第45話

「服、ありがとうございます」


シャワーを浴び、大学生の男のシャツを借りた。


「ああ、うん。やっぱりちょっと大きいね」


ちらりと時計を見ると、もう門限を過ぎそうだった。


「すみません、電話お借りしてもいいですか?」


「固定電話はないんだけど……携帯でよければ」


「かまいません。ありがとうございます」


男から携帯を受け取り母親の電話番号を押し、耳に当てる。


「もしもし。お母さん?芽衣子だよ。うん、大丈夫。ちょっと部活が長引いて、友達の家で大会の相談してたの。連絡遅くなってごめんね。今日は泊まらせてもらうから」


そう言って半ば強引に電話を切る。


「……え?」


大学生が眉間に皺を寄せている。


「ということで、泊めてください」


「状況が整理できない」


「ダメですか?朝倉ユウトさん」


私が彼の名を呼ぶと、驚いた顔をした。


「どうして名前……」


「苗字は表札から『朝倉』下の名前はキーホルダーに掘ってあった『yuto』ですよね」


不気味なものを見るよう目で朝倉は私を見た。


「君、まだ中学生だろ?」


「そうです」


「自分のやってることわかってるのか?」


「わかってますよ」


「悪いことは言わないから、そういうことはやめなさい」


私はぐいっと朝倉に近寄った。

至近距離で見上げる。

髪型がもっさりしていて気づかなかったが、案外整った顔をした男だった。


「今晩、私を買いませんか?」


「なに言ってるんだ」


「お客さんに逃げられたのは朝倉さんのせいなんですから、責任とってください」


「バカ言うな。家まで送って行くから帰りなさい」


朝倉はバカバカしいと言った顔で私から離れた。


「友達の家に泊まるって言ってしまいました。それなのにあなたに送ってもらったら、怪しまれてしまいますよ。あなたが」


私がそういうと、朝倉はバツが悪そうな顔をした。私を助けたことを後悔しているんだろう。


「奥にベッドがあるから君はそこで寝なさい。俺はソファで寝るから」


そう言って朝倉はソファに寝転がった。


「一緒に寝ましょうよ」


「絶対に寝ない」


「なんでですか?中学生だからですか?」


「そうだ」


「じゃあ、中学生じゃなかったら抱いてくれますか?」


「バカなことばっか言ってないであっちへ行ってくれ」


シッシッと手で寝室の方へ追いやられる。

つまらない男だ。




中学の教室で私は頬杖をついていた。

先週の朝倉の対応のせいで、まだ機嫌が悪かったが、クラスメイトたちは誰もそんなこと気づかないだろう。

結局あの後普通に眠り、朝になったら家を追い出された。

男からあんな扱いを受けたことなんてなかった。

イライラしていると、教室の扉が開き担任が入ってくる。


「はーい。おはようございます。先週も言ったが、今日から教育実習の先生がお見えになるぞ」


担任が廊下に向かって呼びかける。


「朝倉先生、どうぞ」


爽やかな笑顔で教室に足を踏み入れてきた男を見て私は唖然とした。


「はじめまして。壱谷大学の教育学部から来ました。朝倉悠人と言います。担当は理科です。これから短い間ですが、よろしくお願い……」


言葉の途中で朝倉と目があう。


「ん?どうしました?」


担任が言葉に詰まった朝倉に声をかける。


「あ、いえ。なんでも……短い間ですが、よろしくお願いします」


朝倉が微笑むと女子生徒たちが黄色い歓声をあげた。




放課後、担任に朝倉がどこにいるのか聞くと化学準備室にいると教えられた。

化学準備室のドアを開くと、様々な薬品の瓶を並べ直している朝倉がいた。


「こーんにーちはー」


明るく声をかけると朝倉は驚いたようにこちらを振り返り、私を見てため息をついた。


「まさか、この学校の生徒だったとはな」


「雑用任されてるんですかー?朝倉せーんせっ」


おちょくるように言うと朝倉は不貞腐れたように無愛想な返事をした。


「そーです」


「私も手伝いましょうかー?」


そう言いながら、後ろ手で扉の鍵を閉める。


「大丈夫でーす。教室に戻って女友達とお喋りしててください」


「私、女の子の友達いないの。男の子ならいっぱい寄ってくるけど」


そう言うと、朝倉は小さく「そうか」と返した。


「学校に言ってないよね?」


先週のことを尋ねる。


「言ってもいいけどな」


「えー、やめてよ」


私が笑うと、朝倉はまたため息をついた。


「もう、ああいうことはやめなさい」


「私、びっくりしたの」


「話聞いてるのか?」


「だって、私に手を出さない男の人なんて初めてだったから。ねぇ、なんで?私のこと嫌い?」


「嫌いもなにも、それ以前の問題だ」


「へー」


薬品を並べる手を止めないまま、こちらを振り返らない朝倉の態度が気に入らなかった。

バッと急に、朝倉の背中に抱きついてみた。


「あっぶね。……おい、離れなさい」


薬品瓶を落としそうになり朝倉は慌てている。


「ねぇ、朝倉先生。私を抱いてよ」


「またそんなこと……教師が生徒に手を出すなんてダメに決まってるだろ」


「うちの担任は私のこと性的な目で見てるよ。この前、私のリコーダー舐めてるところ見たもん」


私がそう言うと、朝倉は眉間に皺を寄せて黙った。


「先生は性欲がないの?」


「そういう問題じゃない」


「じゃ、どういう問題?」


「……お前はおかしいよ」


朝倉の言葉に私は後頭部を殴られたような感覚を覚えた。


「おかしい?私が?」


「ああ」


「なんで?なんで、私がおかしいの?おかしいのは大人でしょ?私の周りの人達でしょ?」


つい大きな声が出てしまう。


「倉賀」


「名字で呼ぶのはやめて。私じゃない」


朝倉は戸惑いながらも私の名前を口にした。


「……芽衣子」


なんだろう。

ただ名前を呼ばれただけなのに、すごく嬉しい。


「なぁに?先生」


「座りなさい」


「うん」


朝倉に促されて、化学準備室に一つだけ置いてある丸椅子に座る。

朝倉は私に目線を合わせるように、立膝をついた。


「……誰かに相談したことはあるか?」


「相談なんてするわけないよ。誰も信用できないんだから」


「なんのために、身体を売るようなことをしてるんだ?」


「……」


私は口篭った。

だけど、不思議とこの人なら話してもいいと思った。


「痛みに慣れるため」


私は小学生の頃にあったことを全て話した。

朝倉は黙って私の話をずっと聞いてくれていた。

誰にも言わないでほしいと言うと、朝倉は大きくうなづいた。


「2週間だけだけど、俺は君の先生だ」


そう朝倉は言った。


「俺に話を聞かせにきなさい」


「話?なんの?」


私が問いかけると、朝倉は優しく微笑んだ。


「なんでもいい。その日あったこと。感じたこと。昔、あったこと。小さなことでいい。とにかく話をしに来なさい」


「それ……なんの意味があるの?」


「今は考えなくていい」


「わかった」


「じゃ、ゆびきりだ」


朝倉が微笑み、小指を突き出す。私はその指に自分の小指を絡める。


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