東雲遥香はダークサイドに堕ちる
山野エル
1、東雲遥香は夢の真実を語る
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
いつか見た、幼い遥香がクラスメイトの輪を遠くから見つめる横顔……。
あれは彼女が小学校の頃だった。開催された運動会に遥香の両親について行ったことがある。いつも楽しそうにお喋りしていた遥香が所在なげに立ち尽くす姿にまだ未熟だった僕の心は大きく揺さぶられてしまった。
僕が観に来ていると知った遥香の顔は今でも忘れられない。
「なんで来たの!」
怒りをあらわにした遥香に、僕は何も言い返せなかった。誰にだって、人に見られたくない一面があるのは理解していたから。
あれからだったかもしれない。次第に遥香の家との交流が疎になっていったのは。
◇◆◇◆◇◆
「疲れているじゃないか」
遥香がいつものオーバーサイズのパーカーに身を包んで、ローテーブルを挟んで僕の向かい側に座っている。僕たちの間には、数学の教材がぐったりと横たわる。
「まあね、最近、あまりよく眠れないんだ」
「なんだ、コカイン中毒か?」
「なんでそうなる」
初めてホームズ物を読んだ時、ホームズが“愛用”しているコカインというものがなんなのか分からなかったが、大人になって彼のやばさというか、時代の違いに愕然としたものだ。同時に、あの推理力が薬物によるものだったのかと思うと、感動をくれた楽曲を作り上げたアーティストがクスリで捕まった時の感慨も蘇ったものだ。
「君の不眠の原因を究明してやろう!」
遥香がビシッと僕を指さす。
テーブルの上にあったコーヒーの入ったカップが大きな音を立てて倒れる。深い琥珀色が順列組み合わせの問題を塗り潰していく。
「なにしてるんだよ……!」
「し、失敗も人生にはつきもののなのだ」
「この場面で真理を語るなよ」
布巾を持って来てテーブルの上を綺麗にする。本当は苦くて飲めないくせに、格好いという理由だけで遥香はブラックを頼んでいるのを僕は知っている。
……まさか、わざとコーヒーをこぼしたんじゃないだろうな?
「さて、話をする準備が整ったな」
「お前がこぼしたんだよ」
遥香は知らんぷりをして、咳払いをした。
話をするといっても、シンプルだ。ただ、何度も繰り返し見る夢のせいであまり寝つけないということを遥香に伝えた。もちろん、夢の内容は適当にぼかしておいた。
夢の中の僕は、あの頃の遥香を見ていただけでなく、涼音先輩が仕掛けたディベートに参加した遥香がボロクソにこき下ろされて泣きながら退出する遥香を見送ってもいた。とてもじゃないが、そんなこと言えるはずがない。
「ふむふむ、なるほどな」
「『暗号ミステリ傑作選』読んでるだろ」
遥香が本のページをめくりながら、うんうんとうなずいている。
「勉強になるだろう」
「本読む片手間に僕の悩み相談をするなよ」
「だが、君に朗報があるぞ。泥船に乗った気になって聞くがよい」
「……まあ、間違ってはいないか」
遥香は座り直して正座になり、真剣な表情を見せる。
「君も実感しているだろうが、夢というのは不思議なものだ」
「そうだね。支離滅裂だし、場面がすぐ切り替わったりする。それなのに、夢を見ている自分はそれを普通に受け入れてるんだもんな」
「そこなのだよ!」
立ち上がろうとして膝小僧をローテーブルに思い切りぶつけた遥香はその場でうずくまった。
「おいおい、大丈夫か?」
「な、なんてことないもん……」
なぜ自分の身体のサイズも分かっていないのに大仰な仕草を見せようとするのかというと、彼女の中での名探偵像がそうさせるからだろう。
顔を赤らめた遥香は気を取り直して、控えめに胸の前で拳を作って先を続けた。
「夢というのは、前提となる世界観や設定が脳に事前にインストールされた状態でスタートするのだ。目の前で起こっている事象を理解するための前提知識が前もって与えられているというわけだ」
「言っていることは分かるよ。だから、おかしなことが起こっても不思議に思わないんだろうな」
遥香はうなずく。
「つまり、君の脳には、
「……それは編集者に言ってくれ。ええと、つまり、僕は1回しか見ていないにもかかわらず、9回も同じ夢を見ていると思わされたってこと? 自分の脳に?」
「それは一体なぜなのか?」
遥香が人差し指を振る。指輪がキラリと光を反射した。固唾を飲んで次の彼女の言葉を待つ。
遥香は決めゼリフのように言い放つ。
「君の意識は並行する9つの宇宙の君とリンクしているのだよ」
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