ツギハギノオト
ウニぼうず
第1話:先生との時間
静かな部屋に、時計の針が時を刻む音だけが響いていた。
白い壁と天井、シンプルな家具に囲まれた空間。
机の上には整然と書類が並べられている。
向かい合って座る二人。
「先生の仕事、最近ずっと忙しそうね。」
真理子が、少し拗ねたような口調で呟く。
佐々木は苦笑し、手元の書類に目を落とした。
「まあ……色々あるからね。」
「色々って?」
「仕事だよ。前より責任のある立場になったから。」
「ふうん……。」
真理子は細めた目でじっと佐々木を見つめる。
どこか疑わしげな、あるいは寂しげな眼差し。
「先生、最近、私のことを全然気にかけてくれないわね。」
「そんなことはないよ。」
「嘘。昔はもっと話を聞いてくれたのに。」
佐々木は微かに顔を上げたが、すぐにまた書類に目を戻した。
「そんなことはないさ。」
「覚えてる? 先生が黒板の前で、私にたくさん話してくれたこと。」
「……ああ。」
「なのに、今はちっとも話してくれない。」
「まるで、私を遠ざけているみたいじゃない。」
佐々木は小さくため息をついた。
「……そんなことはないよ。」
「でもね、先生。」
真理子は身を乗り出し、声をひそめるように続ける。
「最近、先生が他の人とばかり話しているのを見たの。」
「……?」
「昨日の昼間も、あの若い女の人と一緒だったでしょう?」
佐々木の眉がわずかに動く。
「それは、仕事だよ。」
「本当に?」
「本当だよ。」
真理子は静かに微笑んだ。
「先生は、昔は私だけを見てくれたのに。」
部屋に静寂が落ちる。時計の針が一つ、音を立てた。
「ねえ、先生。」
真理子は、机の上にそっと手を置く。
「今度の週末、久しぶりに二人で出かけない?」
「……え?」
「前みたいに、外の空気を吸いながら、ゆっくり話したいの。」
佐々木の顔が、わずかに曇る。
「……それは難しいかな。」
「どうして?」
「時間が取れなくて。」
「先生が忙しいのは分かってる。でも……昔は、時間を作ってくれたじゃない。」
「……。」
「最近、先生はずっと私をこの部屋に閉じ込めたまま。」
「外に連れ出してくれなくなった。」
佐々木は静かに、しかしはっきりと答えた。
「それは、君のためだよ。」
「本当に……?」
「……本当に。」
沈黙が訪れる。
その時——ドアがノックされた。
「先生、そろそろ次の患者さんの時間ですが。」
ナースの声が響く。
真理子はハッとしたように背筋を伸ばした。
「もうそんな時間?」
「うん。」
「先生と話していると、時間があっという間ね。」
佐々木は微かに微笑む。
「……また来週、お話ししましょう。」
真理子はゆっくりと立ち上がる。
ドアの前で、一度だけ振り返った。
「先生、また外に連れて行ってくれる?」
佐々木は少しだけ目を伏せる。
「……また、考えよう。」
「約束よ。」
真理子は嬉しそうに微笑む。
ナースが車椅子を押し、彼女はゆっくりと部屋を出ていく。
診察室のドアが静かに閉じた。
佐々木はしばらく動かなかった。
彼は机の上の書類に視線を落とし、その中の一枚をそっとめくった。
——そこには、「病状の進行により、院外散歩の許可を取り消し」 の文字が記されていた。
彼は短く息を吐くと、ゆっくりと背もたれにもたれた。
もう少し、時間があれば——
そう思ったところで、次のノックの音が聞こえた。
彼は目を閉じ、静かに一つ、頷いた。
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