えられていないものの、クリーチャー側から接触してきているのでそう判断されたという。


凶暴種エストルスと言えど丁級だ。掃討戦を乗り越えたお前たちなら大丈夫。油断せず軽く倒していけ」


 作戦開始前、トウカさんは私たちの緊張をほぐすように声をかけた。その一点の疑いもない真っ直ぐな瞳は、私の胸を容赦なく絞めつけた。


 ……。


 ……後日手渡された計画書は、リンが言った内容とほぼ同じであった。クリーチャーが現れると同時に驚いた私と双子がサングイスを顕現、激甚化した乙級の討伐をリンがトウカさんに申し出て……。


 酷い計画だと思った。本当にお粗末。でも、それでいいのかもしれない。失敗すればいいのだこんなもの。リン一人で乙級など無理なのだ。きっと私や双子に泣きついてくるだろう。四人ならば倒せなくとも、逃げることくらいはできる。移動限界まで離れればなんとか。クリーチャーは生まれたホールから長い距離を移動できないのだ。カノンとトウカさん、あと双子に怪我なんてして欲しくない。リンについては最高で死んでもらっても構わない。


 彼女がしていた電話を思い出す。リンを突き動かすもの、見栄とかプライドか、もしくは親の気を惹くためか。なんと下らない、と思った。私にとってはそもそもないか、心底どうでもいいものばかりだ。


 でもリンにとっては大切なのだろう。命を擲ってもいいくらい。


 真夜中の廊下。後方を歩くカノンの小さな気配。五メートル程前方にはアオイの真っ直ぐなポニーテイル。リンにとってキイロやアオイは友達ではないのかと考えてみる。あの捨て駒を使うような言い方。自信の表れか? 自分が負けるわけないと確信しているから、双子の安全に頓着がないのかも。でも、と私は思い出す。シズクと張り合って、自分だって乙級を倒せると宣言したリンの顔。否定された怒りと、しかし本当に倒せるのかという迷いが混ざった、曖昧な表情……。吹っ切れない懊悩が自信の青葉に斑を入れ、病葉となったようにしか思えない。これは誤った推測だろうか? それとも真実を穿っているのか? どちらにしても狂気だが。人をこうも狂わせるプライド……。


 とりあえず私はリンに従うしかない。トウカさんの期待をまた裏切ってしまうのが残念である。それも自己保身のために。


 さもしい自分が、嫌になる。


 時刻は九時を回った。ヘッドライトに照らされた作りかけの教室を眺めていると、トウカさんから通信が入った。


「……工事途中のエリアに入る。ここは目標による資材の落下事故が確認されている。怪我したくなかったら気を引き締めるように」


 階段を下りて外に出た。工事のための仮設灯が闇夜に投げかけられ、視界は十分確保されていた。煌々と輝く月明かり。組み上げられた足場を覆うシートが、夜風に揺られてはためいている。ここは中庭になるようだ。中途半端に植えられた木がまばらで、芝生もない剥き出しの地面であった。


 しばらく中庭を練り歩く。本当に静かな月夜。クリーチャーなんてどこにもいないんじゃないかと思った。夜だし眠っているのかも。建物を破壊してレナトスを殺して、疲れないはずがない。でも、クリーチャーは眠りに落ちない。まるで人体を生かす恒常性のように、システマチックに働き続ける。地球を守る免疫機能ではないかと信じる人もいるくらいだ。私も足りない頭を使って考えたりするが、説得力のある仮説は浮かばない。


 四十年前、クリーチャーとレナトスが共に誕生した理由。


 私が注目しているのは両者の誕生に時間差がない、という点である。たとえば出現したクリーチャーに対抗するため、後からレナトスが産まれたというわけではないのだ。そこに何かある気がする、と個人的に考えているのだけれど。


「……そろそろ目撃が多いエリアに入る。気分は? リン」


「とても良好で、落ち着いていると思います」


「お前なら心配ないな」


 事前の打ち合わせで、猿を討伐するのはチームで最も強い(そして自己顕示欲も強い)リンに決まった。決めたのはもちろんトウカさんだ。リンが何を企んでいるとも知らずに。トウカさんはこれから信じていた部下から裏切られるのだ。 


 私が、裏切るのだ。


 トウカさんはいい人なのである。


 懲罰房での面会について考える。彼女は子供が戦場に赴くことを快く思っていないのだろう。非人道的だとさえ語っていた。しかし世界はレナトスの活躍を求めているし、そうなるとクリーチャーとの戦闘は免れない。レナトスが戦わなければ人類の繁栄はないのだ。命を賭すことに存在価値のある少女がレナトスなのだ。だから指導者になったのだろうと思う。少しでも私たちが生きて帰って来られるように。


 いい人、である。


 いい人だが、理想主義であることは否めない。


 そしてトウカさんとアタリさんの関係も気になるところだ。


 ――親友なんだよ。わりと。


 アタリさんはともかく、トウカさんは明らかに二人の関係を隠していた。


 特別作戦が始まる前、私はトウカさんにかまをかけてみた。カノンと話すふりをして彼女の前で、同室の先輩について話題を振ってみたのだ。しかし、トウカさんは一度もアタリさんについて口を挟まなかった。会話で知り合いの名前が出れば、誰だって言及するだろう。共通の知り合いなのだから、話の一つや二つしたくなるのが普通ではないか? それをしなかったということは――


 やはり隠したかったのだろう。


 結論づけて。


 後方で違和感がした。


「……カノン?」


 唐突に暗闇にいることを思い出した。新基地の作りかけの中庭。それは何か気配がしたとかではなかった。空気が動いたなんて達人めいたものでもない。逆に音がしないのがおかしかったから振り向いたのだ。


 後ろにはカノンが歩いているはずなのだ。


 だから彼女の足音がしなければ、それは不思議ということになる。


 後ろを向くと、無音は何も不思議ではなかった。ヘルメットを被ったカノンは足を止めて、こちらを真っ直ぐ見つめていた。私には恐怖で硬直しているように見えた。


 続いて。


 白亜の猿が、私の肩に手をかけようとしていることにも気づいた。

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