第25話

「……最近、おかしいと思ったことはありませんか?」


俺は絹子さんが出してくれた紅茶のティーカップの縁を眺めながら、問いかけた。


「芽衣子のことで?」


「はい」


しばらく絹子さんは考えているかのような仕草をみせた後、口を開いた。


「最近貧血が多くて休みがちなことぐらいかしらね」


「それって……本当に貧血なんですか?」


「え?」


絹子さんの眉がぴくりと動く。


「いえ、なんでもないです。すみません」


俺はなんとなく、これ以上聞くのが怖くて引いてしまった。

絹子さんは、『優しいお母さん』のイメージをそのまま具現化したような人だ。

この人に育てられて、メイという女の子は成長した。

幸せな家庭。幸せな人生。

倉賀家は、理想の家族だ。


「メイって反抗期とかあったんですか?」


ふと気になって聞いてみた。

絹子さんは首を傾げてまた考えているような素振りを見せた。


「反抗期?……そういえば、ないわね。一人っ子だから、甘やかしちゃったのもあるけど。基本的には言うことはちゃんと聞くから。……昔から本当に手のかからない子でね。我が子ながら感心するわ」


他人から見る人柄と家族から見る人柄が違うことはよくある。

家ではだらしない人間も外ではいい子ちゃんのフリをする。

だけど、メイはそうじゃない。

他人から見ても、家族から見ても、メイは『可愛くて素直で完璧な女の子』だ。

それは俺から見ても。

だから、メイには裏表なんかない。そのはずなんだ。

ないものを見ることはできない。

今見えているメイ以外のメイを知っている人間なんていない。

なのに。

脳裏に朝倉先生の言葉が引っかかる。

メイがお花を好きじゃない、そう言った朝倉先生の言葉が。


「どうしたの?創ちゃん」


「なんでもないんです。……ただ、俺」


言葉に詰まる俺の背中を絹子さんは優しく撫でてくれた。

少しだけ、目に涙が浮かぶ。


「……メイのこと何も知らないんじゃないかって」


そう言った俺に、絹子さんはゆっくりと首を横に振った。


「そんなことないわよ。家族以外で、一番芽衣子のことを知ってくれているのはきっと創ちゃんよ?」


本当にそうだろうか。

ふと、リビングの横にある部屋の存在を思い出した。あの部屋にはメイの写真がいっぱい飾ってある。その中でも一際存在感を放つのは、天使の羽根が生えたメイの写真。

『あの人、芽衣子が生まれてからずっとあの子にべったりだった。いつも芽衣子の写真ばっかり撮ってたわ。今は仕事で海外に行ってるから、芽衣子に会いたくてしょうがないみたい。妻のことなんて二の次よ。失礼しちゃうわよね』そんな風に語る絹子さんの口調は冗談混じりだったが、その目がどんな目をしていたのか、俺はハッキリと思い出せなかった。





絹子さんの許可を得て、メイの部屋の前までやってきた。小さく深呼吸してノックすると中から 「お母さん?どうしたの?」と言う可愛い声が聞こえてきた。


「俺だよメイ」


「創ちゃん?……どうぞ入って」


ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。

なめらかな動きで、扉は開いた。

薄い桃色を基調としたいかにも女の子らしい可愛い部屋。

ピンクのベッドの上にメイはちょこんと座ってこちらを見て、ちょっと嗜めるような顔をしていた。レースがたくさんあしらわれたワンピースのネグリジェがメイの白い身体を包んでいる。


「創ちゃん、学校は?」


「サボっちゃった」


俺がそう言うと、メイはニッコリと笑った。


「私と一緒だね」


そう言うメイのその顔には、いつものような花のような煌めきはなかった。


「どう?体の調子は」


「まぁまぁかな」


「そっか」


俺はゆっくりとメイの部屋を見回した。

小さい頃からよく訪れていた見慣れた部屋。

可愛い空間。

でも、今はその空間が異様なもののように感じる。


「どうしたの?何か話があったんじゃないの?」


メイは扉の前から動かない俺に対して不思議そうに首を傾げた。


「……うん」


「わざわざ学校サボってまでどんな大事なお話?」


俺はゆっくりと部屋の中へと進んだ。

メイの座るベッドから、少し距離を置いたところで立ち止まる。


「ごめん。メイ」


メイの頭の上にハテナが浮かんでいる。


「見ちゃったんだ。昨日」


そう俺が言った途端、メイの表情が少しだけ強張ったように感じた。


「メイが朝倉先生の家に行くところ」


メイは驚いたような顔をすることもなかった。

ただじっと、少し笑顔をたたえたままの顔、証明写真のような顔でこちらをずっと見つめている。


「そうなんだ。ちょっと質問があったから行ったんだよ」


取り繕うように、慌てる様子もない。

ただ事実を述べるように、メイはそう言った。


「パジャマのままで?」


俺の言葉に、メイは困ったように笑った。


「だいぶ前に噂を聞いたんだ」


「噂?」


メイが口端に笑みを含んだまま、首を傾げる。


「メイと朝倉先生が付き合ってるんじゃないかって」


動じていない。メイは変わらない笑顔のままだ。


「そうなんだね」


変わらないメイの表情に若干の恐怖を覚える。

俺は、今誰と喋っているんだ?

目の前にいるこの子は誰なんだ?


「本当なの?」


「それは違うよ」


ゆっくりと首を横に振り、否定の意を見せるメイ。


「本当?」


「うん」


深く頷くメイ。


「じゃあなんで、昨日……」


「創ちゃん」


淡々と俺の名を呼ぶメイの声が、俺の言葉を遮った。


「私のこと、好き?」


花が蕾をゆっくりと開くような、美しくて優しい笑顔でメイは俺を真っ直ぐに視線で射る。

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