他人設定の梅村くんは

杏野 いま

01.爆弾職人と他人のわたし

「ブスなんてこっちから願い下げだろ」


 ――今日の占い、最下位だったっけ。


 長めの栗毛を放課後仕様に整えたわたしは、たった今化粧室から出てきたばかりだ。けれどもおかしなことに、冷凍庫に迷い込んだ気分である。


 視界の端には他校の女子が三人。ブス認定されたショックから、顔を赤くしたり青くしたり忙しそう。わあ、制服のスカートがボックスプリーツだ。可愛い。ひだの数が、いち、にい、さん、し――


 現実逃避をしていると音が聞こえた。ボウリングのピンが倒れる音だ。

 我に返り、遠くのレーンに視線をやる。ハイタッチを交わす友達を熱心に見つめてみたが、誰一人としてわたしの危機に気付いてくれない。あのはしゃぎ方から察するに、わたしが席を離れている事実すら忘れかけている。


 仕方がない、化粧室に逃げ帰ろう。


 そろぉっと一歩下がった時、暴言を吐いた男子がこちらを向いた。『だるまさんがころんだ』みたいに動きを止めたわたしは、彼のブレザーを二度見する。うちの学校、ブスなんて言う人いるんだ。先輩かな。


 どんな人なのだろう。

 出来心で顔を見ると、気だるげな瞳と視線が絡んだ。ほんの少しの間だけ。


 彼はわたしの存在を気にした様子もなく、化粧室横の自動販売機で飲み物を選び始める。感情の読めない横顔が、不思議な魅力を放っていた。


 高い鼻や整った輪郭からはシャープな印象を受けるのだが、最初に目が合ったせいで全てがアンニュイな雰囲気に引っ張られる。少々目にかかっている黒髪も、鬱陶しく感じることなく完璧だ。

 身長が高く、手足も長い。羨ましいくらい服が似合いそうだ。


「も、もう行こうよ」

「うん……」


 わたしが暴言生徒を観察している間に、他校の女子たちは去る決意を固めたらしい。何があったのかは存じ上げませんが、懸命な判断だと思います。


「だから言ったじゃん、絶対女子いるって」


 彼女たちはチラリとこちらを見た後、背を向ける。まさか同じ学校の制服だから、連れだと認識されたのだろうか。


「…………他人です」


 久しぶりに出したわたしの声は針穴より小さく、店内の喧騒にかき消された。


 ガコンッ、という落下音の後、自動販売機からペットボトルを取り出した暴言生徒が移動する。自分のレーンに戻るようだ。何事もなかったように進む彼を、近くに立っていたもう一人の男子生徒が追っていく。


 緊張から解放されたわたしは息をついた。

 助かった。こんな所で喧嘩が始まったら、泣き真似をしながらお店の人を呼びに走るところだった。なんて冗談はさておき――


「あの顔にブスって言われたら、言い返せないよなぁ」


 素直な感想をこぼしながら、友達が待つレーンを目指す。三歩進んだ頃には今の出来事はどうでもよくなっており、『次はボックスプリーツの型紙パターン引こう』と、思考が切り替わっていた。






 ベンチで盛り上がっている友達の間に、わたしは吸い込まれるように腰を下ろした。茶色のローファーを脱ぎ、ボウリングシューズに履き替える。


琴葉ことは、あれ見て」


 肩を叩かれたため、友達が指さしたレーンに視線を移す。そこには男子生徒の集団がいた。


「二年の工業科も来てる。やっぱり梅村うめむら格好いいわ」

「どの人?」

「離れて立ってる背が高い人」


 どうやら先ほどの暴言生徒のことらしい。彼はなぜか、ボウリングボールが並んでいる棚にスマホを向けている。


「ブスの人、同い年なんだ」

「琴葉はとんでもない面食いなのか、イケメンの顔が潰れて見える病なのかどっち。梅村がブスだったらこの世の大半ブスだよ?」

「ごめん、意味が違う。あれだけ格好よかったらモテるんだろうね」

「言い寄られはするけど、女子とは必要最低限しか喋らないんだって。ちょっと壁作るっぽい」


 壁っていうか、さっき爆弾作って投げてたよ。先制攻撃で相手を瀕死に追い込むタイプだよ、彼。

 わたしが脳に『ブスの人=梅村くん=工業科=壁有り爆弾職人』とインプットしている間に、友達は口々に喋り出す。


「うちらの学年で一番モテるのは商業科のやなぎじゃない?」

「サッカー部の爽やかイケメンね。愛想いいし、友達も多い感じするわ」

「いや、でもやっぱりビジュアルは梅村か?」

「先輩も捨てがたいよね」


 不毛な議論だ。

 女子しかいない我がクラス、生活デザイン科(通称『生デ』または『女クラ』)では、こんな会話を軽く数時間続けられる。

 始業式だけで終わった今日は時間が有り余っているため、いつにも増してお喋りだ。この手の話題を振られても大した情報を持ち合わせていないわたしは、毎回、へぇ、ほお、むむっ、などと真剣に中身の薄い相槌を打つ。


「ただいま」


 会話が盛り上がっているところへ、わたしの心の友、吉野律花よしのりつかが戻ってきた。華麗にストライクを決めたところを見ていたため、全員ハイタッチで迎える。


「動いたら暑くなってきた」


 わたしの隣に腰掛けたりっちゃんはサラサラストレートの黒髪を一つにまとめ、高い位置に結い上げた。耳から下の髪が全て刈り上げられており、イカしている。


「このショリショリ具合がたまらんのですよ」

「はいはいありがと。もうすぐ琴葉の番だよ」

「了解だ」


 大好きな刈り上げ部分をよしよしと撫で、ボールの元に向かった。が、自分が持ってきたボールを見失った。まあどれでもいいか。適当に軽そうなものを見繕みつくろい、タオルで拭いてみる。


「早く帰れる日はこうやってみんなと遊べるから嬉しいけど、被服ひふく製作はやりたかったなぁ。次の型紙パターン引きたい」


 一年生の初め頃に基礎はみっちり学習したから、今年は応用を頑張りたい。

「個人的に作りたいものもたくさんあるんだよね」と報告しながらボールを掴むと、ベンチから憐れむような視線が送られてきた。


「あちゃー。二年になっても琴葉の製図狂いは健在か〜」

「男子より図面見てる方が目輝いてるもんね」

「さすがは鉛筆と定規で恋人を生み出せる女」

「せめて相手は生物であれ。無機質にもほどがある」

「そこ。わたしが可哀想だからやめなさい」


 まったく、好き勝手言ってくれるものだ。


「いいじゃん、好きなんだから」


 ボールを胸の前で構え、十本のピンを見据える。

 助走と同時に、諦めの気持ちを吐き出した。


「どーせわたしは、変人ですよっ」


 指からスッとボールが抜ける。

 全力で放った一投は、あっけなく左端の溝に吸い込まれていった。

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