46 【神立】

 *




 しん、と張り詰めたような、しかし決して不快ではない空気に満ちた執務室。

 壁も床も全てが白で統一されているその部屋で、敬虔な神官のような装いの聖騎士長が天鵞絨の椅子に座している。


 ――皇都。聖騎士団本部。

 リリオ・レックスは恭しく、騎士礼を取る。


「聖騎士リリオ・レックス。まさか災厄級をたった一人で討伐してみせるとは。今までにも例を見ないような、素晴らしい活躍だ。ご苦労だったね」

「――ありがたいお言葉にございます。ですが、今回の災厄級討伐は、僕……私一人の功績ではありません。師父様に、アイリス公女……民の協力があればこそ」

「そうか。それでも、君は素晴らしい成果を挙げた。この功績を誇りに思いなさい」

「……はい、聖騎士長様」


 顔を上げ礼を解くと、姿勢を正す。

 目の前に座す上役――聖騎士長は、まるで隙のない微笑を浮かべてこちらを見ている。


 その全身に満ちているのは、清らかでありながら研ぎ澄まされた闘気。この場に立つと、かつて【神立】と謳われた彼の強さを肌で感じられるようで、リリオの背筋はおのずと伸びた。


「それで、君は……やはり、水と土の二種類の魔法属性を持っていたのだね」

「お気づき、だったのですか」

「可能性は考えていたよ。君の魔力は豊かで、にもかかわらず初級魔法しか使えないというのは、何か他に原因があるのでは、とは思っていた。――しかし師父様はさすがだね。本来酒精に弱い水魔法使いが酒精に強いということだけで、違和感を覚えたとは」


 昔から変わらぬ慧眼だ、と、聖騎士長は穏やかな声で言う。


「君が水魔法をうまく使えなかったのは、水よりやや弱い土の魔力が、魔力の流れを阻害していたからだったのだろう。土壇場では力を使えたようだから、やはり君の成長に必要だったのは、機会だったようだ」

「……ええ」


 リリオは目を伏せる。

 この方のように立派な聖騎士でありたいと、その想いは、今も変わらない。


 ――しかし。


「聖騎士長様。今回の件につきまして、私から、申し上げたいことがございます」

「言ってみなさい」


「はい。私、リリオ・レックスは――聖騎士の位を返上したく思います」


 はっきりと告げた言葉に、聖騎士長がぱちりと一つ瞬きをした。


「……唐突だね。一体どうしてかな?」

「エルメル公城の戦いで、私が【黑妖】に憑依されていた公爵と戦ったことは御存じかと思います。戦った兵の中には――公の護衛についていた聖騎士もいたのです」


 今でも明瞭に思い出せる。

 明確な敵意と殺意を以て、同胞を狙い、魔法を込めた矢で射たあの一瞬を。

 蔓に内側から食い破られて絶命した彼らの、虚ろな目を。

「私は同胞をこの手で殺めました。私にはもう、聖騎士を名乗る資格はありません」

 聖騎士長は黙って聞いていた。

 しかし、ややあってから、やおら口を開いた。「――何か勘違いをしているようだけれど」



「どんな理由があろうと【黑妖】に従っていたような者を、同胞などとは呼ばないよ。聖騎士リリオ・レックス」



「え……」


 ひどく――醒めた声。

 柔らかな音の中に秘められた冷徹さに、息を呑んだ。


「だから、君が聖騎士を辞める必要はない。何故なら、君が殺したのは愚かにも敵に降った恥知らずであって、同胞ではないからね」

「聖騎士長様……?」

「何かいるだろうとは思ってはいたけれど、まさか災厄級まで潜んでいるとは思わなかった。それについては申し訳なく思っているよ、リリオ。それに、どうにも――公都は公爵の膝元だからね、なかなか手が出しにくかったんだ。実態の把握が面倒になるから、そこの聖騎士に問題があっても、挿げ替えることがなかなか難しい。決まった家から聖騎士を派遣するという伝統も邪魔だった」


 美しき最強は、笑う。


「よもや師父様がエルメルにいらっしゃっていたとは僥倖だった。よい学びを得られたようでよかったよ。君にこの任務を与えた甲斐があったというものだ」

「……ッ、」


 音もなく血の気が引いていく。手足の先の感覚が鈍くなっていく。

 まさか。まさかこの方は、


(この展開になることを、初めからわかって僕を……?)


 エルメルにいた聖騎士の怠慢も知っていた。【黑妖】の異常発生の理由にも見当がついていた。けれど一度公都の守りについた聖騎士の怠慢は、咎めることは難しい。


 皇都を本拠地とする聖騎士団は、公都とは相性が悪いからだ。


「僕を……使って、問題のある聖騎士を処理したと?」

「おや。……何の話かな?」


 聖騎士長は、微笑を浮かべたまま首を傾けてみせる。

 優しく、厳しく、強い――完璧な聖騎士。

 理想を彼に見ていた。それが裏切られた気分になって――否、とすぐに思い直す。

 勝手に理想を抱き、自分の目で何も見ようとしていなかったのは、リリオの方だった。


 ――もともと彼は、【神立】、つまり雷のように苛烈な聖騎士だった。


 人を使い、切り捨てることのできる冷徹さを持っていないような者が、聖騎士長になどなれるはずもなかったのだ。


(本当に、僕は自分の見たいものだけを見てきたんだな)


 今までの自分の浅ましさが浮き彫りになったようだった。

 悔しさに、拳を握り込む。……やはり自分は、何もわかっていなかったのだ。


「強すぎる理想は思考も剣も鈍らせる。一皮むけたね、リリオ」

「……っ」


 大仰に両手を広げてみせる聖騎士長を、顔を上げて見つめる。


 ……もう、今までのように、彼を信奉することはできない。

 それでも、確かに――リリオはこの任務で、多くのことを学んだ。自分にある不足と、視野の狭さを。


「さて、リリオ。複数の属性を持ち、混成魔法を扱うことができ、しかも災厄級を討伐した君を、ただの聖騎士のままでいてもらうことはできない。わかるね?」

「……はい」

「よろしい」


 聖騎士長は微笑んだ。穏やかでありながら、感情の読めない瞳をしていた。



「では、リリオ・レックス。聖騎士長の名の下に、君に【銘】を与える。

 君はこれから――【花】の聖騎士を名乗りなさい」


 

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