第32話 友達
「お昼、一緒に食べてもいい?」
今すぐ友達に戻るのは難しいって言ったはずなのに、別れたばかりの元カノが何食わぬ顔で『ご飯食べよ?』って言ってくるの恐怖すぎるな。
まぁ、その女私なんだけど。
「え? だが……君は、その……」
あはは、分かりやすく困っちゃってるなぁ……文のこと気にしてる? でも、断れないよね。
普通の人だったら昨日の今日で断られるとは思うけど……。
琴音は優しいし、私の悲しむ顔、見たくないもんね?
「駄目……かな?」
おずおずと、悲哀たっぷりに上目遣いでアピールした。
こんなあざとい台詞をあざとい仕草で言うことになるとは。……似合わないなぁ。
考えたら負けだ……琴音、ニヤけてるし。本気で友達に戻る気あるのかな?
「……わたしは……構わない、が……」
「ほんと!?」
大袈裟に喜んで、琴音の肩に手をかける。
かかとを上げてグッと背伸びし、拳ひとつ分ぐらいまで顔を近づけ、
「あっ……ごめん……友達、だもんね。……お弁当、取ってくるね」
唇が触れ合いそうになる瞬間、顔を逸らして踵を返す。
何かを言いかけた琴音を無視して、空き教室を出た。
あれってやっぱり……期待してたよね。キスされるって分かってたはずなのに拒む素振りすら見せず、私の腰に手を当てようとしてた。
意思が弱すぎて可愛いなぁ……あのままキスしてたとしてもなしくずし的に恋人に戻れてたかも?
だけど、金輪際私から離れようとするなんて馬鹿な気を起こさないように、琴音が誰のものか教えてあげなくちゃいけないし……。
「仲直り、できた?」
うんうんと唸りながら自分の教室へ向かっていると、文が横からすっと合流しながら声を掛けてきた。
足を止めずに会話を続ける。
「友達に戻りたいって。文が何かしてくれたの?」
「ちょっとお話しただけだよ。コト、ずっと気にしてるみたいだったし」
「放っておいたら私を独り占めできたかもしれないのに。よかったの?」
「……諦める気なんてないでしょ。もしあたしがコトから離れたら、諦めるの?」
文が私から離れる?
恋人になる前から私にベッタリの文が? 友達は嫌、別れたくないってギャン泣きしてた文が? ありえなさすぎて笑ってしまう。
「あっ! なんで笑ってるの!? あたし、メチャクチャモテるんだからね!」
「ふふっ……知ってるよ。文は世界で一番可愛いから。捨てられないように頑張らなきゃね」
文の手を引きながら教室を素通りして、人気のない、階段の裏へと連れ込む。
壁に文を押し付けて顔を見上げると、早速期待の籠もった眼差しで私を見ていた。
毎度誘い方が子供っぽいけど、乗ってしまう私も私だな。嫉妬を煽ろうとしてるのがバレバレだし、私のこと大好きなのが全面に出てて一ミリたりとも不安にならない。
「さっきの話だけど……もし文が私から逃げたら、地の果てまで追いかけるよ。死んでも離さないから」
「……えへへ……騙されないよ? 言葉だけじゃ……信用できない……」
「どうしたら信じてくれる?」
「……分かってるクセに。コト、だんだん意地悪になってる」
恋人になってからの文は、今まで見せてくれなかった恥じらいだとか、奥ゆかしい部分を見せてくれるようになった。
いちいち反応が可愛いから、もっといろんな顔が見たくなってしまう。
つまり、私が意地悪になったわけではなくて文が可愛すぎるのがいけないんだ。
「言ってくれないと分からないなぁ。お昼ごはん、琴音と食べる約束したから早く戻らないと……ん……」
文が私を嫉妬させようとする気持ちが分かる。
琴音に嫉妬して、誰にも渡さないと言うように唇を重ねてきた文は死ぬほど可愛かった。
「好きだよ文……好き、好き……んぅ……れぇ……」
「コト……コト……えへへ……」
手を絡ませて、視線を絡ませて、舌を絡ませる。
誰かに見つかってしまったら言い訳のしようもないほど密着し、雨音とは別の、粘度の高い水音が響いていく。
ともすれば時間を忘れて、貪っていただろうけれど……待たせすぎると琴音が勘付いて傷付いちゃうし、自重しておこう。
体を離すと、文は面白いぐらいにオロオロしだした。
「え、なんで? もっとちゅーしよ? あたし、さみしくて浮気しちゃうよ?」
「学校終わったら、一緒にピアス開けよっか?」
「やった! 約束だよ! 絶対だからね!」
雑な駆け引きをスルーして思いっきり話を逸らすと、数秒前の発言を忘れたのか、見え見えのエサに目を輝かせて飛びついてきた。
チョロすぎて悪い人にころっと騙されそうだな……一生私が傍にいてあげないと。
……ん? 私が悪い人なのか? ま、良い人でないことは確かだが。
「うん、約束。続きは帰ってから、ね?」
「……ん。あたしも一緒だと川崎さん、まだつらいだろうし」
「ありがと。じゃあ、行ってくるね」
ちゅっと軽く口づけしてから文とわかれ、本来の目的を果たすべくお弁当を取り、琴音が待つ空き教室へと急いだ。
「ごめん、待たせちゃったね。……琴音?」
私の顔を見るなりパッと顔を明るくさせて、口を開きかけた琴音が、何かに気づいたように一転して口を真一文字に結んだ。
「……すまない。今日は……やめにしよう」
「どうしたの? 私、何かしちゃった?」
十分も経っていないはずだけど……。
「あまり食欲がないんだ……君が何かをしたというわけではないよ」
「嘘つかないで。待たせたのは悪かったけど……そこじゃないんでしょ?」
「君のせいではないと言っているだろう……気にしないでくれ」
どうして言い渋るの?
仲直りしたのに、いきなり態度を変えるなんて琴音らしくもない。
「琴音、ちゃんと話して。お願い」
琴音は数秒の沈黙の後、恨みがましい声とともに口を割った。
「……色付きのリップクリームなどという小洒落た物を持っていたんだね」
……しまった。文のリップが移ってたんだ……。
「……乾燥すると、唇切れちゃって痛いから」
「先程まではしていなかったのに? これだけ雨が降っていて湿った空気でも、君がそこまで手入れを欠かさない女の子だとは思わなかったよ」
刺々しい口調で、チクチクと私を責めてくる。
私が何をしていたのか分かっているのに、知らないフリをして怒っている。
「私の知っている言乃葉は化粧っ気がなくて――」
「文とキスしてたから遅れちゃったんだ。ごめんね?」
捲し立てる琴音の言葉を遮って、開き直った。
そんなに傷付きたいのなら、望み通り傷付けてあげる。
「友達を待たせるのは悪いなって思ったけど、恋人からキスしてっておねだりされたら無視できなくてさ」
「……初めからそう言えばよかったじゃないか」
「言えると思う? 琴音、今自分がどんな顔してるか分かってて言ってるの?」
友達になりたいだなんて強がって。
私を諦められないなら離れるしかないのに、突き放すほどの強さもない。
「もういい……正直に言うね。友達に戻るなんて無理。私は琴音を愛してるの」
「……っわたしは! 友達に戻りたいんだ!」
「ほら、それ。落ち込んだかと思えば嬉しそうにして。それで隠してるつもり?」
全然駄目だよ。
私も二人に見抜かれてたから人のこと言えないんだけど。
「こんな思いをしたくないからわたしは……」
私から目を逸らして、歯がゆそうに拳をグッと握りしめた。
「私が友達として傍にいたら、嫉妬しなくなるの? そうじゃないでしょ? 琴音は私を愛してるんだから、自分の気持ちに嘘ついても苦しいだけだよ」
「……すごい自信だね。以前の君とは大違いじゃないか」
変えたのは琴音だよ。
内気で弱いままの私じゃ、欲しいものが手に入らないって気付いたんだ。
「お弁当を取りに戻る前、キスされるって分かってたよね? どうして拒まなかったの? 私が文とキスしたことに気付いたとき、どうしてつらそうな顔したの? 琴音を愛してるって言ったとき、どうして嬉しそうな顔したの? ねぇ、どうして?」
「今すぐに忘れることはできないと言ったはずだ。だから友達に戻るために――」
「嫌。無理。私、絶対友達になんか戻らないから」
こう言われたらどう返すの? 琴音が友達に戻りたくても、一方的な気持ちじゃ無理だよね?
「わたしも、君と恋人には戻れない」
一歩も引かない、と私の目を見て、堂々と言い切った。
昨日のような弱々しく壊れそうな姿じゃなく、いつもの凛とした格好良い姿で。
流石私の琴音だ。一本筋が通っている。
私がこれだけ言っても分かってくれないのは正直予想外だったけど……いいよ。その自分を守るための強固な仮面を引っ剥がしてやる。
私を愛してるくせに傷付きたくないから友達に戻る? できるものならやってみせてよ。
「……平行線だね」
「……ああ」
「一つ、お願いがあるんだけど……聞いてくれる?」
「……恋人には戻らないよ」
「ふふっ……何回も言わなくても分かってるって。もう私からよりを戻してとは言わない。どうせ言っても聞いてくれないんでしょ? 琴音がここまで強情だとは思わなかった」
すぐに音を上げると思ってたよ。
悔しいなぁ……琴音の口からよりを戻してくれって言わせてやる。
琴音みたいに『虜にする自信がある』なんて格好良い台詞は言えないけれど、琴音が私を愛していることだけは信じられる。
だから、これは私の意地だ。
「……琴音。一度だけ、私にチャンスを頂戴。私と期間限定で、友達になってよ。琴音の気持ちが変わらなかったら諦める。約束する」
「……友達? 恋人ではなく?」
疑問はもっともだけど、少し考えれば理解できるはずだよ。
以前までの内気だった
「琴音は私と友達に戻りたかったんでしょ? 願ったり叶ったりじゃん」
「……期間限定で友達になって、その後また友達に……? すまない……言っている意味がよく分からないんだが……」
琴音に負けないほどの、凛然とした態度で慎ましい胸を張る。
「『私からよりを戻してとは言わない』って言ったよね。もっと優しく噛み砕いて、分かりやすいように言ってあげないと、頭の固い琴音には伝わらないかな?」
「……ふふっ……いいだろう。受けて立つよ」
挑発すると、琴音は眉をピクピクとひくつかせながら、ぎこちない笑顔を作った。
後悔しても遅いからね。
ズタボロになるまで傷付けてあげる。
寝ても覚めても私のことしか考えられなくなるぐらい、私で頭の中をいっぱいにしてあげる。壊れそうになったら優しく慰めてあげる。ごめんねって言いながら何度もキスして癒やしてあげる。
「期間は体育祭まで。二週間もないけど……丁度いいハンデかな? たったの一日で私とキスしようとした弱っちい女の子相手には」
「ふふ……ふふふっ……随分と舐められたものだ……。言乃葉こそ、ハンカチを常に携帯しておくといい。泣き腫らしても、わたしは拭ってあげられないからね」
言い回しが小物っぽいなぁ……レッサーパンダの威嚇かな? ただ可愛いだけなんだけど。
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