第29話
幼稚園の砂場ではじめちゃんが一人で遊んでいるのを見つけた。
「はじめちゃーん!」
私が大きな声で名前を呼ぶと、はじめちゃんはビクッとして辺りを見回した。
砂場に駆けていき顔を覗き込む。
「何してるのー?」
私と目が合うとはじめちゃんは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「……お砂あそび」
聞き取れないくらい小さな声ではじめちゃんはボソッと呟いた。
「私も一緒にやっていい?」
はじめちゃんの横に座り込み、顔を覗きながら尋ねる。
「……いいよ」
ぷいっとそっぽを向いて小さく呟くはじめちゃん。
「私、お城つくりたい!」
「……むずかしいよ」
はじめちゃんはこっちを見ることなくボソボソと言う。
私のこと嫌いなのかな?
私は人に嫌われたことなんてない。
だから、はじめちゃんの態度の意味がわからなかった。きっとまだ、お友達になれていないから心を開いてくれないんだ。
次の日、幼稚園のプレイルームの隅っこに小さく丸まった背中が見えた。
「はじめちゃーん!」
私が背後から声をかけるとはじめちゃんはまたビクッとした。
「何してるのー?」
「……お絵描き」
ボソッとそう言うはじめちゃん。
私ははじめちゃんの後ろから、画用紙を覗き込んだ。
そこには色とりどりのクレヨンで塗られた丸がところどころ点々と散らばっていた。
「なに描いてるの?」
はじめちゃんはボソッと「……おはな」と言った。
また次の日、幼稚園の花壇の花に一人で水をやっているはじめちゃんが見えた。
「はじめちゃーん!」
窓から声をかけるとビクッとして、はじめちゃんは私を見上げた。
「何してるのー?」
「……お花のお世話」
「そっかー!」
私は窓枠を飛び越えて、花壇を挟んではじめちゃんの正面に座った。
「……なに?」
はじめちゃんは居心地悪そうに前髪をいじる。
「はじめちゃんはお花が好きなの?」
「好き……じゃないこともないよ」
モジモジとしはじめるはじめちゃん。
「……押し花の栞を、作りたいんだ」
ボソッとはじめちゃんが言った。
「押し花の栞?」
「うん。本に書いてあった。花を紙で挟んで栞にするんだ」
「すごーい!」
私がそう言うとはじめちゃんは恥ずかしそうに笑う。
「はじめちゃんはいつも、一人で遊んでるの?」
私が尋ねるとはじめちゃんはハッとしてまた、うつむいた。
「友達と遊べばいいのに」
私がそう言うと、はじめちゃんはゆっくり首を横に振った。
「……友達なんていないもん」
「どうして?」
無邪気に尋ねる。
友達がいない、と言う意味が私にはわからなかった。
「僕がよそものだから」
そう言ってはじめちゃんは、乱暴にジョウロを地面に置いた。
「友達なんていらないもん」
はじめちゃんは泣きそうな顔でそんなことを言う。
「嘘だよ」
「え?」
「はじめちゃん。友達が欲しいって顔してる」
私の言葉にはじめちゃんはびっくりしたような顔をしていた。
「ただ、勇気をだせないだけなんだよ」
はじめちゃんはもじもじとうつむいている。
「……だって。怖いんだもん」
「怖くなんかないよ」
「怖いよ」
ぷるぷると子犬のように震える肩。
私ははじめちゃんの震える手をとった。
「じゃあ、私がはじめちゃんのお友達、第一号になってあげる!」
はじめちゃんは目をまんまるにしてポカーンと口を開けたまま、私の顔を見つめた。
「そういえば、はじめちゃん。わたしの名前、呼んでくれたことない」
「うっ」
「呼んでみて!」
「えっ、あっ」
「ほーら」
はじめちゃんは急に顔を真っ赤にした。
「め……め……めぇえ」
「あははは!それじゃヤギだよ」
「め……めめ……め、めい!」
肩に力を込めてはじめちゃんが私の名前を呼ぼうとする。
「あと一文字!」
「めめめめい……め、め……めい……うううう」
はじめちゃんは頭のてっぺんからぷしゅーと音をたてて、へなへなとうずくまってしまった。
「いきなりはダメかー。じゃあ、宿題だよ。私の名前を言えるようになること!」
うずくまるはじめちゃんの顔を覗き込み、私は微笑んだ。
「え、えええ……」
はじめちゃんは困ったように、目に涙を浮かべていた。
「あと、もう一つ!」
私が指を一本立てると、はじめちゃんは勘弁してくれ、というように頭を抱えた。
「まだあるの?」
「はじめちゃんが押し花の栞をつくるとき。私のぶんもつくって欲しいの!」
私がそう言うと、はじめちゃんはポカンと口を開けた。
「……いいよ」
照れくさそうに頬をかくはじめちゃん。
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ、指切り!はい!」
私が小指をつきだすとはじめちゃんは躊躇いつつも、小指を絡めてくれた。
「ゆびきりげーんまん。嘘ついたら、針千本のーます!ゆびきった!」
卒園式の朝、旅装をしたパパは玄関で私に抱きついて、わんわんと泣いていた。
「なにも今日じゃなくてもなー!」
「パパ、もうそろそろ行きなよ」
「ほら、あなたいい加減行かないと飛行機間に合わないわよ!」
パパは今日から遠くに出張らしい。
飛行機が朝早いらしいから、本当に遅刻しちゃうんじゃないかと心配になる。
「だって、だって今日は芽衣子の卒園式なのに!芽衣子が証書受け取る姿を写真におさめたいのに!うわぁぁあん!」
「別に、そんなの取らなくていいよ」
「いつから、そんなにドライになったんだ芽衣子ぉぉぉお」
1時間こんな感じだ。さすがの私ももう飽きてきた。
「あなた!いつまで泣いているつもり!はやく行きなさい!」
「やだよぉ……ヨーロッパなんて遠いじゃないかぁあ。芽衣子と離れるなんて嫌だよぉ」
子どものように泣くパパの頭をポンポンと撫でる。
「お手紙書くから、ね?」
「ぐすん……」
「はやく行かない悪いパパにはお手紙書かないよ?」
私がそう言うと、パパはガーンという顔をしてしょぼんとした。
「わかったよ……行くよ」
パパはしんみりと私から離れキャリーバッグを掴む。
「お手紙書いてね」
「うん。いっぱいいっぱいお手紙書くよ。いってらっしゃい、パパ」
幼稚園の講堂で、ちょっとだけいい服をきたみんながお母さんやお父さんと一緒に大人しく座って園長先生の話を聞いている。
もうすぐ卒園証書が配られる。
「卒園生代表。倉賀 芽衣子」
「はい!」
私は名前を呼ばれて、大きく返事をして立ち上がった。
拍手の中を私はピンと背筋を伸ばして歩く。
卒園式が終わって、幼稚園の門には卒園生とその親たちが集まり、写真を撮ったりしている。
私も周りの友達から声をかけられ、一緒に写真に写る。
少しだけ退屈だった。
どうせみんな同じ小学校に行く。
これがお別れなんかじゃないのに、泣いてる子も何人かいる。
そんな光景を、私はどこか冷めた目で見ていた。
ふと校舎の影に人影が隠れているように見えた。
私は興味本意でそっちへ向かう。
ママは誰かのお母さんと話していて、こっちには気がついていない。
校舎に近づくとまた、人影が顔を覗かせた。
私はその影に気づいて名前を呼んだ。
「はじめちゃーん!」
ビクッと影が揺れる。
「何してるのー?」
校舎の影を覗き込むと、はじめちゃんがぷるぷると震えながら、両手で何かを握りしめていた。
「こ、これ……」
もじもじとしながらはじめちゃんは、両手で
握り締めていた小さな封筒を私に差し出した。
「もしかして」
封筒を受け取り、中身を覗く。
そこには桜の押し花の栞があった。
「やっぱり!覚えててくれたんだね!」
私は嬉しくなって、今日1番大きな声を出した。
「うん……桜。めいには一番似合う花だと思って……」
私はジッと、はじめちゃんを見つめる。
「な、なに?」
ぎゅっとはじめちゃんを抱きしめた。
「わ!えっ!」
はじめちゃんは驚いたように手足をバタバタとさせる。
「……ありがとう」
「め、めい?」
「うれしい!」
遠くで、『芽衣子ちゃーん!』という私を探す声が聞こえた。
「今、行くよ!」
そう返事をして、はじめちゃんの手を取る。
「はじめちゃんも、一緒に行こ!」
「でも、僕はまだ卒業じゃないし……」
「大丈夫だよ!」
私が手を引いてもはじめちゃんは動かない。
「……ううん」
悲しそうに首を横に振るはじめちゃん。
ああ、そっか。
卒園したみんなとはまた小学校でも会える。
でも、はじめちゃんは。
「……僕。すぐに大きくなるから……大きくなって、すぐにめいに追いつくから」
はじめちゃんは、目に涙を浮かべながら肩に力を込めてそう言った。
「だから、待ってて!」
私はニコリと微笑むとそっとはじめちゃんの手を離した。
「わかった。……待ってるから!はやく追いかけておいで」
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