04 いけ好かない男
「閣下! ・・・どうしてここに?」
驚くヤヨイを、ウリル少将は苦虫を噛み潰したような顔で睨んだ。
「どうして、ではないっ!
貴族の社交に慣れさせようと、お前に宮廷や貴族の作法、社交の経験をさせようと、奥様にお願いしてわざわざこうした機会を作っていただいたのだぞ!
それなのに、せっかくのご厚意を無にしおって、そのような軍服でやって来おってこの愚か者めがっ! 」
ヤヨイの小うるさい上司、ウリル少将は、例によってヤヨイの顔を見るなり頭ごなしに怒鳴り始め、クドクドと説教を垂れた。
「でも、士官がトーガ、軍服以外を着用するのはご法度と・・・。それに閣下だって軍の礼装ではありませんか」
「バカ者! それは貴族の士官に限ってのこと。お前は貴族ではないではないか。それに私は公務で来ているのだ。
貴族社会のたしなみを知るのはお前の今回の任務に極めて重要な要素なのだ。だからわざわざ・・・。
まあ、いい・・・」
とりなしを頼みたかった奥様も知り合いを見つけたのかお喋りに夢中で頼れなかった。
だが、叱責するだけして気が済んだのか、舞踏会という場で部下を怒鳴りつける不粋と愚に気づいたのか、はたまた、連れの男を憚ったのか。ウリル少将も怒りの矛を溜息と共に収め、傍らの暗い男を引き合わせた。
「ちょうどいい。お前に紹介しておこう。ノール王国大使館の書記官であられる・・・」
「レーヴェンショルド、と申します。貴女のご高名はかねがね。お会いできて光栄に存じます、少尉」
華やかな夜会の場に似合わない黒いコートを着た陰気な感じの少壮の男は、そのように陰気に名乗った。握手した彼の手はゾッとするほど冷たくて汗で湿っていた。思わず引っ込めようとした手をなんとか思い留まれた自分を褒めてやりたかった。さっきのルーデンなんとかの貴族様よりは、まだ救いがあった。
「ここでは話せん。ちょっと、来い」
奥様の姿はすでに色とりどりのローブと淑女たちの白おしろいの口元を隠すせんすの中に埋もれてしまい、見えなかった。
仕方なく、小うるさい上司に拉致されるようにして屋敷の外に出た。
車溜まりのおびただしい馬車たちの群れを照らす松明の下には、馬車を見張る衛兵のような使用人と主人たちを待つ馭者たちが暇つぶしの雑談を交わしているのが見て取れた。その中にいたカーキ色の軍服を着た伍長が少将の姿を認めて駆け寄ってきたが、閣下は手を上げてそれを制した。
3人が馬車に乗り込むやウリル少将は口を開いた。煌々と眩い屋敷の灯りが暗い男の横顔を照らしていた。
「レーヴェンショルド氏はノール王国の在帝国大使館の書記官であられるのだ。今回お前に託す任務の件でお前にお話をされたいと仰るのでな」
「数々の作戦で武功を上げ、軍人最高位の勲章を受けられた『軍神マルスの娘』。『神君(デイブス)カエサルの生まれ変わり』。
少尉のお噂は我が王国のその筋でも響き渡っておりますよ」
その暗い顔半分を屋敷の灯りに晒した冷たい手の書記官氏は、かなりの事情通のようだった。
「それは、どうも。光栄です」
そこで、気づいた。
少将は、ヤヨイが軍の礼装で舞踏会に現れた経緯を全てこの男の前で話している。
ということは、これからの任務とやらの内容すべて、このノールの男が関わって来るのだ、ということを、である。
どうやら彼はただの大使館の書記官などではなさそうだった。
もしかすると今度の任務のキーマン、重要人物か、陰でシナリオを書いている本人か、その伝書使クーリエか、そのいずれなのかはわからないが、なにがしかの関わりのある男なのだろう。
もしかすると、ウリル少将と同じ、書記官を隠れ蓑にノール王国の対外、対内諜報や「工作」を担っている人物なのかも知れない。
そこまで洞察すると、俄然ヤヨイの頭は冴えて来た。
「実は今からお話しするのは他国の方へお耳に入れるのも憚りのあるものでして。これにはわが王国の王家の醜聞、スキャンダルが関わっておりましてね」
「スキャンダル・・・」
「左様です。では、いささか込み入った話ではありますが、順を追ってお話ししましょう」
一息つくと、レーヴェンショルド氏は、まだ30代の半ばだろうに薄くなった頭頂を傾げ、緑色の瞳に妖しい光を湛えつつこんな風に語り始めた。
「少尉は、『ラスプーチン』をご存じですか?」
「は?」
急に館の一角でうら若い女たちの嬌声が上がった。
紳士淑女の集う舞踏会ではあり得ない不作法だが、この舞踏会でデビューする貴族の若い娘たちなのだろう。ヤヨイにも覚えがあるが、つまらないことでも可笑しくて仕方ない、そういう年頃というのは、あるのだ。
「大使館の書記官というのは忙しい時は眠る間もないほどなのですが、ヒマなときというのもありましてな。今回のこの一件に類似した事件が過去に、特に旧文明にあるかどうか、バカロレアの図書館で調べました。
幸い、貴国のバカロレアは他国の人間にも広く門戸を開いてくださっております。我が国の貴族の子弟もこれまでおおぜい留学させていただいている。人文科学系の書籍も資料もオフリミットなしで閲覧させて下さる。自然科学系は除いて、ですがね」
書記官氏は陰気な顔をチラとあげウリル少将を見た。
50ミリ砲やライフルだけではない。巡洋艦の図面まで盗まれ、多数の技術者をもヘッドハントされて帝国の兵器をことごとく模倣、製造、建造されてしまったチナの「産業スパイ」事件。
それを、国家を上げて実力を持って粉砕して半年経つ。産官学と、帝国中に浸透していたスパイ網も、芋づる式に一斉検挙され、ほぼ一掃されていた。
少将は「当然でしょう」とでも言いたげに肩を竦め、組んだ膝の上に組んだ手を置いた。
「そこで見つけたのが今回の我が王国の醜聞に極めて酷似している、『ラスプーチン』の一件、なのです」
「ラスプーチン」、とは。
旧文明19世紀の末から20世紀初頭にかけて帝政ロシアの社交界、宮廷に暗躍し、怪しげな医術を使って人を篭絡し、果てはロシア皇帝の妃にまで取り入って意のままに操り、国政にまで影響を及ぼした怪僧、坊主である。
「ラスプーチンの影響なのか、皇后アレクサンドラはいささか気弱な皇帝ニコライ二世を使嗾し焚きつけ、深入りすべきでなかったヤーパンとの戦争に多額の国費を費やし、果てはバルチック海に温存していた主力艦隊まで極東に派遣して全滅させてしまいます。
極東の一小国に過ぎなかったヤーパンに敗れた一事は大国ロシアの威厳を傷つけ国内の治安を悪化させ、ついには反乱にまで発展します。
そして続く第一次世界大戦では、逆に積極的に攻勢に出るべきだった東部戦線においてなぜか攻勢に積極性を欠き、同盟国であったイギリスの信頼を損なわせ、ついには国内の革命分子を助長させ、帝国は瓦解。
皇帝は革命軍に捕らえられて処刑され、ロマノフ王朝は滅亡しました。
それらすべてにその『怪僧ラスプーチン』が関わっていた、と言われています」
レーヴェンショルドはそこでやおら顔を上げて暗い眼をヤヨイに向けた。
「その、旧文明のロマノフ王朝に起こった災いと同じことが、いやそれ以上に過激に急激に、わが王国に起ころうとしているのです」
「その、『現代のラスプーチン』も国王ご一家に取り入ろうと?」
「もう取り入っていますがね。王妃様、現皇太后陛下に」
「なんと、皇太后陛下に! それはやはり、医術を使って?」
「ええ。
その名を『маленький Явление』マレンキー・イーブレーニヤ。
古いロシアの言葉で『小さな妖怪』という意味らしいですがね」
書記官氏は自分の言葉に、フン、と鼻で笑った。
「わが王家に巣食う現代の『ラスプーチン』は、そう名乗っているのです。あまりにも人を食った、まやかしのような医と、怪しげな妖術とを操る、ふざけた男です。
皇太后陛下は以前から神秘主義に凝られておりましてね。そこに目を付けられたのでしょうな。それと、閨の技でしょうな」
「閨の技?」
「『ラスプーチン』もそうだったようですが、わが王国を蝕もうとしている『小さな妖怪』も大きいらしいのです」
「何がですか?」
ヤヨイの問いに書記官氏はゴホンと咳払いし、こう答えた。
「ナニです。女性に申し上げるにはいささか礼を欠きますが、男性の、下半身が、です」
「まっ!・・・」
暗い、馬車の中のこと。
ヤヨイの赤面は知られずに済んだかもしれない。
「皇太后陛下ソニア様は篭絡(ろうらく)されたのですよ。しかも先王ご存命中からです。
わが王国の王家に取り入っている『現代のラスプーチン』、マレンキー・イーブレーニヤは、先王のご病気を快癒すると称して王家に近づき、病を治さず皇太后陛下を篭絡し、寝取ったのです。
しかも、今上陛下の二人の姉上、内親王殿下までをもその毒牙に掛けたようなのです。それだけでなく、王室の女官たちの少なくない者にまで手を出しているとの噂もあります。そしてその光景を見た者の話によれば、口に出すのも憚られるほど下劣で下品な、あられもないご様子であったとか・・・」
自分の国の王家の醜聞を淡々と赤裸々に語る役人。それだけ事態は深刻で差し迫っているのだろう。
「では、その『ラスプーチン』、マレンキー・・・、なんとか、を除けば良いのではありませんか」
「それが出来るほどならこうしてウリル閣下のお手を煩わせは致しません。国の恥ですしね。
今上陛下、現国王のスヴェン27世陛下はまだ御歳16であらせられます。
輔弼の大臣の諫めも届かず、ご母堂皇太后陛下のいうがまま。ソニア様にお諫め申した者はことごとく僻地へ左遷されたり捕縛されて軟禁されたりしているのです。今や我が王国の政令はことごとく王妃様の寝室から発令されているのも同然なのです。
我が王国は皇太后陛下の言わば『愛のご不例(※筆者註)』の犠牲になろうとしているのです!」
愛のご不例・・・。
ヤヨイがウリル少将の部下に、「ウリル機関」のエージェントになって一年が経つ。この気難しい、怒りっぽい食えないオヤジのような上司のクセもわかるようになっていた。
彼は、絶対笑ってはいけない時と場面では、下唇を噛んで日焼けした東洋風の顔に眉を寄せた。今も馬車の暗がりでそのクセが見えた。
おかげで、ヤヨイまで思わず吹き出しそうになり、あわてて脚を抓った。
こういうところが、小うるさくて気難しい上司である彼の、なんとも憎めないところなのだった。
「いざとなれば、エロ坊主の一人や二人はいくらでも排除は可能なのです。くだんのラスプーチンも最後には彼を危険視した有志の手で暗殺されたということですが、そうした『ヒーロー』に頼らずとも我が王国のその手の者達の手によって闇から闇、という具合にね。かつての旧文明、ロマノフ王朝の轍は踏みたくありませんでしょう。
ですが、実はもう一つの理由で、迂闊に手が出せない状況にあるのです」
「もう一つの、理由・・・」
「左様。
今や我が王国では官僚たちによる省庁横断的ないわば『プロジェクトチーム』が編成されておりましてね。『対エロ坊主特別対策室』、みたいな。その一員で大蔵省から出向している役人が王室関係費の中の高額な使途不明金の存在を嗅ぎつけたのです」
その書記官氏は明らかに愉しんでいるように見えた。そうとでも思わねばやっていられないのだろう。ヤヨイは、察した。
「それからプロジェクトチームの強行班が動きまして、ついにマレンキーとその人物の密会を抑えたのですが、まんまと取り逃がしましてね」
「その人物?」
「その使途不明金が皇太后さまからマレンキーへ、マレンキーから最終的にその人物に渡った、そう推測される、『人物』です」
それが、ターゲットなのか。
「その人物の名前は?」
ヤヨイが先を促すと、陰気なレーヴェンショルド書記官は、言った。
「Muldvarp 『もぐら』、という男です」
※ 御不例 (ごふれい)
(貴人の)病気のこと。
例えば、
「1921年(大正11年)、大正天皇の御不例により、当時20歳の皇太子であられた昭和天皇が摂政の宮としてお立ちになられた」のように使うようです。
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