第47話

化学準備室の扉を開けると、先生は授業で使った実験器具を片付けているところだった。


「芽衣子?どうした?」


私が黙ってうつむいていると、先生は心配したような顔で私の顔を覗き込んだ。


「何かあったか?」


「……誰?」


「え?」


「昨日一緒にいた女の人、誰?」


「昨日……?」


「私、見たよ。先生が昨日、女の人と歩いてるの。そのまま家に入って行くのも」


「……ああ」


「ねぇ……誰?先生のおねぇさん?」


私はそうであって欲しいという希望を込めた。


「……彼女だよ」


「……か……のじょ?」


「別に秘密にしてたわけじゃないんだけどな」


「そう……」


私はパッと顔を上げて笑顔を見せる。

そしてそのまま、準備室を出た。


「め……倉賀!」


先生が私を呼ぶ声が聞こえたが、今は戻るつもりはなかった。

大丈夫。

最後には先生は私のものになるんだから。





創ちゃんの部屋で、私は創ちゃんに勉強を教えていた。


「ねぇ、メイ?ここってどうやるの?」


「……」


「メイ?」


「……」


「おーい!メイ!」


肩を叩かれて、ハッと我に返る。


「え?なに?」


「どうしたの?ぼーっとして」


「ごめんごめん。ちょっとね……で、なんだっけ」


「……ここの問題がわからなくて」


「ああ、それはね……」




3月、私は受験終わりの創ちゃんと電車に乗っていた。


「あー、絶対あそこ間違えた……どうしようどうしよう」


創ちゃんはずっとこんな感じで1人反省会を開催している。


「もう考えないの!今さら気づいたって不安になるだけなんだから」


「うう」


駅に停車し、二人組みの女性が何やら話しながら乗車してきた。その片方が以前朝倉先生と一緒にいた女性であることに、私はすぐに気がついた。


「沙奈の彼氏はいーよね……教師かぁ」


沙奈と呼ばれたのは先生と一緒にいた女性だ。黒髪を腰の辺りまで伸ばし、清楚な印象を受ける。

もう1人の女性はショートカットの茶髪で、派手な印象だ。


「うん、今年中には結婚するつもりだよ」


黒髪が言った言葉に、私は持っていた鞄を落としそうになる。


「マジ!?プロポーズされたの?」


「ううん。まだだけど、結婚したいって話はずっとしてて」


「でも彼氏、まだ教師一年目でしょ?ちょっと早いんじゃない?」


「うーん、そうなんだけど……」


「まあ、でもさっさと扶養入って専業主婦やりたいよねー」


「うん。だから、ちょっと強引な手段も考えてるんだ」


私は手に持っていた鞄を落としてしまった。その拍子に鞄から飛び出したスマホが床を滑り、二人組の足元でとまる。


「メイ?」


「あっ……」


朝倉先生の彼女が足元の携帯に気づき、拾うと笑顔で私に渡してくれた。


「はい、どうぞ」


「……あ、ありがとうございます」


私のスマホを差し出す手。

細く長い指先には綺麗なネイルアートが施されていた。




「好きです!付き合ってください!」


創ちゃんの合格発表の日、私は創ちゃんに告白された。


「ごめんなさいっ!」


私は思わずその場から逃げてしまった。

校舎の角を曲がったところで人とぶつかる。


「あ、先生」


ぶつかったのは朝倉先生だった。


「もう新入生から、告白されるとはさすがだな」


朝倉先生は呆れながら笑った。


「……幼馴染だよ」


「あー、アレが噂の……」


朝倉先生が創ちゃんの方を見つめる。


「可哀想に、胴上げされてる。……いつもあいつのこと楽しそうに話してたじゃないか。好きじゃないのか?」


朝倉先生の問いに私は首を横に振った。


「好きだよ。でも、ダメなの」


「なんで?」


「あの子は、『私』が好きなわけじゃない」


そう言うと、朝倉先生は眉間に皺を寄せた。


「ねぇ、先生?」


「ん?」


私はジッと朝倉先生の目を見つめた。

先生はあの女と、結婚するの?

そんなことを聞く勇気はなかった。

答えを聞くのが怖かった。


「……なんでもない」





保健室で目が覚めると、ベッドの傍らには朝倉先生がいた。


「起きたか」


「……先生」


ああ、そうか。

全校集会の途中で気を失ったんだ。


「軽い貧血だってさ。睡眠不足と……」


私はジッと先生を見つめる。


「どうした?最近は眠れてないのか?」


「……いて」


「ん?」


「抱いて。先生」


先生が眉を顰める。


「……何言ってるんだ」


「お願い」


「どうした?なにがあった?」


「そんなこと、どうでもいい。私を抱いて、先生」


先生の胸倉を掴み引き寄せる。


「おいっ……!」


「イヤ。行かないで」


「……」


「行かないで……先生、お願い。私以外のものにならないで」





電車で2人の女性の話を聞いてから、私はよく悪夢を見るようになった。そのせいで、あまり眠れない。

以前よりも強い悪夢だ。

1人だけじゃない、何十人に犯される夢。

痛い。ずっと、心も身体も痛くてたまらない。


私は、ビデオ店へ向かった。

店長は私の顔を見てニヤニヤと笑った。


「久しぶりじゃん、芽衣子ちゃん」


舐め回すように私の身体を見る。


「成長したね。……色々と」


傷を傷で隠して、何度も抉って。

そうすることによって痛みを感じなくなる。

深く深く傷付けば、きっと底がやってくる。

そうすれば、もう恐れるものなんて何もなくなるんだと、私は信じている。




気づけば、私は朝倉先生のアパートのインターホンを鳴らしていた。


「芽衣子!……どうした?」


先生は私の姿を見て驚いた顔をしていた。

そういえば、私はパジャマのままだった。


「とりあえず、入れ」


先生は私をソファに座らせると、あったかいお茶を出してくれた。


「……どうした?」


心配そうに私の顔を覗く先生の姿を見ると、涙が溢れてくる。


「ダメなの。やっぱり先生じゃなきゃ」


「……芽衣子」


「先生、しよ」


「また、そんなことを言いだして」


「私は本気だよ」


「芽衣子。いいか?お前は……」


私は朝倉先生の胸倉を掴むと、強引にその唇に口づけをした。先生は一瞬動揺したが、すぐに私の両肩を掴み引き剥がす。


「芽衣子っ」


「お願い先生。お願い」


泣きながら私は先生に縋りつき懇願する。


「私、死んじゃうよ。先生がいなきゃ私死んじゃう!」


「……帰るんだ。車で送って行くから」


「いや……」


「行くぞ」


先生は強引に私の腕を引っ張る。


「いやっ!いやっ!」


先生は嫌がる私を無理矢理助手席に詰め込むように乗せた。そして車を発進させる。

私は諦めて、ぐったりと窓に頭をもたれかけた。


雨が降っていた。

私は昔、創ちゃんと拾った犬のことを思い出していた。

その日もこんな雨だった。

公園に段ボールで捨てられていた子犬は雨に濡れてだいぶ弱っていた。

このままじゃ死んじゃうと思って、私と創ちゃんはその子犬を連れて帰った。

創ちゃんの家はお母さんが犬アレルギーだから、飼えない。だから私の家に連れて行ったけど、お母さんは『お世話出来ないから、元に戻してきなさい』って言って私の話を聞いてくれなかった。


泣きながらお願いしたけど聞いてもらえなくて、私は元いた公園に子犬を返しに行った。

置いて帰ろうとすると、その子犬は私の後ろをひょこひょこっとずっとついてくる。

『君のことはお世話できないんだ』『ごめんね』って言っても、ずっと、ずっと後ろをついてくる。

私が、責任も取れないのに……中途半端に子犬を連れて帰ってしまったから。希望を持たせてしまったから。

私は走った。子犬が追いつけないように。


「……拾わなければよかったんだ。はじめから」


私は小さくつぶやいた。

朝倉先生の車が私の家の前に停車する。


「ほら。着いたぞ」


「……」


「芽衣子」


先生に促されて、私はゆっくりと車を降りる。


「先生……またね。また。明日ね」


「ああ、また明日。学校でな」


先生はそう言うと、すぐに車を発進させた。

私は雨に濡れながら、その後を二、三歩追った。

そしてすぐに諦めた。



期末テストも近くなってきた初夏。

私がいつも通り教室のドアを開くと、一斉にクラスメイトの目が私に向いた。

私はすぐに異変を感じた。

黒板の周りに人だかりができている。

写真のようなものが何枚か貼られているのと、大きな文字が書かれている。

周りの声が遠くなる。


「……助けて、先生」

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