Episode01 アイツの時間 私の時間【秋弦×奏音】

【秋弦×奏音】


高校生から私と秋弦の時間は別々に動き出した。


あの日、史也君に振られてしまった私は、秋弦の優しさを知りながら

その温もりに溺れることなんて出来なかった。


史也君がダメだったからって、すぐに秋弦に走ってしまったら

アイツを受け入れてしまったら、私がずっと感じてきた史也くんが大好きって言う想いが最初からなかったことになってしまいそうで……。


藤宮学院の中等部では、相変わらずアイツは私の傍で笑って

何も変わらない。


だけど何も変わらないアイツの優しさが私には苦しかった。


中学三年生になった時、高校受験を機に私は

もう少し冒険してみたくて神前悧羅学院の音楽科を目指したいと思うようになった。



高校受験とコンクールを両立させて、

必死に走り続けて高校生から悧羅学院の制服に袖を通した。


同じ悧羅学院の悧羅校に通ってたら、

大学生になった史也君と会うことが出来るかもしれない。


そんな浅はかな部分もあったかもしれないけど、

高校生活は思うようにはいかなかった。



私よりも上手い人たちが大勢いて、

その中で何度も自分の実力のなさに打ちのめされそうになりながらも

ただ史也君との約束にしがみつく様に音楽と向き合い続けた。



神前悧羅に通うようになっても史也君とは一度も校舎内で会うことはなかったけど、

大学部音楽科に進学した誠記さんとは何度も何度も顔を合わせることになった。



時に大学部のサロンコンサートに出掛けたり、

休日には誠記さんと一緒にいろんな演奏会場を回ったり。




大田音楽教室も卒業した私は史也君との時間の余韻を感じながら、

思えば高校生活、大学生活と私を支えてくれたのは誠記さんの存在が大きかったかもしれない。



気が付いた時には……10年の月日があれから流れてた。



「奏音ちゃん久しぶり。元気してた?

 今度、大田先生が一緒に演奏しないか?つて声をかけてくれてる。


 俺は顔を出すつもり。

 だから奏音ちゃんもどうかな?って」


ある日、携帯電話が懐かしい名前を表示しながら着信を告げた。



「誠記さん、お久しぶりです。

 大田先生がそう言ってくださってたんですね」


「奏音ちゃん、今どこ?」


「私は今、ミュージカルの演奏についてまわってて今日は福岡なんです」


「ミュージカル……そう。シェークスピアの真夏の夜の夢の公演が今だったかな?」


「はいっ。

 誠記さんが紹介してくれた時から、ずっとこちらの先生にはお世話になってるんです」


「こっちにはいつ帰ってくるのかな?」


「一応、1週間後には帰れる予定です」


「1週間後だね、了解。

 その時予定入れといて。大田先生にも伝えておくから」


「はいっ。……あの……誠記さん……今、史也君ってどうしてるんですか?」



思い切って会話を切り出してみる。



10年間、一度も……史也君の話題を出したことはない。

だけど……忘れたわけじゃない。


今もずっと……気になってる。




だけどその気になってる思いが『恋』じゃないのも、

今は気が付くことが出来た。


「あっ、史也も気にしてた。 

 二人とも気になってるんだったら、連絡くらい取り合えばいいだろう?

 俺を間に挟まなくても。


 秋弦なんて今も、アイツのマンションしょっちゅう押しかけてるみたいだぞ」



誠記さんはそう言いながら笑った。



秋弦が史也君のマンションに……。



それを聞くと、やっぱりなんか悔しい。




「あっ、アイツ今……医者になったよ。

 若杉って覚えてる?


 アイツと一緒に鷹宮総合病院ってところで働いてるよ。

 アイツのマンションに行きづらかったり、電話やりづらいなら

 鷹宮総合病院に行ってみたらどうかな?


 その病院には教会とパイプオルガンがある。

 今はエレクトーンじゃなくて時折、史也がパイプオルガンを奏でてるよ」


史也君がパイプオルガン?


エレクトーンじゃなくても、楽器を続けてくれてるのに

それだけで凄く心が温かく感じる。


「誠記さん、有難うございます。

 私、そっちに戻ったら訪ねてみます。


 鷹宮総合病院。

 1週間後、大田音楽教室でお会いできるの楽しみにしています」


「あぁ、俺も楽しみにしてる」



その後の1週間も必死に、ステージを務める。


生演奏で、役者さんたちのタイミングを感じながら呼吸をあわせて

演奏していくのは難しくて、なかなか自分自身で90点以上の得点は

採点することなんて出来なかったけど、その時間は私を確実に前に進ませてくれる。



エレクトーンの難しさも楽しさも全て乗り越えて、

今の私があるから。





史也君……私、ちゃんと貴方の夢追い続けてる。



1週間後、私は懐かしい街へと電車に乗って帰った。

帰宅中の私の携帯に着信が光る。



液晶に表示されるのは秋弦。


何珍しい。

そんなことを思いながら、通話ボタンを押す。



「もしもし、奏音か?」


「何?今電車で移動中なんだけど」


「げっ、俺……タイミングわりぃー。

 悪い。ゴメン。だったら切るな」


「って待ちなさいよ。用事あるんでしょ。いいなさいよ」


「今度、いつ帰ってくる?

 奏音に逢いたい。大田音楽教室で」


「音楽教室?秋弦まだあそこ通ってるの?」


「まっまぁな」


「大丈夫よ。今、私帰ってるもの。

 大田先生と誠記さんに呼ばれて。

 だからその時に、秋弦にも会えると思うから。

 じゃっ、後で」



口早に約束して電話を終える。


最寄り駅からまずは久しぶりの自宅に直行して、荷物だけ放り込むと

そのまま冷蔵庫の飲み物で喉を潤して、再び玄関の方へと向かう。



「あらっ?奏音、何処か出掛けるの?」


「お母さんゴメン。

 誠記さんと大田先生と待ち合わせなんだ。

 今から教室行ってくるよ」


「あらっ、忙しいのね。せっかく帰ってきたばかりなのに。

 お母さんが送ってあげるから、車に乗りなさい」




そう言って支度を済ませて二階から降りてきたお母さんの車に

私はゆっくりと乗り込む。


あの頃からずっと変わらない車内のサウンド。

エレクトーンの演奏。


「あっ、お母さんこれ木曜22時のドラマの主題歌じゃん。

 どうしたの?」


「あぁ、今度お母さんが演奏するのよ。

 だけど難しいでしょ。

 

 だから秋弦君に頼んでお手本をね。

 奏音は忙しいから何も手伝ってくれないでしょ」


「って、何よ。お母さん、その言い方。

 悪かったわね。


 だけど仕事で全国まわってたんだから仕方ないでしょ」



そんな言い方をしながら、

懐かしい音色に身を委ねる。




秋弦……アイツ、

何時の間にこんな演奏するようになったんだろう。


「ねぇ、奏音?

 奏音は秋弦君のことどう思ってるの?


 お母さんね……秋弦君だったら、奏音のことを任せられるって思ってる。

 秋弦君、奏音が居ない間もずっとお父さんやお母さんたちのこと気にかけてくれてたのよ」




秋弦……そんなことしてくれてたんだ。

私が居ない間。




勝手にそんなことしてって怒ることも出来たかもしれないけど、

だけど不思議なことに、秋弦のことを怒ることなんて出来なかった。


なんだか嬉しいって気持ちが湧き上がる。



そうこうしてる間に、お母さんの車は懐かしい音楽教室の駐車場へと駐車した。




「終わったら遅くなっても連絡しなさい。

 また迎えに来てあげるから」



そう言ってお母さんは私を駐車場におろして、再び車を走らせた。



深呼吸して、懐かしいドアに手をかける。




なんでだろう。

この場所にたってるだけで、こんなにもドキドキしてる。



あのバカが逢いたいなんて、急に電話もしてくるから。



深呼吸していっきにドアを開けると

「あら、珍しい。奏音ちゃん」っと懐かしい声が聞こえた。



「ご無沙汰しています」


美佳先生の声を受けて、私は挨拶を返す。



何時の間にか私の周囲には、

小さな子供たちが集まってくる。



「奏音って、あの奏音さん?」


「でしょー、秋弦先生いっつも言ってたもん。

 奏音の顔がエレクトーンのご本にのるたびに

 

 『よく見とけよ。コイツは、俺の女になる奴だからな』って。

 嘘だーって思ってたけど本当に来た」



ってアンタ、子供たちに何吹き込んでんのよ。 


でも……待って?

えっ、秋弦先生って何?


今、この子たち似合わなすぎること言った気がする。



戸惑ってる私に美佳先生は、「秋弦先生にお客様ですって、呼んできて」っと

ゆっくりと子供たちに促した。




「音大を卒業した後、秋弦君、この学校の先生として働いてくれてるの。


 奏音ちゃんも誠記君も巣立ってしまって、

 この教室を盛り上げてくれる人が皆居なくなっちゃったって思ってたんだけど

 秋弦君だけが帰ってきてくれたの。


 あの後、秋弦何回もコンクール挑戦して大学2年の時だったかしら?

 見事にグランプリに輝いたのよ」





そう言って、美佳先生は

私が知らないアイツの時間を教えてくれた。






ふいにレッスン室のドアが開く。





男っぽくなったアイツが

私の前に姿を見せる。





「よっ、奏音。

 呼び出して悪かった。


 活躍してるみたいじゃねぇか?」


「ねぇかって、知らないの?」


「知らないわけねぇだろ。

 俺はお前のなんでも知ってるからな」


「何それ?

 

 秋弦、アンタストーカーくさいから。

 その台詞」






久しぶりに再会したのに、

10年って言う年月を考えさせないで

私たちは、あの頃の様にじゃれあってた。







「なぁ、そろそろ一人旅終わらせて

 俺のところに帰って来いよ」






ふいに秋弦が真剣な顔して告げる。





はしゃいでた子供たちも

シーンと静まり返って

私たち二人へと視線が集まる。



「あぁ、秋弦先生が告白してるー。

 彼女だって言ってたのに嘘じゃん」


そうやって騒ぎたす子供たち。


困ったような顔をする秋弦。


仕方ない……助けてやるか……。

昔からの腐れ縁の幼馴染。



私から史也くんの存在を恋人候補から取り除いたら、

秋弦しか、本当は残ってなかった。

誠記さんも凄く優しかったけど……

あくまで、お兄ちゃんが居たらこんな感じかなって

そんな風にしか思えなかったから。





「秋弦、ただいま」




そうやって、アイツに向かって声をかけると、

アイツはいつもの調子で切り返した。





「あぁ、お帰り。


 まぁ、お前がそろそろ帰ってくるのは

 わかってたけどな」



そんな風に微笑みながら私の体を抱きしめた。




「よしっ、先生も奏音で充電した。

 んじゃ、久しぶりにミニコンサートやってみるか。


 お前ら、奏音の生演奏ただで聴けるぞ。

 勉強しろよ。


 そして先生に感謝しろよ」





なんてめちゃくちゃな会話をしながら、

子供もたちを一番大きなレッスン室へと連れて行く。



秋弦のペースにはめられて私は鞄から、

いつも持ち歩いてるデーターを手にして、

エレクトーンに読み込ませる。




「んじゃ、奏音。

 こいつらに聞かせてやってよ。


 お前が今も尊敬してるエレクトーンプレーヤー、

 蓮井史也の大切な曲。


 史也がお前にだけ編曲を許可して承認したあの曲を」



秋弦に言われて私は小さく頷いた。


何度も何度もいろんな曲を演奏したけれど、

この曲だけは、私の中で特別。


この曲をベースに幾つものレジストを作って

いろんなアレンジで演奏してきた。


だけど……あのコンクールで演奏した時のレジストで公の前で演奏したのは

あれっきり。



だけどあの時のレジストを今の私なら、封印を解けるかもしれない。



あの頃の想いをそっと昇華しながら。




シーンと静まり返った教室内、深呼吸してゆっくりと

鍵盤へと手を向ける。


ボタン操作をしてリズムシーケンスがスタートすると、

目を閉じて、その世界へと想いを馳せる。




史也君がお父さんの為に作った応援歌は私から史也君への応援歌でもあり、

今この曲を聴いてくれてる人達へと応援歌。


私が沢山支えて貰ったみたいに、この曲で私が誰かを支えられたら嬉しい。




史也君から受け継いだもの全てをこの一曲に委ねるように。




演奏を終えて、ゆっくりとエレクトーンから立ち上がって生徒たちにお辞儀をすると

教室内の生徒たちが沢山の拍手をくれる。




「ほらっ、お前たち。

 先生の生徒で良かっただろ。

 奏音、久しぶりにあれやらないか?」


「あれっ?」


「教室の生徒たちと一緒にリレー即興」


「いいわよ。

 だけどその前に、秋弦を試してあげる。

 音列即興なんてどう?」


「おいっ、お前たちちょっと先生、奏音に喧嘩売られたわ。

 売られた喧嘩は買わないといけないよな。

 リレー即興の前に、10分間くらい時間貰えるか?

 ちょっと奏音と一勝負させてくれ」



秋弦は教室の生徒たちにそうやって会話をふる。


何が喧嘩よ……ったく、変わんないんだから。



「先生ー、音列即興って何?」


「あぁ、音列即興わかんなかったかな。

 グレード試験で2級をとるようになったら、お前たちも勉強しないといけなくなるぞ。


 今からお前たちが、音を選んでくれ。

 とりあえず5つ。


 その5つの音をベースに、先生と奏音が即興で演奏して行くからな」



秋弦がそう言うと、生徒たちは何かを話し合って、5つの音符を声に出す。


「ファ」「シ」「ラ」「#ソ」「#ド」。



「よぉし、んじゃ奏音、お前からでいいよ」


秋弦にふられた私は、エレクトーンの音色ボタンとリズムボタンを触って

脳内に浮かび上がったイメージを形に作り上げていく。



まずはピアノのソロイメージで、メインフレーズを5つの音符の列を組み合わせて

作り上げると、そこからサックスやギター、ウッドベースをたして来て、Jazzテイストへと変化させて動きをつけていく。


体内時計のカウントも5分ちょっと前。

そろそろかなと、最後にはブラスの音色へと変化させて演奏を終える。


「やっぱ、奏音流石だなー。

 けど俺も負けねぇから。んじゃ、はじめるか」


そう言って指をくるくると回すと、秋弦もまた同じようにボタン操作して

演奏を始めてくる。


最初の音色は、宇宙を表現しているのか、ストリングス系の壮大な音色。

そこにリズムが加わって、少しずつ曲のイメージが変わってくる。


だけどそこに、誠記さんが得意とするリズム演奏が織り交ざってくる。

幾つかのリアルリズム演奏のパフォーマンスが入った後は、

再び壮大な演奏へと姿を変えていく。


そんな秋弦が5分を過ぎる頃に、私の方に視線を向けてくる。

その視線は挑発するように、一緒に入って来いよっていうメッセージもあって

私はボタンを操作して、秋弦の即興に寄り添うように自分の音色を重ねていく。


その後も約3分くらい秋弦とデュエット即興をして演奏を終える。



「先生、凄ーい」


「先生もっと頑張らなきゃ。

 奏音先生の方が上手かったよー」



などなと生徒たちの感想を聞いて、私も遠い昔を思い出す。

この教室に来たばかりの頃、史也君と誠記さんの演奏を聞いて胸が震えたみたいに。


「よし、それじゃお前たちも準備始めろ。

 今回のリレー即興は奏音にも入って貰うからな。

 んじゃ、今日は立花から左回りで、ラストが奏音ってことで宜しく。

 準備出来たところで、立花始めていいぞ」



秋弦が言うと、立花さんと呼ばれた女の子はトランペットをリードボイスに選んで

最初の二小節を演奏してくる。


トランペットのソロから、次の子がリズムを加えて発展。

そのメインメロディーをアレンジしながら、次々と世界が変わってくる世界。



秋弦の演奏の二つ前で、メインフレーズが転調していく。


転調をしてくるのは、秋弦あたりだと思ってたのに、あの男の子やるじゃない?

その転調を受けて、自分の中の音作りを変化させていく。


そして秋弦の演奏。

秋弦は案の定、リアルパーカッションへと繋いで、そのリアルパーカッションのリズムに私は乗っかるように即興をまとめていく。


あの頃の史也君がそうだったように、この全てのメロディーをしっかりとまとめて完成させるように。



15分ほどの演奏を終えると、生徒たちから沢山の拍手が湧き上がった。

私も教室の皆に、拍手を送る。




「お前たち、今日はいい感じで演奏してたな。

 中野君はもう少し、リズムを焦らずに選ぶのがいいな。

 例えば、このフレーズ。

 中野君の演奏はこうだっだろ。

 

 だげど、先生はこう言うアレンジの仕方もありだと思うんだ。

 可能性は一つじゃない。変化は無限大」



そう言いながら秋弦が演奏していたフレーズのコード進行で、

私はようやく一つの結論に辿り着く。



中野君の演奏、私の演奏スタイルに似てるんだ。



「奏音、お前もさ少し演奏してやってよ。

 中野君が演奏したこのフレーズ」


ふいにふられた秋弦の言葉に、私はアイツが伝えようとしてる意味を受けて

演奏する。



一番私らしいスタイルでの演奏。

そして大好きな史也君を追いかける意味でのアレンジ。




「あれっ……。

 奏音さんと同じように演奏したのにどうして?」



中野君は戸惑うような表情を見せる。



「中野君って言った?

 私も昔は同じだったんだよ。


 私も大好きな演奏者のイメージから、

自分のプレイが抜け出せなかったの。



私が尊敬してるエレクトーンプレイヤーの一人に蓮井史也って言う人がいてね。

史也君に出逢ったからエレクトーンを知って、今の未来がある。


 中野君が私の演奏を好きだって思ってくれるのは、さっきの演奏で凄く伝わってきたよ。

 だけど中野君は中野君で、私は私なの。


 中野君が知ってる私だけが、私の演奏じゃなくて、さっきみたいな演奏も私は出来る。

 さっきの演奏も私の一部で、中野君が演奏したような癖を持つ私も私の演奏。


 真似っ子は成長するためには大切なことだと思うから、吸収できるものはどんどんすればいいと思う。

 だけど、真似っ子で終わらせないで。

 

 その中に自分らしさのエッセンスを盛り込んでほしいの。 

 頑張ってみて」



泣きそうな顔になってた中野君はそう告げた私の後に、

まだぎこちない笑顔を見せて頷いた。



 

一時間の教室の後、生徒たちを見送って久しぶりに秋弦との時間を過ごす。




アイツが淹れた珈琲を飲みながら、マジマジと秋弦を見る私。



「なんだよ。奏音」


「別になんでもない。

 ただ久しぶりだなって思っただけ」


「なぁ奏音。アイツに史也に逢いに行かないのか?」



 

秋弦の言葉に視線を遠くに向ける。



何時かはもう一度あって、今の私を見て欲しい。  

だけど同時に会うのは凄く怖くて不安。




「行きたいけど……行けないよ」



そう言ったのと同時に、ドアが開いて誠記さんが姿を見せる。




「おぉ、お二人さん久しぶり。

 大田先生は?」


「ご無沙汰してます。誠記さん。大田先生も美佳先生も今レッスン中で。

 今、珈琲いれます」



そう言うと秋弦はソファーから立ち上がって、すぐに誠記さんの珈琲をテーブルへと用意する。



「おっ、サンキュー。

 それよりさっき、史也がどうこうって話してたよな。


 明日、俺はアイツの様子見に顔出す予定だけどお前たちも来る?」



誠記さんの突然の言葉に私は思考がフリーズする。




「俺、行きたいです。

 アイツに次の新曲の感想貰いたいんですよね。

 誠記さんも後で、率直な感想教えてくださいよ」


「んじゃ、明日決定だな。

 8時半から9時の間に、多分アイツと会えるだろうから

 その頃に鷹宮の教会で」



トントンと話が進んで、私も明日秋弦と誠記さんと一緒に鷹宮に行くことになってしまった。



その後は、大田先生との打ち合わせも、誠記さんとの打ち合わせも身が入らない。

ミーティングを終えて教室を後にすると、秋弦と初めて居酒屋に立ち寄る。


晩御飯も兼ねてお酒や食事を終えた頃にはちょっぴりほろ酔い気分。


火照った体を覚ますように、街の中をぶらぶらと歩く。

無意識に辿り付いた場所は、史也君や誠記さんたちが暮らすマンションの前。




「ってお前さ……逢いたいなら素直になれよ」


「逢いたいも逢いたくないもどっちもなのよ。

 だけど……史也君を感じられる場所は懐かしい」


「俺はとっとと、ケジメつけて俺んとこに来てほしいんだけど。

 俺は今も奏音が好きだ」


「うん。知ってる。

 私が家のいない間も、うちのお母さんがいろいろ面倒かけてたってことも知ってる」


「おばさん……そんなことまで話したのかよ」



そう言いながら秋弦は照れたように、そっぽ向いて髪をかく。



「だったらお前は何を迷ってんだよ。

 教室で行ったじゃん。生徒たちの前で、ただいまってさ。

 それじゃダメなのかよ?」



そう言ってくれた秋弦の優しさ。

だけどなかなかその胸に飛び込めない。



「秋弦、有難う。

 今日はもう帰るよ」



そう言うと、秋弦は逃げようとする私を捕まえるように

タクシーをとめて、二人で乗り込む。



「家まで送る。

 運転手さん、とりあえず前園2丁目の交差点まで」



そう言うとタクシーの中、無言が広がる。


車窓から流れる景色を見つめながら、 

私は目を閉じる。



私は秋弦が好き?



好きか嫌いかと言われたら多分好きなのだと思う。


だけど勝手なことばかりして、秋弦に縋るなんて

アイツを利用してるみたいで受け入れられない。




「ほらっ、奏音自宅についたぞ。

 んじゃ、明日の朝、車で迎えに行くから。

 寝坊すんなよ」




そう言うと私がタクシーを降りて玄関に入ったタイミングで、

アイツを乗せたタクシーが動き始めた。



久しぶりに自室のベッドに体を伸ばす。



「奏音、久しぶりに皆にあった感想はどうだった?

 明日はゆっくりできるの?」


「ごめん。

 明日、秋弦と朝から出掛けてくる」


「あらっ、秋弦君と?」


「うん……だけど、デートじゃないから。

 誠記さんも一緒。史也君に逢いに行くの」


「史也君……。


 そう……そうだったわね。あれから一度も会ってなかったわね。

 大田先生と美佳先生の結婚式にも、奏音は顔を出さなかったものね。

 単位落としそうだからって。


 そろそろ……潮時なのかもしれないわ。

 行ってらっしゃい。


 お風呂入って、ゆっくりと疲れを取ってから休むのよ」



そう言ってお母さんは部屋を出ていった。



自室のエレクトーンに手を伸ばす。

10年も経つと、あの時お母さんとお父さんに購入して貰ったエレクトーンは

古い機種になってしまって、今のような性能はなくなってしまってるけど

それでも……そっと蓋をあけて手を伸ばす。



輝き続けた、走り続けた時間がこの中にあるから。



翌日、秋弦が迎えに来た車に乗り込んで

私は史也君がいるらしい鷹宮総合病院へと向かった。


病院と教会が一緒になっているらしいその場所は、

まだ早い時間だと言うのに、庭には沢山の人が姿を見せていた。




飴色の重厚な扉が内側からゆっくりと開かれると、

一斉に庭に居た人が中へと入っていく。



するとその部屋の中から、パイプオルガンの音色が広がってくる。




「ねぇ、あれって……」



そのパイプオルガンの柔らかな音色は、

凄く懐かしくて……。



「俺の方が少し遅くなったかな。

 おはよう、奏音ちゃん秋弦。


 とりあえず、前の方に行こうか」



そう言って誠記さんが私たちをリードするように前の方へと歩いて座る。



教会内を包み込むのは、バッヘルベルのカノン。



4つの鍵盤と足鍵盤。


その正面で楽器と向き合うように対峙する横顔は、

懐かしい面影を感じさせるその人。 



カノンから始まって、何曲かの演奏を終えると

史也君はゆっくりと立ち上がってお辞儀をする。




「史也」



教会から出て内側の扉から更に中へ行こうとする史也君に

誠記さんが声をかける。



「誠記、秋弦……それに……奏音……」


「腕は鈍ってないようだな。医者になっても」


「趣味程度には。

 それより今日はどうしたの?」


「奏音が帰ってきたから連れてきた。

 今度、大田先生と3人で演奏するんだよ。

 その打ち合わせもあってさ。

 んで久しぶりに、お前にあわせたくて連れてきた」 

 


誠記さんはそう言うけど私的には、

どうしていいかわからない?。


どんな顔して、史也君の前に立てばいいの?



「あっ、誠記さんちょっと飲み物買いに行きません?

 喉乾いちゃって」


「そうだな」




こんな時ばっか、傍に居て欲しい秋弦と誠記さんは早々に

退散してしまう。




「奏音、久しぶり」


「はい……」


「10年間ずっと見てた。

 上手くなったよな」


「上手くなったのかな?必死に走り続けてて、

 自分の演奏がわかんなくなって、またもがいて走り続けて。


 ずっとそれの繰り返しでした。

 だけど……史也君がずっと支えてくれてたから。


 ずっと手を差し伸べてくれてたからこの世界を走り続けられたのかもしれない」


「俺も見守ってた。

 だけど……俺以上に見守ってたのは、誰かわかってるんだろう?」



史也君の言葉に素直に頷く。



「俺は奏音に幸せになって欲しいよ。

 ウェディングドレス着る時は、俺にも知らせろよ。

 祝福してやるよ」


そう言うと史也君は、PHSのコールに呼び出されたのか

慌てて駆け出して行った。




「蓮井先生の知り合いですか?」



一人残された私に声をかけてくるのは、

柔らかい表情のご婦人。



「はいっ。

 久しぶりに史也君の演奏が聴けて幸せでした」


「あらっ、貴方……もしかして奏音さん?

 先日、ミュージカルでお見かけしたわ。


 そう……奏音さんは、蓮井先生のお友達だったのね。

 パイプオルガンは触ったことあるかしら?


 簡単な楽譜なんだけど、演奏して頂けないかしら?

 演奏してくれるはずの人が呼び出しでまだ来れないみたいで」




そう言うと、その人に手渡された楽譜を手に

私はなぜかパイプオルガンの前に座る。



鍵盤が4段。

何処を使うんだろう。



そんな素朴な疑問も感じながら、

下段2つの鍵盤に手を乗せて、ゆっくりと演奏を始める。



部屋中を包み込むような重厚な音色に、

重なるように響いていく、美しい歌声。



透き通るような声に、心地よい倍音の調べ。




その声は私に涙を流させる。


だけど……演奏を終えた後の私は、何故か凄くすっきりしていた。






「奏音、行こうか?

 誠記さんは用事があるみたいで先に帰ったよ」




パイプオルガンから立ち上がって、

ボーっとしたまま椅子に座ってた私に声をかける秋弦。





「ねぇ、秋弦。

 久しぶりに一緒に過ごそうか……今日の予定は?」


「予定なんて都合つけるさ。

 今日は教室もないしな」




鷹宮の教会を後にした私たちは、その日、映画を見たり買い物をしたり

久しぶりにゆっくりとデートらしいことをした。



そしてディナー。

何時の間に予約したのか、秋弦にしては高級そうなお店。




フランス料理が少しずつ出される中、

私たちはゆっくりと時間を過ごす。




食事が終わった後、珈琲を飲みながら過ごす私に

秋弦は紙袋をそっとテーブルに乗せた。


「何?」


「開けてみなよ」




そう言って手渡された紙袋の中身は、小さなアクセサリーケース。


そのケースを取り出してゆっくりと蓋を開けると、

その中から指輪が見つかる。



「俺はずっと奏音を待ってた。

 この10年ずっと。結婚しようよ」



秋弦のストレートな想いに、私はゆっくりと頷くと

アイツはぎこちない手つきで、私の薬指に指輪を差し込んだ。






アイツの10年。

私の10年。





擦れ違い続けた時間はもう一度交わる瞬間。






「どうぞ、蓮井さまよりお祝いのお花が届いています」




そんなタイミングですかさず、

薔薇の花束を届けてくれたウェイター。




「またやられたよ。


 この店も、史也が予約してくれてたんだ。

 知り合いの店らしくてさ。

 

 チクショー、面白くねぇー。

 何もかもお見通しかよ」



秋弦は私の隣で、ぶつくさ文句ばっかり。



花束の中に小さな封筒が差し込まれていて、

その封筒を手にしてカードを取り出す。



カードは二枚。




『奏音、幸せに』





綴られる史也君の文字。




もう1枚には



『秋弦、奏音を任せた。

 泣かせるなよ』





秋弦宛のカードを突きつけるように、手渡すと

アイツは頭を抱えなから溜息を吐き出した。








懐かしいような寂しいような想いは浄化して

今は真っ直ぐに目の前の秋弦と向き合おう。




私の全てを受け止めてくれる、

秋弦と一緒に、10年の時を経て大きく動き出す止まっていた時間。




そんな思いを全て込めて、Take off。



羽ばたく時間の向こうへ。

秋弦と奏でる未来協奏曲。






the end


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る