21 狭き視界

「……連れ去られるのに、大した説明もなかったと言わなかったか」

「まさか。民を守るべき貴族が理由もなく民を逮捕なんてするはずない」


 貴族とは民に誠実で在るべきだ。だから、必ず捕えられる側に何かがあったはずなのだ。


 ――すると老人の視線がこちらを射抜いた。ギョロリとした灰色の目がリリオを捉える。


 そして、



「戯言だ」


「は……⁉」

「お前さんは聖騎士か。よくもそんな戯けたことが言える。この国の貴族がどれだけ民を搾取し、特権階級としてふんぞり返ってきたのか知らんのか。エルメルの聖騎士などなおさらそうだ、貴族に尻尾を振って民のことは守ろうともしない。……お前さんなら知っているだろう、エルメルの守護聖騎士には、決まった家から輩出された者がその任に就く伝統がある。だから、腐敗がそのままになっているのだ。


 いいか、この国では貴族の声は大きいのだ。代わりに、民の声は小さい。だから聖騎士に守ってもらえなかったという民の声は誰にも聞こえない。貴族が『我らを守ってくれた聖騎士』を英雄として称えるからだ!」


 捲し立てられた言葉にリリオは色を失った。


 聖騎士が貴族ばかりを守り、民には見向きもしないなど、そんなことはありえない、はずだ。なぜなら彼らを統括しているのはあの聖騎士長で、聖騎士は皆、誇り高く在れということを、彼から説かれている。


 それなのに、そんな卑劣な人間が排除もされずにのさばっているなど――。


「ありえません……!」

「何?」

「聖騎士は人々を守るのが使命です。貴族ももちろん守りますが、それだけではない。……我々は聖騎士長様の下、個々で独立しています! 権力者に阿り、身分で差別をするなどありえません!」

「ならば聞くが」


 しかし。

 彼はリリオの反駁を聞いてなお、いかめしい顔つきを崩すことはなかった。


「どうしてわしらが【黑妖】に襲われている時、誰も助けに来なかった」

「え……」

「襲撃そのものに間に合わなかったのなら、まだわかる。すぐには気づかず、遅れてしまったというのならな。……しかし聖騎士はいつまで経っても来なかった。救援を求める使いを出したが誰も応えることはなかった。遺体を埋葬し終えたのち、復興に着手しようとした時にすら誰も送って来ん」


 リリオの脳裏に、つい昨日の出来事がフラッシュバックした。


 街道。疾走する乗合馬車。飛竜型の災害級【黑妖】。

 公都の人の多い場所への襲撃にも関わらず、公都の聖騎士は姿すら見せなかった。間違いなく騒ぎが耳に入っているはずなのに。


 おかしい、とは、思っていた。……だが。


「お前は、聖騎士は独立した存在であり、強者に阿ることなく人を助けると言った。貴族は常に民に誠実で正しくあるはずだと言った。ならば――何故聖騎士は来なかった?」

「……!」

「この町でどれだけの人間が死んだと思っている? 何故聖騎士長は人員を派遣しなかった? よもや知らなかったとでも言うつもりではなかろうな」


「っ、それは――」


 聖騎士長様には聖騎士長様のお考えがある。

 一介の聖騎士である僕にはそれを推し量ることなどできない。

 ――クラス相手にはすぐ出てきた反論が、喉に貼り付いたように出てこない。



「そこまで」



 ぱちん、と。手を鳴らす乾いた音。

 それは今まで黙って二人のやり取りを見守っていた、クラスによるものだった。


「とりあえず二人とも争うのをやめろ、不毛だ」

「……随分と世間を知らんガキを連れて来たものですな」

「ソイツは本気でそう思ってんだよ。実際ソイツは汚い真似は絶対にしない。ただ世界が狭いだけだ。……あと俺は別に連れて来てねーからな、コイツが勝手に着いて来たんだよ」

「あんたが同行を許可したということは、取りも直さずあんたの意思で連れてきたということだ」


 本当に連れて来たくなかったら相応の処置をするはず、と言うヴィルに、クラスは何も言わずに唇を尖らせる。肯定はしないが否定もできないということか。


 ――世界が狭い。


 昨日ならば少なくとも反論しただろう言葉に、リリオは何故か、不満を口にする気がさっぱり起きなかった。

 幼い頃から落ちこぼれとは言われてきた。才能がないことは自覚している。

 けれども無知であると罵られたことはなかった。


(僕は……)


 ――だが実際に、人が襲われ、死んでいる。

 聖騎士が来れば止められたかもしれない被害が、派遣されなかったから止まらなかった。公都ではリリオ以外の聖騎士はいなかった。それは事実だった。


「……とはいってもな、ヴィル」


 クラスがついと片脚の男を見遣る。「俺も憲兵の件は気になってた。……子どもらの態度や今の問答で、お前やこの町の人間が聖騎士やら貴族やらを嫌ってることはなんとなくわかった。が、まあ、それはここ数ヶ月のエルメルのおかしさを見ていれば納得はできる」


 ただな、と彼は醒めた声で続けた。


「憲兵の件は解せない。奴らだって思惑はあっても、さすがに『何か』がないと大量逮捕になんて踏み切んねーだろ。貴族は政敵を殺すなんて簡単にやってのけるが、何の意味もなく民を逮捕するなんてことはあまりしない。メリットがないからな」

「……何が仰りたい」

「ヴィル、ここには一体『何』があるんだ? お前たちは一体、何を隠している?」


【黑妖】の襲撃。子どもらの武装。異常に少ない大人の男。憲兵の大量逮捕。

 ここリーゼラには何か、秘密がある――。


「……まあいい」


 ややあってから。

 黙り込み、しかし射るような視線を返すヴィルを見て、クラスは肩を竦めた。


「とりあえず調べたいこともあるし、暫くここに滞在させてもらうぜ。部屋は空いてるみたいだし構わねーよな? ……まさか恩人である俺とその同行者を放り出したりはしないだろ?」

「……いいだろう」


 渋々といった体で、ヴィルが頷いた。「好きなだけここに滞在していかれるがよろしい。生活に必要なもろもろはご自身で用意していただくがな」


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