二章 あたしが肉食獣になるなんて……

 月が輝き、星たちが踊る夜の空。

 草木も眠り、虫たちも鳴くのをやめる丑三つ時。

 朝陽あさひは全裸のまま、夕顔ゆうがおの部屋にいた。

 ナイトランプの柔らかい灯りが室内を静かに包むなか、夕顔ゆうがおのベッドの上に足を伸ばして座っている。足元にだけシーツをかけ、上半身はむき出しのまま。自分的にはやや物足りないサイズの胸も淡い灯りのなかにさらけ出している。

 朝陽あさひのすぐ隣にはやはり、全裸の夕顔ゆうがおが寝そべっていて健やかな寝息を立てている。その表情はまるで母親の隣でスヤスヤと眠る赤ん坊のよう。すっかり安心しきった幸せそのものの表情。ナイトランプの淡い灯りに照らされるその寝顔がなんともかわいらしく愛らしい。

 そんな夕顔ゆうがおが隣で寝ているなか、ベッドの上で上半身だけ起こしている朝陽あさひは布一枚、身につけていないまま表情を曇らせている。

 ――また、食われてしまった。

 あはは、と、力なく笑ってしまう。

 夕顔ゆうがおのような絶世の美女子に毎日まいにち密着され、甘い吐息とともに『きれい、かわいい、好き、愛してる』と言われつづけてほだされない女子などいるはずもない。朝陽あさひ夕顔ゆうがおの執拗な猛攻に陥落し、ベッドを共にしてしまった。その日以来、一日も欠かすことなくむさぼり食われている。

 おかげで、一年前に自分用に買ったベッドなどほとんど使っていない。そもそも、自分の部屋にいること自体が少ない。家事と学業に追われて自分の時間などほとんどないので当然、自分の部屋にいる理由もない。そして、夜はと言えばこの通り、夕顔ゆうがおに誘われ、

 愛してる、

 愛してる、

 愛してる!

 と、ばかりにロックのごとく愛情をぶつけられる。

 そんな毎日。

 自分の部屋にいるより、夕顔ゆうがおの部屋でともに過ごす時間の方が圧倒的に長いのだった。

 いや、別にそれがいやなのではない。朝陽あさひも女子。こうもはっきりと愛情をぶつけられればやはり、嬉しい。問題なのは行為の最中、朝陽あさひのほうも夕顔ゆうがおに負けず劣らず相手をむさぼる肉食獣になってしまうことで……。

 ――だって、しかたないでしょおっ!

 朝陽あさひは心に叫んだ。恥ずかしさのあまり真っ赤になって、両手で顔を覆ってしまう。

 控えめなナイトランプだけが照らし出す夜の世界でよかった。そうでなければ茹でダコのように真っ赤になった顔が光のなかにはっきり示されているところだ。

 ――夕顔ゆうがおの体ってメッチャ気持ちいいんだもん! 柔らかくて、弾力があって、あったかくて、スベスベしてて……そりゃあ、いくらでも舐めたり、揉んだり、さすったりしちゃうってもんでしょうがあっ!

 果たして誰に向かって言い訳しているのか。必死にそう叫ぶ朝陽あさひであった。

 この世界で目覚めるまで、男女及びそれ以外を含めて恋愛経験は一切なし。食い食われるの関係はおろか、キスの経験もなし。せいぜい、女友だち相手のハグが身体接触経験の頂点。まして、男子相手ともなれば肌と肌をふれあわせたのは中学時代のフォークダンスが最後。それ以外は手を握ったこともない。

 そんな自分がまさかいきなり、食い食われるの関係になってしまうとは。しかも、相手に食われるだけならともかく、自分の方まで負けず劣らずの肉食獣になってしまうとは……。

 それも、七つも年上のおとな女子相手に。

 それもそれも、ネットに水着姿をあげるだけでいくらでも稼げる美女子相手に。

 それもそれもそれも、妹の夕陽ゆうひ玄孫やしゃご相手に!

 これも『近親相姦』というやつになるのだろうか? だとすると、問題。まあ、さすがに、妹の玄孫やしゃごとあっては『近親』とは言えない気がするのだけれど。

 「……でも」

 朝陽あさひは呟いた。夕顔ゆうがおを見た。自分のすぐ隣でスヤスヤと眠る妹そっくりの美女子を。

 安心しきった赤ん坊のようなその表情。一〇〇年前、人工冬眠に入る前の自分のベッドによくもぐり込んできていた夕陽ゆうひにそっくり。こうして、眠っている姿を見ていると本当に、一〇年早く成長した妹と一緒にいるような気になってくる。

 朝陽あさひはそっと手を伸ばした。夕顔ゆうがおの頬にふれた。柔らかくて、あったかくて、スベスベしていて、とても気持ちいい。まるで、最高級のシルクのようななめらかさ。そこに、ほのかな温もりが加わるのだからもうたまらない。

 ――ずっと、さわっていたい。

 誰であれ、そう思うような心地良さ。

 才能だけではない。努力だけでもない。持って生まれた才能を不断の努力によって磨きあげた。その結果のこの美貌。この心地良さ。

 ――全部、あたしのためなのよね。

 最高の姿で自分を出迎えるために、自分と一緒に暮らしていくために、夕顔ゆうがおはそこまで自分を磨いてきたのだ。そう思うと夕顔ゆうがおに対するたまらない愛おしさが込みあげてくる。

 ――この一年、夕顔ゆうがおに振りまわされて困ることもあったけど……でも、そのおかげで一〇〇年以上、先の未来に来たっていうのに寂しさとか、とまどいとか、そんなものは一切、感じずにいられたのよね。

 夕顔ゆうがおのペースに巻き込まれて振りまわされてきたおかげで、一〇〇年以上先の未来に来たことへのとまどいとか、知り合いが全員、鬼籍に入ってしまい、ただひとり残されたことへの寂しさとか、そんなものには気がつく暇もなかった。そして、妹の想いに応えて医療研究者になることに決めた。

 一年の間、夕顔ゆうがおからこの時代の基礎的な勉強を教わり、医療学校に入学。それからは専門職ならではの厳しい勉強に追われ、この時代の新しい友だちもできた。

 そうこうしているうちに膨大な量の時が圧縮されて心のなかを通り過ぎ、気づかないうちにすっかりこの世界に馴染んでしまった。いまではもう、昔のことを思い出しても寂しいとは感じない。ただただ懐かしさと暖かい気持ちが込みあげてくるだけ。

 ――もう、この時代の人間になったんだなあ。

 自分でも、そう思う。

 ――夕顔ゆうがおはそのために、わざとあたしを振りまわしていたのよね。

 その程度の想像ができないほど、朝陽あさひは鈍感ではない。

 ――まあ、八割六分九厘ぐらいは本人の趣味でやっていたことだろうけど。

 とは思うのだけど。

 ――でも、夕顔ゆうがおはまちがいなくあたしを愛してくれている。父さんや母さん、夕陽ゆうひにかわってあたしを迎えてくれた。あたしのためにいつだって全力を尽くしてくれている。ううん。夕顔ゆうがおだけじゃない。夕顔ゆうがお夕陽ゆうひの想いを受け継いでくれている。夕顔ゆうがおのなかにはまちがいなく夕陽ゆうひもいる。あたしは夕顔ゆうがお夕陽ゆうひ、ふたりから愛されている。

 夕顔ゆうがお自身、何度もはっきり言っている。

 「わたしにはわかるわ。感じるの。わたしのなかの夕陽ゆうひおばあちゃんの存在を。夕陽ゆうひおばあちゃんも、わたしの体を使って朝陽あさひと愛しあっているのよ」

 そう語るときの夕顔ゆうがおの慈愛に満ちた表情。

 夕陽ゆうひから何度となく眠ったままの朝陽あさひのことを語られ、その想いの深さを知り、自分がすべてを受け継ぐことを決めた。

 そんな夕顔ゆうがおだからこそ浮かべることのできる表情だった。

 ごろっ、と、音を立てて朝陽あさひは寝そべった。体を横にして眠っている夕顔ゆうがおに向きあった。その寝顔を正面から見つめた。

 美しく、愛らしいその顔。

 妹そっくりの顔。

 妹が一〇年、成長した姿にしか見えない顔。

 「……ありがとう。夕顔ゆうがお夕陽ゆうひ。あたしを愛してくれて。あたしも愛してる」

 朝陽あさひはそうささやいて両目を閉じた。唇を差し出した。健やかな寝息を立てる夕顔ゆうがおの唇。その上に自分の唇を重ねた。

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