第八話

「で……? 何があったのだ、八月朔日姉」


 姫先輩はあたしとヨルを呼び出し、そう訊ねた。『何がですか』……なんて野暮な事は訊かない。……解りきっては、いるのよねん。

 ミーティングの時の、あたしの様子……だろうねぇ。


「ネクタイがないな? 誰にやられた」

「ヨウ……?」


 傍らでヨルがあたしの顔を心配げに覗く。……敵わないね、このヒトには。


 あたしとヨルが現在中枢的実権を握っている情報ネットワーク『DOLL』は、この学校の教師・生徒の情報ぐらいほぼ全て掌握している。その張り巡らされた網の目よりも高密度、さながら織物のようなネットワークに引っ掛からない人間なんかいない……ハズなのよね、普通に考えちゃうと。

 引っ掛からない人間が、実はいるのだ。二人も。

 その内の一人が、この通称『姫』の先輩…八頭司綾姫さんである。彼女ばかりはさすがの『DOLL』創始者イルでさえも舌を巻いたというお墨付きの謎な御方で、あたしもクラスと出席番号ぐらいしかわからない……学校内の事情なんかはどうでもイイのにそれしかわからないのだ。学校から一歩出る、それだけでもう所在不明になっちゃう。あたし自身も尾行にアッサリと失敗しちゃうぐらい、このヒトは謎につつまれている。


 この人に始めて会ったのは中学二年の時。――――なんだけどその時はあんまり接触が無い状態の出会いだったので(どんな出会いだ)……取り敢えずあたしの中で邂逅は中学三年の時。あたしの姉の葬式で、姉の同窓生としてこのヒトに会った。


 瞬間から感じていた、得体の知れないヒトだってコトは。このヒトはコワイ。何もかもを見透かす……こういうのを、慧眼って言うんだろうね。


「……ミーティングに向かう途中に、ミョーな殺気だったオジサン達に襲われまして。もちろんノしましたが――――不覚を取りました」

「何か気がついたことはないのか?」

「アタマが濡れてたみたいでしたけど」

「あっ……!」


 ヨルが突然声をあげたので、あたしと姫先輩は同時にヨルを見る。


「ヨル? なに、心当たり?」

「それ、南風のボディガードよ! あたしクロロホルム嗅がせて眠らせたの、水ぶっ掛けとけって言ったもの……ホントにぶっ掛けたのね」

「妙なタイムラグがあるな。襲われたのはどこだ?」

「経済科棟から特教棟への渡り廊下です」


 あたしは答えた。


「ボディガード連中を眠らせたのは?」

「普通科棟の前庭です」


 ヨルが答える。


「…『お嬢様』に叱咤されて特別教室棟の水飲み場で頭を冷やし、その途中で姉の方を見つけ…勘違いして襲って来たという事か。八月朔日妹、お前はその『野暮用』が終わってから真っ直ぐには自治会室のある特別教室棟に来なかったな。何をしていた?」

「『縒り師』の仕事の一環で……『ランナー』連中に連絡をとっていました。『南風真理奈の動向を注意深く観察してあたしに流せ』と。あの程度の警告で懲りるタイプじゃないと思ったので」

「それが、一寸遅かったというわけか……」


 姫先輩は腕を組んでから右手人差し指の腹を唇につけた。それは、姫先輩が考え事をするときのクセである。


「二人共注意するべきだな。ちなみにネクタイはただのネクタイだったのであろうな、八月朔日姉」

「はい」

「ふ……ん」

「あ!」


 あたしは思い出したことに唖然として、そう声をあげた。


「どうした?」

「校章がついてたんだ……あーん、また購買で買わなきゃ! くっそー、三八〇円は高いっつーのにぃ!」

「ヨウ……怒るのソコじゃない」

「ところで姫先輩? 隊長先輩は一緒じゃないんですか?」


 げんなりとしたヨルの突っ込みを流して、あたしは姫先輩にそう尋ねた。うう、でも本当に校章も高いんだよね…太陽と月のシンプルなデザインのクセに。芥川の羅生門より高いものを私は認めないわ。自分の手に入る時はいくらでもオッケーだけど。

 でも法外な金額でネットワークを買収しようとするのは頂けないな。一種の権力にも似たこの地位を手放すつもりはない。勿論正当な系使用者が還って来た時には、還すのに吝かではないけれど。……それはまだ、半年は後のことになるだろう。今朝の電話で聞いた限りでは。


 ともあれネットワーク全体を金で動かす事は出来ない。頭を使わなきゃならない個所は山ほどある。それをただの一年生の『お嬢様』に出来るとは思わない。十波ヶ丘に入学できたんだから成績はそこそこ良いのかもしれないけれど、『DOLL』を動かすのに必要なのはそういう頭の良さじゃないのだ。もっとずる賢く、立ち回ること。

 それには自分のボディガードを差し向けるなんて馬鹿をしちゃいけない。雇い主からすぐに割れる素性、弱味、弱点。それらを使えば、『お嬢様』への忠義心なんてぽっきり折ることが出来るし、戦闘能力があるというのならこっちにだってトラッパーのキョウちゃんや格闘技好きの多佳くん、無敵のヘッドバットを持っている隊長先輩なんかがいるのだ。カリちゃんだって木刀を持たせれば全国レベルの剣術を披露してくれる。


 しかし隊長先輩がこの場にいないのはやっぱり不自然だな。思ってあたしが姫先輩を見上げると、クッと彼女は喉だけで笑ったようだった。


「『支配者たらんとする者は幾つかの良き性質を持った――――つまり、思いやりに満ち、信義を重んじ、人間性に溢れ、公明正大で信心にも厚いといった性質を持った人物である必要――――は全く無い。いや、かえってそれらの性質を持つ事は有害でさえある。しかし、根源的で重要な事は、その支配者がそれらの良き性質を持っていると人々に思わせておく事である』」

「……へ?」


 突然滔々と暗唱しだした姫先輩を見て、あたし達は目をまぁるくした。なんだっけ、聞いたことはあるな。違う読んだ? 姫先輩は茶色のカバーの掛かった文庫本を取り出して、口元にあて小さなそこを隠す。


「マキャベリの『君主論』の一節だ。つまり、瀬尋はそれほど完璧な人間ではないという事だな。なにか急用でも出来たように慌ただしく帰っていったぞ……声をかけても、私に一任すると言ったきりだ。お前達は瀬尋が中々の人物に見えているようだが、あいつも案外と俗で普通の高校生男子なのだよ」


 フ、っと大人びた薄い笑いを浮かべて姫先輩は言った。姫先輩の話し方はなんとなく中性的(無性的?)ってゆーか時代掛かったってゆーか……キョウちゃんとは違う意味で特徴的。その言葉は、何かのオカルト系の本で読んだ『言霊』っていうのに似ている。……彼女の言う事は、なんでも真実になりそうだ。

 そこがまた、ちょっと怖い。


 ……それはともかくとして、あたしは隊長先輩の急用とやらになんとなーく勘付いてる。多分、あたしが伝えたイルの伝言の所為だわ。そっかぁ、隊長先輩なんだかんだ言ってもイルのコトが心配なのね。きっと今から必死でお家の手伝いをして臨時の小遣いを稼ぐんだわ。そして携帯端末でメールを打つのね。たしか隊長先輩のお家はPCも無くて、自分のお小遣いで携帯端末の電話代を賄ってるはずだから、国際メールを送るにはお金が必要……うーん、隊長先輩ってなんか可愛いヒトだなァ。


 ……イルと隊長先輩は仲良し。イルのお義兄ちゃんと隊長先輩、そしてイルはとても特別な繋がりを有する『仲間』で。イルは良く隊長先輩に懐いていたし……隊長先輩もまんざらでもなかったみたい。妹として見てたのか、それとも……。


 まぁ、心の内までは知らない事にしておこうっと。触らぬ神に祟りなしだよ。特にあの『総』元締めのプライベートなんて、勘ぐったら即切られそうだもん。そうなったら飯の食い上げだわ。せっかく増設したPCのメモリだって役に立たなくなっちゃう。情報は取れるところからは根こそぎだけど、取れなそうなところからは遠慮しておくのが大事。姫先輩みたいにね。


「ヨウ? なーんかイルのコト考えてたね?」


 帰りのバスの中で隣に座ってるヨルがそう言った。うにゃー、バレてるね。あたし達の思考はなんとなく繋がってるから。双子の神秘、っていうか……うん、『なんとなく』だね。なんとなく、お互いのことが分かっちゃう。だから何だってわけではないけれど、喧嘩もせずに十七年生きているのは奇跡みたいなもんだろう。心中することすら一緒に考えたことがある。あの時はイルが来てくれなきゃ、本当に飛び降りてたのかも。

 そういう意味ではイルは命の恩人でもある。生き延びて何かを掴んだとはまだ思えていないけれど、ネットワークを任されてる責任感は生まれた。それは結構な収穫だと、言えるだろう。イル。イル、ねぇ。


「うん、ちっとね」

「当てようか。一緒に言うよ」

「せーのっ」


「『隊長先輩とイルは出来てんのかな?』」


「……どうなんだろうね」

「イルはなんか……お義兄さんとおんなじ要領で隊長先輩を見てるようにも見えたけど、やっぱりね」

「あと二つ、って教えてるし。あたしたちにも今までの分は教えてくれてなかったのにさー。薄情だよ、あたしたちに対して。でもその分厚情を賜ってるのが隊長先輩だとも思えない……本人に直接電話かけないし。番号知ってるだろうに」

「どうなんだろーねー……これってあたしたちが『カーゴ』にされてるみたいだよね、なんか。運び屋としてイルから隊長先輩に、って」

「でも秘密ではない。誰に聞かれても良いと思ってる。……照れくさいのかな?」

「あのイルにそんな感情あると思う?」

「思わない。でもそれ以外に思いつく事って言ったら……仕事の邪魔になりそうな私的感情をなるべく排しているとか?」

「私的感情、かあ……」

「にゃーんかね」

「にゃーんだね」


 ……こうして暢気にあたし達が話している間に、

 PPSはずんずん事件に巻き込まれていく。

 それはもう、珍しいことでもなんでも無かった。


「八月朔日、ちょっと」

「にょ? なんです、先生っ」


 それからちょっと時間が飛んで一週間後、二学期のある日。しかも一時限。あたしは担任の先生に呼ばれた。


「すぐに理事長室に行きなさい。理事が、聞きたい事があると」

「え?」


 あたし達は、またもや事件に巻き込まれ始めていた。

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