第2話 早朝の意味

 

 

 数日後。

 俺は早速バスに乗り込み、浅野川高等学校へ向かう。


 浅野川高等学校。

 そこは、学業や部活動でトップクラスの成績を誇るエリートたちが集まる学校だ。


 創設されたのはわずか五年前。

 「世界一の頭脳を持つ生徒を育てたい」という私欲のもと、浅野川勇海(あさのかわ いさみ)という人物がクラウドファンディングを募り、設立した。


 新設校だけあって、外観は非常に美しい。

 透き通るガラス張りの校舎が、まるで巨大なショッピングモールのように連なり、その洗練された造りが印象的だった。


 ここで生徒たちは三年間生活し、研鑽を積んでいくのだ。


 ***


 窓の外を流れる街並みをぼんやりと眺めながら、学校までの時間を過ごす。


 バスの座席には、俺と同じ制服を着た生徒たちが並んでいた。

 隣に座る少女の胸元には「雪美祢ゆきみね」と書かれた名札がついている。おそらく彼女の名前なのだろう。


 車内を見渡すと、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。

 本を読む者、勉強に励む者、友人と談笑する者、ゲームに夢中になっている者、静かに眠る者――。


 千差万別。


 とはいえ、俺は特に人と話すのが得意なわけではない。

 隣の雪美祢に声をかけることもなく、ただバスが目的地に着くのを待った。


 ***


 バスが学校に到着したのは、それから一時間後。


 俺の住む香川県伊沢市は人口が少なく、いわゆる田舎に分類される。そのせいで、学校までの道のりは長い。


 バスを降りると、すぐに校門へと足を向ける。


 門自体は特に特徴のない普通のものだったが――中へ入った瞬間、目に飛び込んできたのは上級生たちの大群だった。


『こちら、生態学研究会でーす!』

『俺たちはテニス部だ! 興味がある人は集まってくれ!』

『吹奏楽部でーす! 入部希望の方はこちらの列に並んでください!』


 どうやら、部活勧誘のために校門付近で待ち構えているらしい。


 そういえば、つい最近、浅野川高等学校の生徒がオリンピックに出場したというニュースを見た。やはり、この学校には全国レベルの実力を持つ生徒が集まっているのだろう。


 そんな人間たちと出会う機会があるのなら、それだけでも少し楽しみだ。


 とはいえ、俺自身は部活に入るつもりはない。

 勧誘の声を聞き流しながら、案内された玄関口へと向かう。


 まずは、クラス分けを確認しなければ。


 掲示板に貼られた名簿の中から自分の名前を探し、記された教室へと足を進めた。


「……」


 教室のドアを開けると、すでに多くの生徒が席についていた。


(出遅れたか?)


一瞬そう思ったが、時計を見るとまだ7時半。始業は8時15分なので、遅れているわけではない。むしろ、他の生徒が早すぎるのだろう。登校初日だから、遅刻しないようにと気を引き締めた結果かもしれない。


ざわめく教室を抜け、黒板に書かれた生徒番号を確認しながら自分の席に座る。



席についたものの、やることがない。特に話す相手もいないので、本を取り出して時間を潰すことにする。


俺の中学からこの学校に進学したのは俺だけだった。だから当然、知り合いはいない。友人と雑談するわけにもいかず、こうして読書でもするしかないのだ。


本に目を落としてしばらくすると、正面の席の女子生徒がふいに振り向いた。


「……ねえ、それ、この前テレビで紹介されてた本だよね?」


 興味深げな表情で話しかけてくる。


「そうだが……どうかしたのか?」

「……あ、いや、ごめんね! いきなり話しかけちゃって、びっくりしたよね?」


 彼女は慌てた様子で両手を横に振った。初対面なのに突然話しかけたことを気にしているらしい。


「別に構わないよ。むしろ、話しかけてくれて感謝してる。この学校には知り合いがいないからな」

「え? 中学が一緒の人とか、いないの?」

「ああ。俺の中学はここから少し離れた場所にあったからな。ほとんどの奴は近くの高校に進学したんだ」

「…そっか。それならよかった」

「よかった?」

「あ、いや! 別に、友達がいないことを喜んでるわけじゃなくて……! その……僕も同じだから」


 彼女はバツが悪そうにしながらも、小さく笑った。


「僕の中学はもともと生徒の数が少なくてね、ここに来たのは僕だけだったんだ」


 なるほど、似た境遇らしい。俺が怒っていないとわかると、彼女はホッとしたように微笑んだ。


 ……かわいい。


 ふと、そんな考えがよぎる。


 白髪に青い瞳。日本では珍しい特徴のせいもあるだろうが、何より彼女の柔らかい表情が、どこか優しくて印象的だった。中学にはいなかったタイプの可愛らしい女子生徒だ。もし俺が恋愛に興味がある人間だったら、今ので惚れていたかもしれない。


「じゃあ、せっかくだし少し話そうよ! 僕、君と仲良くなりたいな」

「そうだな。俺でよければ、よろしく頼む」


 俺はもともと人付き合いは得意なほうで、友人の数もそれなりに多かった。だが、この学校ではまた一から人間関係を築かなければならない。いわゆるコミュニケーション能力が試される場面というやつだ。


 それを考えると、向こうから話しかけてくれた彼女には感謝すべきだろう。


 始業までの間、俺たちはしばらく雑談を続けた。


 話していてわかったのは、彼女ーー篠原涼香しのはら りょうかのことだ。


 彼女の名前は篠原涼香。誕生日は4月1日で、5月7日が誕生日の俺とは一ヶ月違いになる。

 彼女は元々ここから一番近くの中学校である呉坂中学校という中学に通っていたそうだ。

 そこは1クラス二十人ほどしか生徒がおらず全学年を入れても150人しか在籍していない学校らしい。

 人が少ない学校ということで俺も過去に耳にしたことはあるが、思ったよりも少ないその生徒数に正直驚きを隠せなかった。


「本当に生徒がいなかったんだな」

「まあ、その代わりクラスのみんなとはすごく仲が良くて、遊ぶ時はいつもクラス単位で遊んでたから楽しかったよ」


 彼女にとってクラスメイトというのは全員が全員面識があり、同じ時を過ごす仲間だったようだ。

 たしかに生徒数が少ないとそういうこともあるのだろう。

 その話をしている彼女はとても楽しそうで、聞いているだけでも暖かい気持ちになる。

 

 最悪、読心術を使って少しだけ彼女の気持ちを読み取ろうとしていた自分が恥ずかしくなった。


「にしても、寂しくなるな。ずっと一緒だった同級生がこの学校に誰一人進学しないっていうのは」

「まあね。でも仕方ないよ。元々偏差値の低い学校だったんし、みんなテストじゃいつも半分も取れてなかったんだ。……先生もそのことについていつも頭を悩ませてたしね。一応、テスト前はみんなで勉強会とかしてたんだけど……」

「それでもダメだったのか」

「……うん」


 彼女は苦笑しながら頷く。

 とは言え、俺はそれを聞いて改めて彼女の凄さに驚かされた。

 彼女の学校は偏差値が低い。それは言い換えれば彼女は偏差値の低い学校からこの学校に進学してきたということだ。

 それだけ彼女は努力家なのだろう。


「すごいな」

「え? 何か言った?」

「なんでもない」

 

 俺よりも努力した人間。俺よりもすごい人間。

 尊敬すべき人物リストに、篠原涼香の名前を加えておいた。



 そんな風に話していると、教室のドアが開いた。

 入ってきたのは黒いスーツを身にまとった教師だった。


「さて、始業時間だ。全員、席につけ。朝のホームルームを始めるぞ」


 教師の一言で、ざわついていた教室が静まる。


「始まるみたいだね。じゃあ話の続きはあとで。今日は学校説明だけみたいだよ」

「そうだな」


 登校初日ということもあり、今日あるのは主に授業の説明や校舎の案内、学校の規則などの基本的な話だけだ。


 これは合格通知と一緒に送られてきたパンフレットにも書かれていた。


 俺は教卓に立つ教師に視線を向け、話に耳を傾けることにした。

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