社会的に抹殺します。

雲井咲穂

本編(全13話)

1話 幼い日の約束

 春の陽射しが穏やかに降り注ぐグリムリッジ侯爵邸の庭園。色とりどりの花々が風に揺れ、遠くでは噴水の水音が涼やかに響いている。高い生け垣に囲まれた一角には、古びた藤棚があり、その下には年季の入った木製のブランコがゆっくりと揺れていた。


 アルテイシア・フォン・エーデワルトは、そのブランコに腰掛け、風にそよぐ栗色の髪をかき上げながら、隣に座る少年を覗き込む。


「ねえ、グリムリッジ侯爵子息様?」


 わざと格式ばった呼び方をすると、少年——ゼヴィレン・ノイノワール・グリムリッジは、ほんのわずかに眉をひそめた。


「……からかっているのですか?」


 淡々とした口調。ぶっきらぼうだが、どこか柔らかい響きがある。


「ふふ、ちょっとだけ」


 アルテイシアがくすくすと笑うと、ゼヴィレンは静かにため息をついた。


「好きに呼んでください。どうせ、そんなことはどうでもいいですし」


「じゃあ、ゼヴィでいい?」


「ええ、お好きに」


 ゼヴィレンは藤棚にもたれかかるようにして、静かに目を閉じた。長い黒髪がさらりと肩を滑り、春の光を受けてわずかに艶めく。その横顔はどこか儚げで、けれど揺るぎない何かを秘めているように見えた。


 アルテイシアは小さな手でロープを握り、ブランコをゆっくりと揺らす。風に乗って藤の甘い香りが漂い、彼女はその心地よさに目を細めた。けれど、ふと表情を曇らせる。


「……どうしたのですか?」


 ゼヴィレンがすぐに気がついた。わずかに目を開け、アルテイシアをじっと見つめる。その紅い瞳は、まるで彼女の些細な変化すら見逃さないと言わんばかりだった。


「ううん……。ちょっと、学校でね……。この前、新しく来た子が、私のことを『高慢ちきな伯爵令嬢』だって言っていたの」


 アルテイシアは足元の芝をつつきながら、小さくため息をつく。確かに、自分の家は名門伯爵家で、周りからは一目置かれる立場かもしれない。でも、そんなつもりはないのに……と、少しだけ胸が痛んだ。


 ゼヴィレンはしばらく沈黙していたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「……その人の名前は?」


「え?」


「家柄は?」


 静かな声だった。淡々としていて、感情の起伏はほとんどない。けれど、どこか底知れぬ圧力をはらんでいた。


「えっと、別にいいの。そんなに大したことじゃないし」


 アルテイシアがそう言うと、ゼヴィレンはゆっくりとブランコから立ち上がった。陽射しを浴びた黒髪が風に揺れ、その影がアルテイシアの足元に伸びる。


「ダメですね」


 彼はぽつりと呟くように言った。


「あなたが困ることがあったら、必ず私を呼んでください。何が何でも、絶対にそいつを許しません」


 淡々とした言葉。けれど、その裏に隠された揺るぎない決意に、アルテイシアは思わず息をのむ。


「……ゼヴィ?」


「社会的に抹殺します」


 さらりとした口調で、当たり前のように告げられたその言葉に、アルテイシアは目を見開いた。


「……え?」


「私はあなたの味方です。だから、あなたを傷つける者は絶対に許しません」


 ゼヴィレンはそう言って、何でもないことのようにふわりと微笑んだ。けれど、その笑顔の奥にある冷たい光に、アルテイシアは背筋がぞわりとするのを感じる。


「な、なにそれ……こわい……」


「怖くありませんよ。ただ、当然のことを言っているだけです」


 ゼヴィレンは再び藤棚にもたれかかり、ゆっくりと目を閉じた。まるで、この話はもう終わりだと言わんばかりに。


 アルテイシアはしばらく呆然としていたが、やがてゼヴィレンの手をそっと握った。


「……ありがとう、ゼヴィ」


「どういたしまして」


 春風がふたりの間を吹き抜け、庭園の花々がさざめいた。


 この時の約束が、まさか数年後に本当に果たされることになるとは、幼いアルテイシアはまだ知らなかった——。

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