2 Endangered Girl

「ニン、ゲン……?」

 ケイゴの声が、社殿の板の間にすい込まれるように落ちていった。薄闇に光る金色の目が、足元に横たわる少女をじっと見つめている。その横顔には、戸惑いが濃く表れていた。

 やがて、はっと顔を上げると、「なんで」とケイゴは叫んだ。それから慌てて声を抑えて、イチロクの腕を引っ張る。

「なんで、ここにニンゲンがいるんだよ」

「知らないよ、そんなに強く引っ張るなって」

 小声になるケイゴに合わせて、イチロクも声をひそめた。

保護施設ソレイユで何かあったのかな? まさか、事件か? 希少なイキモノの窃盗とかさ」

「それなら、もっと大騒ぎになってるはずだろ? 今日の配信を確認してみろよ、〈ニンゲン〉に関する記事は流れていない」

 イチロクにいわれて、ケイゴは瞼を閉じた。三秒ほど経って目を開けると、ため息とともに小さくうなずく。

「確かに、ここ一週間のニュースに〈ニンゲン〉のワードは一つもないな」

 そして燃えるような赤髪をわしゃわしゃとかき回した。

「それじゃあ、これは何でここにあるんだよ? やっぱり窃盗なんじゃないか? レッドリストのイキモノには、高値が付く場合もあるんだろ?」

 そういったケイゴに、イチロクは腕を組んで考える仕草をした。

「確かに、絶滅危惧種が高値で取引されるケースは珍しくない。けど、例え闇取引でも、ニンゲンはそれに該当しないはずだ。リストの中でも特例扱いだから」

「特例って、どうして?」

「ニンゲンには、その個体に自己所有権があるんだよ」

 首を傾げたケイゴに、イチロクが説明する。

「ニンゲンには他の生き物とは違う特別な権利、〈人権〉が与えられている。つまり、ニンゲンの持ち主はその個体自身で、それは他の何ものにも侵害されてはならない絶対の権利だ」

 話しながら、イチロクは目の前の少女を見下ろした。ワンピースからのぞく肌の色は、イチロクの色とよく似ている。

 不思議な信号が頭の奥でちらついて、イチロクは少女からそっと目をそらした。

「だから、ニンゲンは売買の対象にはならないし、してはいけない。仮にニンゲンを売り買いしたやつがいた場合、一発アウトでそいつは即廃棄処分だ。頭の中身ごとね」

「ああ、どこかで聞いた気がするな」

 ケイゴが曖昧にうなずいた。

「気がするも何も、一年の時に学校から学習データが送られてきただろ? 〈社会運営と個体役割〉、ぼくたち人型AIヒトガタの必修科目だぞ」

「そうだっけ? 確かに、いつだったか圧縮ファイルを受け取った覚えはあるんだけど」

 笑ってごまかすケイゴに、イチロクが呆れた目を向ける。

「さてはケイゴ、学校から送信される学習データを、解凍もせずに頭のどこかに放り込んだな。後でちゃんとインストールしときなよ。教科ファイルの再送は罰点だぞ」

「わかってるって、そんな目で見るなよ」

 イチロクの明るい紫色の目がきらりと光って、ケイゴはかわいた笑いを返す。

「それで? 結局のところ、このニンゲンはなんなんだ? 売買目的で盗まれたんじゃないとしたら、なんだってこんなとこにいるんだよ?」

「わからない。保護施設ソレイユから抜け出してきたのか、あるいは……」

 イチロクが考え込んだ時、目の前の少女がううんと声をあげた。文字通り飛び上がったケイゴが、イチロクの背に隠れる。

 起き上がった少女の肩に、長い髪がさらりとかかる。艶やかな黒髪を鬱陶しそうにかき上げて、少女が二人を見上げた。

「……誰?」

 大きな黒い瞳がゆっくりと開く。その深い色に、イチロクは思わず息をのんだ。

 ぱちりと瞬きをした目がイチロクをうつした瞬間、その黒に光が宿る。勢いよく立ち上がると、少女はイチロクに駆け寄った。

「ねえ、あなた!」

「うわあ!」

 イチロクの後ろで、ケイゴがひっくり返った。

「あなた、このあたりの人? よかった! わたし、道に迷ってしまって。よかったら、この森の出口を教えてくれない?」

「いい、けど……」

 勢いに押されてイチロクがうなずくと、少女は嬉しそうににこりとした。

「ありがとう!」

 そういうと、開け放たれた御扉に向かってさっさと歩き出す。

「ちょ、ちょっと、待って! きみは一体――」

 慌てて追いかけるイチロクを、少女が振り返った。黒髪を風になびかせて、やわらかな笑みを浮かべる。

「あら、あなたの髪、キラキラしていてとてもきれいね」

 そういうと、少女は「こっちこっち」と手招きでイチロクを呼び寄せた。戸惑いながらも扉の外に出たイチロクに、明るい昼の光が降りそそぐ。真っ青な空の下、イチロクの髪がきらきらと輝いた。

「……きれいな白。いいえ、銀色かしら」

 感心したようにつぶやくと、少女はゆれる花のようにふわりと微笑んだ。

「染めたの? それとも天然? どちらにせよ、すごくきれいだわ。うらやましい」

「あ、ありがとう」

 素直な賛辞に、イチロクの顔が赤く染まる。思わず顔をそらしたイチロクを、少女の瞳が追いかけてきた。

「目の色は紫なのね。すてきだわ、アメジストみたい」

 のぞき込むように見上げてくる黒い瞳が、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「あなた、とってもオシャレなのね。わたしもカラーコンタクトを使ってみたいんだけど、上手く入らないの。かゆくって涙ばっかりでてきちゃって。今度、使い方を教えてくれない?」

「カラー……? え、なに?」

「ほら、早く行きましょう? 昨日から何も食べていないのよ。喉もかわいちゃったし」

 少女がイチロクの手をとった。

「あなたが来てくれて助かったわ」

「いや、だから、ちょっと」

「ちょっと待てよ!」

 社殿の奥からケイゴの声が響いた。さっきまでひっくり返っていた場所にあぐらをかいて、イチロクと少女をにらみつけている。

 どしんと足音を鳴らして立ち上がると、ケイゴは二人の方にずんずんと近付いてきた。そのまま二人の前まで来ると、ケイゴはぴたりと足を止めて少女を見下ろす。炎のように赤いケイゴの髪を見て、少女の目が丸くなった。その驚いた顔の前に、ケイゴが人差し指をつき出す。

「さっきから何を自分勝手なことばかりしゃべってんだ。こっちの質問にも答えろよ」

 ふん、とケイゴが鼻を鳴らした。

「お前は誰だ。どうしてこの場所にいる? どこから来た? 一体、何が目的なんだ」

「ケイゴ、落ち着け、そんな一度に聞いても答えられないだろ」

「黙ってろイチロク、おれはこいつに聞いてるんだ」

 こいつと呼ばれた少女が、むっとした顔で眉を寄せた。

「あんたこそ何よ、突然出てきて偉そうに」

 少女がケイゴの前に一歩踏み出すと、ケイゴはわずかに身を引いた。

「それに、何? その髪の色。そんな派手な頭で、よく外を歩けるわね。まるで昔の映画に出てくる不良だわ。恥ずかしくないの?」

「なにい!?」

「ちょっと二人とも、やめろって」

 イチロクが間に入ると、二人はふんとそっぽを向いた。ため息をついて、イチロクは少女に向きなおる。

「一つ、聞いていいかな? きみはどうしてこんなところにいるの?」

 ふてくされた少女の目が、ちらりとイチロクを見上げた。

「ここは一般の立入は許されていない保護指定区域なんだ。勝手に入ったことが知られたら、施設の管理部に目をつけられる」

 施設という言葉に、少女の肩が小さくはねた。それを確認して、イチロクは続ける。

「道を教えるのはかまわないよ。だけど、なにか事情があるなら話してくれ。ぼくたちも勝手なことをして規則を破るわけにはいかないんだ」

 すでに自分たちがいくつかのルールを破っていることは隠したまま、イチロクは笑顔をつくった。敵ではないことを相手に示すには、笑顔を見せるのが有効だ。

「……さっきもいったじゃない。迷子よ」

 少しうつむいた後、少女はぽつりとこぼした。

「だから、なんで迷子になったんだって聞いてんだよ。お前、どこから来たんだ?」

「こら、ケイゴ、やめろって」

 声を荒げたケイゴを、イチロクがなだめる。目尻をきっとつり上げて、少女がケイゴをにらんだ。

「質問は一つじゃなかったの?」

 そのままにらみ合う二人の横で、イチロクは盛大にため息をついた。これでは話が進まない。

「ねえ、きみ。それじゃ、これだけ教えてくれ」

 詳しい事情はひとまず置くとして、とりあえず一番重要なことを確認しなければならない。ケイゴに「喋るな」と目で合図を送り、イチロクは少女にたずねた。

「きみは、その……ニンゲン、なの?」

 少女が不思議そうな顔で首を傾げる。

「当たり前でしょ? 人間以外に何に見えるっていうのよ」

 その答えに、イチロクとケイゴは顔を見合わせた。予想はしていたが、これはかなり厄介なことになってしまった。

 黙り込んだ二人を、少女が怪訝そうな顔で見つめる。やがて何かに気付いたように瞬きをすると、少女はイチロクの手をつかんで思い切り引き寄せた。

「うわっ、え、なに?」

 その手をじっと見つめた少女が、イチロクの肌にそっとふれる。やわらかなぬくもりが伝わって、イチロクの手がじわりと熱を帯びた。奇妙なその感覚に、イチロクは落ち着かない気持ちになる。

「……ああ、そう、あなたもそうなの」

 こぼすようにつぶやいて唇を噛みしめると、少女はイチロクの手を離して足元に視線を落とす。今にも泣き出しそうなその顔に、イチロクだけじゃなく、ケイゴもあわてた。

「お、おい」

 ケイゴが声をかけると、少女はぱっと顔を上げた。それから右手の拳を握りしめて、力任せに顔をこする。

「おい、何やってんだよ、やめろって」

「さわらないで!」

 思わず伸ばしたケイゴの手を、少女がはらった。

「あんたたち、ロボットでしょう? やめて、放っといてよ!」

「は!?」

「なによ! 機械人形アンドロイドなんかが人間の真似して! あんたたちも施設の機械なのね? わたしを連れ戻しに来たの?」

「何をわけのわからないこといってんだよ、お前のことなんか知らねえって!」

 怒鳴り返すケイゴを、イチロクがおさえる。

「確かに、ぼくたちは人型の人工知能だけど。でも、きみがいう〈施設〉とは無関係だ。少なくとも、今は」

「今は?」

 にらむ少女に、イチロクは困った顔で頭をかいた。

「ぼくたちは学習中の人工知能なんだ。普段は学生として、学校へ通っている。それぞれの個体がどんな仕事を任されるかは卒業後に設定されるから、今はまだ役割が決まっていない」

 人型AIヒトガタは製造後三年間は実用品として扱われない。研修期間として学校に在籍し、追加のデータを受け取ってアップデートをくり返しながら、様々なことを学習していく。

 全ての人型AIは初期プログラムこそ同じだが、その後の環境次第で個体差が表れる。それぞれの個体に適した業務が割り振られるまでは、イチロクもケイゴも、まだどこの機関に所属するのかは決められていない。

 イチロクの説明を黙って聞いていた少女は、「そう、施設のロボットじゃないのね」とつぶやいて深いため息をついた。

「わかってもらえたかな?」

 イチロクが優しく微笑むと、少女はふんとそっぽを向いた。

「でも、信用したわけじゃないわ。あなたの話が嘘じゃないという保証はどこにもないもの」

 そういいながらも、少女の声からはさっきまでの刺々しさは消えていた。

「もちろん、すぐに信じてもらえるとは思ってないよ。ただ、ぼくたちはきみを危険な目にあわせるつもりはないし、可能な限り力になりたいと思ってる。それだけはわかってくれると嬉しい」

 イチロクの言葉に、少女は小さくうなずいた。とりあえず、すぐに連れ戻されるわけではないようだと判断したらしい。

「おい」

 ケイゴがイチロクの腕を引いた。

「力になるってどういうことだよ。あいつの手助けをするつもりか?」

 声をひそめて話すケイゴに、イチロクは人差し指で自分の首を二回たたいた。「回線をつなげ」の合図だ。

 うなずいたケイゴが、イチロクのそばを離れる。頭の中の回線を通して、二人は声を出さずに話をした。

(なんだよケイゴ、あんまり乗り気じゃないみたいだな)

(当たり前だろ? あんなうるさくてよくわからないニンゲンなんか放っておけばいいじゃないか。本人だってそういってる。好きにさせてやれよ)

(そうはいかない。ニンゲンは絶滅危惧種の中でも最重要の保護対象だ。ぼくたちAIには、ニンゲンを保護する義務がある)

(だったら、さっさと捕まえて保護施設に連れて行けばいいだろ)

(それはダメだ)

(なんで)

 ケイゴの金色の目がぎろりと光って、イチロクは肩をすくめた。

「どうしたの?」

 と首を傾げる少女に、イチロクは「なんでもないよ」と微笑んで見せる。

(さっきもいっただろ、ニンゲンには〈人権〉があるんだよ。本人が望んでいないのに、無理やり施設に連れて行くことはできない)

(だったら、管理局にでも通報してやればいい。保護義務は果たせるし、その〈人権〉とやらをおれたちが侵害することもない。そもそも保護対象を逃したのは施設のやつらだろ? 責任取らせろよ)

(なるほど、一理あるね。で?)

(で?)

(保護指定区域にて絶滅危惧種を発見。その経緯をどう説明する?)

 苦虫を噛み潰したような顔で、ケイゴが口を閉ざした。

「ねえ、どうしたのよ、二人して黙り込んじゃって」

 不満げに口をとがらせて、少女がイチロクを見上げる。その目は、不安そうにゆれていた。

「ごめん、ちょっと考え事をしていたんだ。どうやってここから出ようかって。施設のやつらには捕まりたくないんだろ?」

 少女がこくりとうなずく。にこりと笑って、イチロクは両手を広げた。

「とりあえず、今の時点で困っていることはある?」

「困っていること?」

「うん。ここを出るにしても、この時間からじゃ遅い。あと二時間と二十八分で夜だからね。移動は明日にして、今日は今後の計画を立てようよ。街には監視カメラがたくさんあるし、管理システムをごまかすなら、今のままじゃ準備不足だ。ぼくとケイゴが用意するから、必要なものがあったら遠慮なくいって」

 回線を通してケイゴの舌打ちが聞こえたが、イチロクは笑顔のままこれを無視した。

 少しうつむいて考えるそぶりを見せた少女が、ためらいがちに口を開く。

「じゃあ……靴」

「靴?」

 イチロクが足元に視線を向けると、少女は恥ずかしそうな顔で半歩後ろに下がった。

「靴がないの。家からはスリッパのまま出てきちゃったから。それも、どこかで片方失くしちゃったし」

 社殿のすみには、土のついたスリッパが片方だけ転がっていた。

「ああ、そりゃ、ちゃんとした靴が必要だな。その足じゃ途中の砂利道は危ねえだろ」

 汚れた素足をすり合わせる少女を見下ろして、ケイゴがつぶやいた。その声に、少女が驚いた表情で顔を上げる。

「なんだよ。なんか文句があるのか」

「いいえ。……あんた、意外と優しいのね」

「別に。怪我でもされちゃ面倒なんだよ」

 ふんと鼻を鳴らして顔を背けたケイゴを見て、イチロクは小さく笑った。

「靴だね、わかった。他には?」

「他には……」

 少女が首を傾げたその時、社殿の中に大きな音が響いた。不思議な低音が、少女のお腹のあたりからぐるぐると鳴り響く。顔を赤くして、少女が両手でお腹をおさえた。

「なんだ?」

 怪訝な顔で、ケイゴが少女を見る。

「たぶん、お腹がすいたんだよ」

 そっと耳打ちしたイチロクに、ケイゴは「ああ」と笑った。

「つまりエネルギー切れってことか? 変わった通知音だな」

 珍しいと笑うケイゴに、イチロクもうなずく。見下ろす二人の前で、少女は肩をふるわせてうつむいた。

「最っ低!」

 顔を上げた少女が、思い切り二人をにらみつける。その勢いに、ケイゴとイチロクはぎょっとして後退りした。

「は!? なんだよ!?」

「それ、わざわざいう必要ある? あんた、デリカシーってものはないわけ?」

「なにがだよ! 単なるエネルギー切れのエンプティサインだろ? どこに配慮が必要なんだよ!?」

「うるさい、うるさい! うるさい、バカ!」

 そう叫んで、少女はイチロクとケイゴの背を両手で思い切り突き飛ばした。戸惑いつつも、二人は社殿の階段を転がるように駆け下りる。

 御扉の前で仁王立ちした少女が、真っ赤な顔で二人を見下ろした。

「とにかく! すぐに水と食べ物を持ってきて! それと靴も。できるだけ早く! いい!?」

 そういうと、少女は扉を勢いよく閉じた。

 ぱしんと軽快な音があたりに響いて、二人はその場に立ち尽くす。

 やがて、ケイゴが気の抜けた声でぼそりとつぶやいた。

「なあ、イチロク」

「なに、ケイゴ」

 閉じた扉を呆然とした顔で見つめながら、イチロクが応える。

「〈呆気にとられる〉って、こういう時に使うんだな」

 イチロクがちらりと隣を伺うと、ケイゴは真顔で扉を見つめていた。ぽかりと開いた口は間が抜けていておかしかったが、今はそれをからかう気にはなれない。たぶん、イチロクも同じ顔をしている。

「『慣用句は文章を豊かにします』か。学校の勉強も捨てたもんじゃないな」

「〈文章表現〉も必修科目だよ、ケイゴ」

 そういって顔を見合わせると、二人は同時に大きくため息をついた。

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